ジムでは望んで苦行しています(?)が、龍雲さんの曲を思う存分聞けることが、どれほど幸せな時間でしょう。
ランダムに入れてあるiPodから流れる曲の歌詞に耳を澄ますと、何度聞いても”信じられない感性”を感じるのです。この語彙、この言い回しは何故、どうして生まれたのでしょうかと。ラブソングが多い龍雲さんの曲ですが、中に ”僕の休日”と言う曲があります。
赤茶けた畳の上に寝転がって
雨漏りの染みが広がる天井を見ている
車が通るたびに揺れる電灯に
掌(手のひら)を透かしてみたりする
わけもなく繰り返し
今日はせっかくの休みの日だから
長い一日を何をしようか
思いあぐねて日が暮れた
やるせない気持ちで壁にひとりごちる(?)
その声は狭い部屋の中で
虚しくこだまする
あてどなく夕暮れの町を彷徨えば
目に映るもののすべてが皆 僕には眩しい
汚れた空の下で無口になったよ
誰かそばに来て
声をかけてくれ
独りぼっちのこの僕に
長い一日を何をしようか
思いあぐねて日が暮れた
二十歳代の頃この曲を聴いて”なんて人だろう”と思いました。
”なんて人”と言うのは決して悪い意味ではありません。とんでもないことをする、普通の人なら絶対にできない凄い人、と思ったのです。
この詩は、何も言うべきことも無い事象を詩にして、歌の上手さ、声の素晴らしさも相まって、これだけの曲に仕上げている、なんて感性の持ち主なんだろうと思ったのです。
まだまだ不安定な若者の心情を、如実に正直に歌っているでしょう。これを聴いて涙した若者が多かったことと思います。
そんなに寂しかったのなら、言ってくれればよかったのに・・・福岡でも東京でも北海道でも飛んで行ったのに・・・