歩を進めるにしたがいしっかりした足取りになってきた(3日夕方)
☆点滴をおこなわずに様子を見ることに
つくづく昨夜の自分が情けなく、朝も早くから目が覚めてしまった。どんな悔恨かといえば、点滴を嫌がるシェラの鼻先で、ぼくと家人が激しく口論をしてしまったのである。シェラがさらにどれだけ動揺したかはかりしれない。
朝、目覚めたとき、ぼくのベッドの下で寝ているシェラの身体をそっと撫で、心の中で何度も詫びた。
朝の散歩はシェラとふたりで出かけた。マンション前のすぐ近くをゆったりと散歩した。オシッコもウンコも変わりない。ウンコの量は元気だったころの半分ほどだが、繊維のかたまりのようなWD(ドライフード)が減っているのだからしかたがない。
お医者さんからは、「(食欲が減退してきたので)もうWDはやめましょう。好きなものなら何を与えてもいいから体重を維持しましょう」と指示されたものの、たちまち便秘気味になったので、家人が、もう一度、WDを少々混ぜつつ、シェラが好きなので本来食べさせていたご飯も入れながら変化をつけてさまざまなものを与えている。おかげで便秘は解消した。食欲も復活している。
朝の散歩ではさしたる変化はなかったが(3日朝)
昼近くになって、家人がシェラの病院へ電話をかけた。病院は今日までお休みだが、たしか午前中の1時間だけ予約診療をやっていた。そこへ電話をしたのだろう。むろん、点滴をどうしたものかという相談の電話である。
家人がまず訊かれたのは、「食欲はありますか?」だったそうだ。食欲があるなら2、3日点滴をやめて様子を見ようということになった。シェラが嫌がるのはそれだけの理由があるからかもしれない。場合によっては逆効果になることもあるからだという。
☆驚きの復活はまさに奇蹟
朝からずっとトゲトゲしかったぼくと家人だったが、大きな大きな不安が払拭され、たちまちわが家に穏やかさが戻った。腰の痛みに長い時間を座っていられないぼくは、ソファーに横たわったまま眠ってしまった。何度か目覚めかけるが再び睡魔に眠りの沼に引き込まれ、ずいぶん長い間眠り続けた。
29日にはじまった休暇だったが、ずっと緊張を強いられていたのだろう、休まるどころか心身ともに疲れ果ててしまったらしい。腰痛の原因もそんな身体のストレスのあらわれだったのかもしれない。
そして、奇蹟はそのあとに起きた。
午後4時、シェラの夕方の散歩の時間である。まるで時計を見ているかのようにシェラは正確に散歩のリクエストをする。読み終わった新聞をためておく紙袋を引っかくのが、シェラの「散歩にいきたい」というサインである。
ぼくの腰痛を悪化させないようにと、昨日からルイは家人が連れていくようにしている。昨日はルイを連れて去っていく家人の姿をシェラは呆然と見つめていた。しばし追ったが追いきれず、すごすごと引き返した。
自らの意志でもっと歩こうとする(3日夕方)
だが、今日のシェラは違った。強引に家人とルイを追ったのである。歩みこそのろかったが、平日は家人と歩いているからどこへいけばいいか先刻承知している。ついには家人のうしろ姿を捉えた。このところのシェラとしては信じられないような距離を歩いていた。
「いけるところまでいってごらん。動けなくなったらママをケータイで呼んで、ぼくがクレートかカートを持ってくるから」
そう語りかけてぼくはシェラを歩かせていた。すぐにぼくたちに気づいた家人が待っていてくれた。
☆なんでもわかっている子だから
トータルで500メートルは歩いただろう。元気なときだったらとても満足してくれる距離ではないが、いまのシェラには驚異の道のりである。しかも、まもなくフィニッシュというところまできてさらに別ルートを歩きたいと先をゆく家人を無視してマンションから遠ざかる方向へと歩きはじめたのである。
ルイを連れた家人が慌てて戻ってきてつきあった。その部分ですら往復で優に100メートルはある。
ぼくも家人もこの奇蹟の元気がもたらすかもしれない反動を憂慮した。だが、もし、この無謀な行動を許したことで、今夜、シェラの身に何か深刻な事態が生じたとしてもそれはしかたがないと思った。こうして、奇蹟をぼくたちに見せただけでシェラだって本望だろう。
夕飯もしっかり食べた。病魔など退散し、シェラが完全復活する――起こるはずのない真の奇蹟が、いま、シェラの身体の中に生じていると思いたいほどだった。
夜のぼくとふたりだけの散歩ではもうあまり歩きたがらなかった(3日夜)
死期が近づいた生命は、いっとき光彩を放つという。家人はそれを思い出してシェラの身を心配した。
「きっと違う。昨日、自分のことであんたとぼくが喧嘩したのを案じて、気力を振り絞り、“ほら、わたしはまだ大丈夫よ”と見せてくれたんじゃないかな。シェラはそういう子じゃないか」
もしかしたら、「点滴はやらなくていい」という話を聞いていて、うれしくて元気になったのかもしれない。犬親バカのぼくはそんなことを本気で考えている。
だが、心の一隅でぼくもまた家人同様、「いっときの光彩」へ恐怖を感じている。