今朝の散歩までは心配のタネが薄まっていたのに(11日朝)
☆夜の散歩をやめてみたが
毎晩、ほぼ9時前後におこなってきたシェラの散歩だったが、昨夜はそれをやめてみた。このところ、9時になってもシェラからの催促がないのでぼくのほうから寝ているシェラに声をかけ、ハーネスを装着して散歩に出かけている。
昨夜、散歩を見送ってみたのは、せっかく熟睡しているのにわざわざ起こして連れ出すのもかわいそうだったからだ。もちろん、もし、明け方にでも催促があればすぐに起きて連れていくつもりで様子をみることにしたのである。果たして、朝までシェラもぐっすり眠っていた。午前2時にぼくが寝たときはベッドの横にいたが、朝はリビングの自分のベッドに入って寝ていた。
家人の話によると昨日の夕方の散歩は、最近のシェラでは考えられないほどの長い距離を歩いたそうだ。しかも排泄もちゃんとすませてくれたという。クレートへの乗り降りと、クレートの中での動きが辛そうな姿を見ると足腰の衰えは予断を許さないものの、ほかの点では悲観材料が薄れている。
まだ身体も覚醒しきってはない朝の時間帯(11日朝)
☆無理にでも食べさせたい
今朝の散歩でのオシッコはひと晩連れて出なかった割には大量ではなかった。やや多いかなという程度だった。ウンコのほうだが、今朝は一度だけでだいぶ少ないのが気になったが、昨夕にたくさん出ているかもしれない。移動の距離は毎朝のとおりで好転しているというほどではない。だいたい、朝は動きたがらないのだからこんなものだろう。
家に戻ると家人がシェラとルイ両方の朝ごはんの用意をして待っていた。だが、今朝のシェラは食欲を失くしていた。餌の大半を食べ残し、寝室のほうへ去っていく。そのシェラを家人が連れ戻し、手でフードを少しずつすくって食べさせる。シェラもしかたなく口に入れるが、すぐにまた食べようとしなくなった。
家人は、「しかたないわ。しょうがないわ」といいながら、しかし、シェラが元気になっているという幻想があるだけに未練たっぷりの無念さがにじみでていた。そして、別の缶フードに変えてなんとか食べさせようとする。
「もう、いいからやめておけよ」といって止めたいところだが、ぼくはあえて言葉を呑み込んだ。シェラを助けたい気持ちはぼくも同じだからだ。
においを嗅ごうとする本能だけは衰えをしらない(11日朝)
☆食欲がなくなったら終わりという恐怖
病院の先生からは、「安定して食事を食べているうちは様子を見ましょう」と、食欲こそがシェラの命脈の保証ともとれるコメントをもらっているだけに、何よりも恐れているが食べなくなることである。腎不全の直後、「食べられなくなったら数日から一週間以内」という先生の言葉も耳に強烈に残っている。だからこそ、家人も「シェラ、お願いだから食べてよ」と手でシェラの口まで餌を運び、食べさせようとしているのである。
気持ちは家人と同じでも、ぼくは手を出さなかった。シェラがもっと若いときだったら少々辛い思いをさせてでも食べさせ、身体の回復を期待しただろう。だが、人間の年齢に換算すれば中型犬の17歳はほぼ100歳、しかも癌という病巣を抱え、腎臓の機能にも支障をきたしている身体。たぶん、気力以外、シェラの身体はまさに満身創痍といっても過言ではあるまい。口の中に無理やりエサをねじ込んでまで食べさせるのは、かえって酷に思えてしまう。
断じてシェラを見捨てるつもりはない。だが、彼女の身体の状態の赴くままを静かに見守ってやる次元に入ってきたような気がしてならない。そんな想いをぼくは冷静に噛みしめていた。
しかし、夕方、会社を出たところで家人のケータイに電話をかけた。「そっちは雨は降ってないか?」というのは表向きの用件だった。雨の予報は出ていたが、雨などどうでもよかった。ぼくが知りたかったのは、次の「シェラは、夜のごはんを食べたか?」のほうだった。
「大丈夫よ。ちゃんと食べたから」
朝、あれほど必死だった彼女がのんびりと答える。地下鉄の駅へ向かうぼくの足がたちまち軽くなった。