以前はむぎがいた場所にいまはシェラがしじゅういる(10日夜)
☆出迎えわんこの変遷
今夜、帰宅して玄関の扉をあけると、珍しく正面でシェラが待っていてくれた。寝ておらず、ちゃんと起きている。
先の7月までは、玄関のすぐそこで張り込んでいたのはむぎだった。扉を開くまでもなく、ぼくがそこへ立つ前から足音でぼくの帰宅を知って吠えだしている。ぼくの顔を見ると、「お帰りなさい」と二度、三度と激しく吠えたあと、シェラへ報せるために奥へ駆け込んでいく。その声でリビングへ向かうぼくをシェラが小走りで迎えに出てきたものだった。
むぎが逝ってしまったあとは、ぼくが帰ってもシェラはなかなか気づいてくれない。もうすでに聴力が衰えてしまっていたからだ。よほど大きな声を出さないと無理だった。気づけば喜んでくれるのだが……。
そのシェラが、ルイとふたりきりで留守番をさせて帰ってみると、必ず玄関の前、かつてむぎがいた場所で寝ている。扉を開けてもまったくわからなから、「おい、シェラ、いま帰ったぞ」と身体を触ってやるとびっくりして眠りから覚めて飛び起きる。
今夜のように、目を開けてぼくの帰りを待っていてくるシェラは珍しい。リビングに置いたケージの中のルイは、ぼくが帰っても声をかけてやらないとなかなか喜ばない。まずはシェラの出迎えを受けたあとにルイの出迎えになる。ちゃんと順番を知っていて、それを待っているかのように思えてしまう。シェラとルイの目の輝きが、ぼくが幸せを噛みしめるひとときである。
ぼくを迎えるためだけにいるではないが、今夜はたぶんぼくを待っていた(10日夜)
☆ぼくが朝にこだわるのは……
帰れば喜んで迎えてくれるシェラとむぎだったが、朝は家を出るぼくにまるで無関心だった。それでも、ぼくは毎朝、「シェラ、いってくるぞ」「むぎ、いってくるからな」と声をかけてやっていた。それを忘れたときは玄関から、「お~い、シェラ、むぎ、いってくるぞォ!」とリビングのほうへ声をかける。むろん、どちらのときも朝はふたりそろって知らん顔である。玄関まで送りに出た家人に、「冷たいもんだな」ななどといいおき、それから「いってきま~す」といって外へ出るのが常だった。
いまのぼくは少しばかり違う。寝ているシェラの顔をのぞきこみ、頭をそっと撫でて、「いってくるからね」と声をかける。もしかしたら、これが今生の別れになるかもしれないからだ。一見、安定はしているようだが、シェラの身体の中ではどのような変化が起こっているかわからない。むぎが突然逝ってしまった光景がトラウマになっているからだろう。
ただの老衰だってシェラの17歳という年齢だったらいつなにが突然起こってもおかしくあるまい。まして、大きな癌という病巣を抱えているのである。
せっかく寝ているところを起されるシェラにしてみれば迷惑以外のなにものでもないが、そのくらいのぼくのわがままは許してもらう。ついでにルイにも声をかけ、頭を撫でてやる。ぼくが出かけてしまうのを知っているからルイも寂しそうな顔で見送っているだけだ。
まだ夜の散歩は続いているものの、足腰の衰えは進んでいる(9日夜)
☆緊張の日々が続く
家を出てからは、ケータイが鳴って、家人からの通話やメールだとギョッとして息が詰まりそうになる。家人も心得ているから、第一声は「シェラは変わらないからね」といってから用件を喋りだす。メールも同様である。家人からのケータイへの連絡はめったにないが、精神衛生上きわめて悪い。
昨年末、ぼくは連日のようにセットされていた忘年会を全部辞退した。せっかくお誘いくださった方々には失礼千万なのは承知の上でお詫びし、すべてお断りして、ぼく抜きでやってもらった。
忘年会ほどではないが、新年会もいくつか予定が入っており、今週から来週にかけての夜に集中している。いますぐにシェラがどうにかなってしまうという兆候は見えないが、今週木曜日の新年会以外はやっぱりすべて断ることにした。
いまやシェラとの残り少ない時間を大切にしたい。仕事のつきあいといっても所詮飲み会である。若いころと違い、飲み会が頻繁になるとやっぱり辛い。
シェラとの時間を大事にするばかりではなく、自分の健康も本気で気をつけようと思う。飲み会以外にも冬の序盤、夏の終盤がこたえる年齢になってきた。シェラが公園でズンズン歩く姿を見ていると、オレも負けてはいられないと思うが、いまは可能なかぎり無理はしたくない。
これもまた、シェラに教わったぼくなりの老いとの折り合い方である。