愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

やがてきみのいない春がやってくる

2012-01-14 23:05:17 | がんばれ、シェラ!

☆ようやく迎えた今日という休日
 待ちわびた週末、とりわけシェラのためにぼくは週末を待った。終日ずっと共にいることのできる休日は圧倒的な至高の時間である。シェラも今日が休日だと知っていて、ともに出かけるときを朝から落ち着かないそぶりで待ちわびている。

 最初にいったのはシェラの病院だった。体重が一週間前とほとんど変わってないことに驚いた。今朝も食欲は芳しくなかった。痩せていても落胆しなかったろう。ただ、口が臭いそうだ。腎臓できれいにならなかった毒素のせいらしい。
 いまはまだいい。しかし、急激に悪化することも覚悟しなくてはならないそうだ。どんな兆候があるかも教わった。覚悟はできているが……。

 今日のシェラとの思い出作りは「薬師池公園」だった。ぼくがいちばん好きな公園といってもいい。むぎとの思い出もたくさん詰まっている。春夏秋冬、季節を問わずに散歩に訪れた。必ず寄るのが薬師茶屋。ここでひと休みしてお汁粉をいただく。シェラとむぎには磯辺焼きを注文する。ふたりともお餅が大好きである。ふた切れをひとつずつ食べさせてやったものだった。


☆むぎのいないはじめての薬師池公園
 薬師池公園へいってようやくルイをはじめて連れきたことに気づいた。むぎの面影にルイが重なる。もっとも、むぎときていたころはシェラはまだ元気いっぱいだった。むろん、むぎだって……。
 まさか、こんな急にシェラが弱り、シェラを乗せるためのカートを押してくるとは思ってもみなかった。むろん、むぎのいない冬がこんなすぐにくるなんて……。
 
 カートを持参したが、シェラはほとんど乗らなかった。乗りたがらなかった。あくまでも歩きたがった。去年の春は当たり前のようにシェラもむぎも歩いてこの公園での散策を楽しんでいたのだ。いまは、よろけそうになりながら、ゆっくりとした歩みで、しかし、大半を歩き通した。

 薬師茶屋での休憩中は、ルイの遊ぼう攻撃から守るためにシェラをカートに乗せた。磯辺焼きを貪るように食べた。朝の食欲不振がウソのようにすごい食欲である。これまでならむぎの口に入る分も欲しがった。


☆次にここへくるのはいつだろう?
 ルイがもの欲しそうに見ていたので、ほんの少し与えたが、むぎの分の大半がシェラの口に消えた。もしかしたら、これが最後の薬師池公園、薬師茶屋かもしれない。
 次の季節、梅の開花を迎えるころ、シェラはもうこの世にはいないだろう。だから、シェラ、好きなだけ食べるがいい。きみとの別れの悲しみが少し癒えてまたこの薬師茶屋へやってきたら、きみとむぎを懐かしみながらルイといっしょに磯辺焼きをひとつずつ食べるだろう。
 
 カートへ乗るのを拒否し、家人とゆっくりと歩いてくるシェラを残し、ぼくとルイは空のカートを押してひと足先にクルマに戻った。駐車場の入口で白い小型犬を連れた、ぼくたちと似たような年代のご夫婦に家人が話しかけられた。シェラの年齢を訊かれ、もうシェラの余命がいくばくもないことも明かしたそうだ。
 「それでご主人がたくさん写真を撮っていらしたのですね」
 奥さんがそういいながら涙を流してくださったという。ぼくがずっとシェラの写真を撮りながら歩いているのを見ていたのだろう。
 
 シェラのために見ず知らずの方が涙を……心からありがたいと思う。