好きなことにぞっこん

花に癒され、永井龍雲の歌声に癒されています

感心するばかり

2014-04-12 00:07:18 | 日記

 ジムでは望んで苦行しています(?)が、龍雲さんの曲を思う存分聞けることが、どれほど幸せな時間でしょう。

 ランダムに入れてあるiPodから流れる曲の歌詞に耳を澄ますと、何度聞いても”信じられない感性”を感じるのです。この語彙、この言い回しは何故、どうして生まれたのでしょうかと。ラブソングが多い龍雲さんの曲ですが、中に ”僕の休日”と言う曲があります。

 

 赤茶けた畳の上に寝転がって

 雨漏りの染みが広がる天井を見ている

 

 車が通るたびに揺れる電灯に

 掌(手のひら)を透かしてみたりする

 わけもなく繰り返し

 

 今日はせっかくの休みの日だから

 長い一日を何をしようか

 思いあぐねて日が暮れた

 

 やるせない気持ちで壁にひとりごちる(?)

 その声は狭い部屋の中で

 虚しくこだまする

 

 あてどなく夕暮れの町を彷徨えば

 目に映るもののすべてが皆 僕には眩しい

 汚れた空の下で無口になったよ

 

 誰かそばに来て

 声をかけてくれ

 独りぼっちのこの僕に

 

 長い一日を何をしようか

 思いあぐねて日が暮れた 

 

 二十歳代の頃この曲を聴いて”なんて人だろう”と思いました。

 ”なんて人”と言うのは決して悪い意味ではありません。とんでもないことをする、普通の人なら絶対にできない凄い人、と思ったのです。

 この詩は、何も言うべきことも無い事象を詩にして、歌の上手さ、声の素晴らしさも相まって、これだけの曲に仕上げている、なんて感性の持ち主なんだろうと思ったのです。

 

 まだまだ不安定な若者の心情を、如実に正直に歌っているでしょう。これを聴いて涙した若者が多かったことと思います。 

 

 そんなに寂しかったのなら、言ってくれればよかったのに・・・福岡でも東京でも北海道でも飛んで行ったのに・・・

 

コメント
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