こうしてすぐ横にきみがいるのが当たり前だというのに…(2日午後)
☆嫌だろうけど……
なんとかシェラも一緒に元旦を迎えてくれた。晴れて17歳である。朝の雑煮を食べながら、寄ってきたシェラに「よくやった!」と何度もほめてやる。だが、今朝は自分のエサを食べようとしなかった。美味しく食べられるようにと家人が工夫してやったが、口をつけようとしない。
「無理をしなくてもいいよ。これも天命ならばしかたがない」
ひと口でも、とシェラに追いすがろうとする家人にぼくはいった。本心とは裏腹の言葉である。ぼくもまた、「シェラ、お願いだから食べてくれ。少しでもいいから……」と思っている。しかし、口を突いて出た言葉のほうが正しい判断であろう。
昨日と今日は変わりさして変わりないように見えて、じつは薄皮を剥くように衰えは確実に進行している。いくつかの要因からそれを感じるのだが、飼主という家族には犬でも顔を見ればそれがわかる。顔のやつれ具合、目の力などだ。
そのたしかさは、夜の点滴投与にあらわれる。この三日ほど、次第に嫌がり方が激しくなっている。点滴を受ける身体の辛さなのだろうが、ぼくたちには、シェラがまるで「もう、いいからやめてよ」とでもいいたげな拒絶に見えてくる。
「シェラ、嫌だろうけど辛抱してくれ。おまえのためなんだよ」
そう言い聞かせながら250ミリリットルをなんとか投与する。三日前は動いて逃げようとした。ぼくが抱きかかえ、話をするとおとなしく聞いてくれた。一昨日は、「嫌だ」とばかりシェラには珍しく怒りの声を上げた。ぼくが喉に触れることさえも拒否する。
そして、昨夜は怒りの声のみならず、「やめて、お願いだから!」という哀願の声が混じった。
「もういい。もうやめよう」
ぼくはそういいたかった。そんなに苦痛なら、もうやめてやりたい。
「シェラ、わかったよ。もうやらないから……」というために首を抱き、頬を密着すると、はたしてシェラはおとなしくなった。「シェラちゃん、あと50だからね。もうすぐよ」頭上で家人がいった。彼女も必死だった。
まだ散歩ができるまま17歳の誕生日を迎えることができた(1日夕方)
☆せめてきみを抱き上げてやれるまで
シェラはぼくに首を預け、じっと耐えたまま点滴は終わった。
「よくやった!」
ぼくと家人は晴ればれとした口ぶりでシェラにいった。点滴を嫌がってもまだシェラは懸命に生きている。夕飯のエサはちゃんと食べた。
家人がぼくの耳元でいった。「いつも半分しかあげてないのよ」
それでもいい。食べてくれれば……。今朝も食べなかったが、午後になってお腹が空いてきたらしい。そうやって、だんだん衰えていくのだろう。
一喜一憂しながら、それでもシェラと目が合うとぼくは思わずシェラに無言で訊いてしまう。
「シェラ、きみは本当に死んでしまうのかい?」と……。
ぼくはいまだ間近に迫ったシェラとの永別のときを信じることができない。懸命に生きているシェラを天が召そうとしていることを――。
こんなときに、昨夜から腰痛が再発してしまった。何年振りだろう。かがめないし、当然、シェラやルイを抱き上げることなどできないでいる。もし、シェラが死んでしまっても抱き上げてやることができない。なんたることだ。いまはそれもまた悲しい。
シェラ、せめてお父さんが抱き上げてやれるまでがんばってくれ。