議会だよりを配り始めました

2010-07-08 21:35:34 | 議会だより
7日から「議会だより第7号」を配り始めました。午前中はブドウの作業があり午後激しい夕立でした。それから夕方暗くなるまで一軒一軒ポストに投函。家の方のお顔が見えれば声をかけあいさつを交わします。夜までに中屋敷の全てと乙女平の半分が終了です。

8日は朝2時間ほどかけて乙女平と王子平が終了。夕方桜井の半分が終わりました。最初の2日間で600部ほど配布できました。最初は苦になっていた議会だより配りも始めてしまえばそんなでもありません。

「議会だより」を配り始めてこれで7回目になります。3ヶ月ごとに区域内をまわると見えてくるものがあります。聞こえてくるものがあります。やはり一軒一軒足を運び、現状を見て話を聞くということが大切だと感じています。

むろんそんなに立ち入ったことを聞くわけにも行きませんが、何か問題が起きた折にでもそういえば若林が来ていたなと思い出していただくだけでもいいと思っています。

先日滋野駅の方から、側溝の雨水があふれて構内に流れ込み被害を受けたとの相談が持ち込まれました。先日の雷雨の際、近くの川の水があふれ側溝の水が逆流。駅舎に流れ込みホームとの連絡地下道が冠水し、多くのお客さんが難儀したそうです。早速市役所に伝え善処を依頼しました。

配布を終えるまでにはあと1週間はかかりそうです。

函館には自然と文学が似合う

2010-07-08 01:16:48 | 雑感
函館報告の最後に函館の自然と文学にも触れてみたいと思います。函館山へのロープウェイの待ち時間に立待岬まで足をのばしました。ここには与謝野晶子の歌碑があります。お天気もよく津軽海峡から下北半島まで望むことができました。観光スポットから外れてしまうので観光客の姿はまばらでしたが、函館の自然を感ずることができました。


立待岬のはまなすと函館山

津軽海峡の向うは青森・下北半島

立待岬から歩いて帰る道のかたわらに石川啄木のご家族のお墓がありました。石川啄木が函館に済んでいたのはごくわずかの期間だったらしいのですが、ここで啄木も小学校教師の職を得て家族も平穏な生活を送ることができたことから函館をとても気に入り、墓地を建設することになったのだそうです。

墓石には「東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる」という有名な句が刻まれていました。まちの近くの浜辺には啄木の石像がありました。元町の文学館には石川啄木の業績が展示されていました。


立待岬の近くには石川啄木のお墓があります(右の白い案内標識)

浜辺近くに石川啄木の像がありました。

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