☆今朝のシェラはいつもと違う
ぼくの皮膚感覚でしかなかったが、今朝はこの冬いちばんの冷え込みだった。シェラとルイを伴って外へ出たとたん思わず首をすくめマフラーを整えたくらいだ。
やっぱり日の出の時刻はほんの少し早くなっているらしい。ぼくがネットキャップの上につけたヘッドランプが今朝は点灯の必要がないくらいに明るくなっていた。それでも寒さはいちだんと厳しい。
今朝のシェラは家を出る前から積極的だった。いつもなら、ぼくのほうからシェラが寝ている場所までいってハーネスをつけ、それから手を添えて身体を起こし、玄関までゆっくりと導いてやらなくてはならない。
だが、今朝は自分から起き、ぼくが散歩のしたくをしている様子をながめていた。昨夜の散歩はやっていない。熟睡しているシェラを起こすのが忍びなかったからである。
一昨日は、もう寝ようかと思っていた深夜になってぼくの前へ現れた。散歩にいきたがっているとすぐに気づいたのは家人でありルイだった。ぼくはシェラが散歩にいきたがっているとは思わず、「シェラ、どうしたんだ?」などと訊いていた。
今朝のシェラの積極さには、昨夜散歩にいかなかったからという理由とは別の強い意志を感じた。玄関から出る足取りも軽快である。「今朝は何か違う」と予感したものの、クレートへ入るときはさすがにぼくがお尻を持ち上げて助けてやった。
☆もうきみを抱いて運んではやれない
外では、オシッコが終わるともうその場にじっとたたずみほとんど動かなくなるのだが、今朝はアグレッシブだった。トコトコと歩きだし、かつてむぎとさんざん歩いた朝の定番コースに向かった。
片道200メートルほどのこのコースは、昨年のはじめ、ある日突然シェラがそれまでのコースを拒否して新たに散歩コースになったルートである。以前の半分程度の距離しかない。
だが、いまのシェラにはそれさえも歩き通すことができない……はずだった。それなのに、今朝のシェラはどんどん進んでいく。いつ歩けなくなるかハラハラしながら、それでもぼくはシェラにつきあった。折り返し点にたどり着いたとき、ぼくは思わず「よくやったな」とシェラに声をかけたくらいだ。
問題は帰り道の200メートルである。動けなくなって座り込んでしまったら、ぼくはルイを引きながらシェラを抱いて帰るしかない。
まだシェラが若く、元気だったころ、真夏の暑さに参って座り込んで休憩したことが二度ばかりある。このときは立ち上がるのを待ち、励ましながらゆっくり歩いて戻った。もう一度は散歩中に足を痛めてぼくが抱いてクレートまで運んだ。抱き上げたシェラは重かった。
あれからぼくも老いた。いま20キログラムのシェラを抱いて運んでやれる自信が正直なところない。だから、「最後まで歩いてくれ」と願いながらゆっくりと帰り道の歩を進めた。
☆シェラからもらった心の平穏
シェラは晩年のむぎと歩いたコースを自力で歩き通した。おまけに、クレートに乗るとき、何日ぶりかでうしろ足もぼくの助けを借りずに乗り込んだ。
「すごい! すごいな、シェラ!」
ぼくは興奮気味にシェラに声をかけた。
シェラが予想外の距離を歩いてしまったので、ルイとふたりだけの散歩が今朝はできなかった。
今朝は朝ご飯を食べてくれるかもしれない。大いにそんな期待とともに家に戻ったが、やっぱり今朝も食べてくれなかった。
しかし、会社へ向かうぼくの気持ちは軽かった。シェラのあの歩きっぷりを思い出すたびについつい笑みがこみ上げてくる。仕事上のトラブルへも敢然と立ち向かえるだけの余裕が生まれる。
「シェラ、サンキュー!」
そうやって今日がはじまり、ミーティングが続いて忙しかったけれど穏やかな一日になった。