市政と要望を語る会のご案内 2010-12-29 22:58:53 | 議会活動 (写真)昨年の市政と要望を語る会 これからの市政についてお知らせし、皆様のご要望をお聞きする会を開催します。市政に対する疑問や要望など、ご意見をお聞かせいただければと存じます。どなたでもご自由にご参加いただけます。お寒い中ではありますが、お運びくださいますようご案内いたします。「議会だより」のご案内には誤って日曜日と記載してしまいました。正しくは土曜日です。 と き:2月19日(土)午後7時 ところ:中屋敷公民館 主 催:若林みきお後援会
議会だよりが届きました 2010-12-29 22:32:17 | 議会だより 29日は午前中は好天で自宅の軒下の煤を払ったり窓ガラス拭きをしました。そんな中印刷会社から「議会だより」第9号が届きました。 早速集落別に小分けして梱包しました。夕方から地元の中屋敷130軒全戸に配りました。昨年は12月24日から配り始めたので5日ほど遅れたことになります。 もう今年も残すところあと2日。「議会だより」の本格的配布は年明けからになります。全部終わるのは1月中旬の予定です。 このブログの左欄の「私の書庫」の「『議会だより』バックナンバー」をクリックすればこれまで発行したすべての「議会だより」をご覧いただけます。PDFファイルになっていますので印刷することもできます。どうぞご利用ください。
シェイミさんの住民投票の疑問に答える 2010-12-29 17:42:08 | 議会活動 住民投票について「シェイミ」さんからコメントをいただきました。コメント欄ではわかりにくいためここに再度掲載します。 住民投票制度は、悪い制度ではありませんが、万能ではありません。次のことを考えると私は、やはり住民投票よりも市長や議員のリーダーシップに期待をしてしまう者の一人です。 ・ 規模の小さい自治体が住民投票を実施しますか?私は、公民館などで徹底的に話し合うのだと思います。 ・ ごく少数の住民や社会的弱者、一部の地域の住民だけに関係する問題などについて、その他大勢による○か×かの多数決で決めてよいのか?市長、議員は多数決に左右されることなく、必要なことは実施しなければならないのではないか。 貴重なご意見ありがとうございます。ご指摘の点につきましてはもっともだと思います。住民投票についてはまだまだ考えなければならない点が多々あると思います。現在の議会制民主主義との折り合いをどうつけるのか、多数の横暴ととらえかねないようなテーマについてはどうするのか、そもそも住民投票のテーマに制限を設けるべきではないかなどです。 こうした点について小諸市の住民投票条例(素案)は以下のように規定しています。 【住民投票に付することができる事項】第2条 自治基本条例第30条第1項の住民投票に付することができる市政に係る重要事項は、現在又は将来の本市の住民全体の福祉に重大な影響を与える事項であって、住民に直接その賛成又は反対を問う必要があるものとする。ただし、次の各号に掲げる事項を除く。 (1) 市の権限に属さない事項 (2) 法令の規定に基づいて住民投票を行うことができる事項 (3) 市の組織、人事又は財務に関する事項 (4) 専ら特定の住民又は地域に関する事項 (5) 前各号に掲げるもののほか、住民投票に付することが 適当でないと明らかに認められる事項 ここで注目すべきは(3)と(4)です。すなわちシェイミさんが懸念されている少数住民や一部地域に関することについては住民投票の対象から除外しています。そのほか(5)で「住民投票に付することが適当でないと明らかに認められる事項」も除いています。 小諸市の住民投票条例にはこのほか3つの大きな特徴があります。常設型であること、投票資格が16歳以上であること、定住外国人を含むことです。この条例はおととい12月27日に施行されました。 住民自治の発露としての住民投票は理解できますが、具体的に施行するとなると様々な問題が生じてきます。こうした問題を小諸市議会はどのような議論を積み重ねて可決するに至ったのでしょうか。 こうした疑問を小諸市議会にぶつけてみたいと思います。そこで彼らが何を考え、何に思いを馳せていたのかについて聞きただしてみたいと思います。しかし来月は市議会議員選挙があります。お聞きする機会はもう少し先になるでしょう。その結果もここで報告したいと思います。シェイミさんからの質問に対する回答はその後になります。もう少しお待ちください。
住民投票の光と影を考える 2010-12-29 06:27:46 | 議会活動 先日ある方から「住民投票は議会制民主主義に対する否定ではないか、乱用に対する歯止めが必要だ」とのコメントをいただきました。私は議会と民意の間にねじれが生じた時、それを克服するための手段として住民投票を位置づけていましたので、住民投票は議会制民主主義を補完する制度だと認識していました。ご指摘はまさにポイントをついたものだと思います。そこで住民投票の光と影を考えて見ます。 確かに住民投票はいいところばかりではないでしょうね。いま問題になっている名古屋市や鹿児島県阿久根市の場合などがそうでしょうか。市長が自分の言うことを聞かない議会を無視して予算案や条例制定などの住民投票を乱発したらどうでしょうか。 たぶん公務員給与引き下げや住民税引き下げ、議員報酬のカット、議員定数の削減などは圧倒的多数で賛成ということになるでしょう。それも一つの民意ではありますがその結論にまで至る議案調査や様々な意見交換、丁寧な議論が全て省かれ、是か非かだけで争われるとしたらまさにそれは衆愚政治と言ってもいいのかもしれません。 たぶん佐久市の住民投票でも議員の皆さんの心に去来したのは、これまで議会で議論してきたことは何だったのかということではないでしょうか。いまの時代金のかかるハコモノは住民受けしずらい案件です。しかし百年先を見据えたときやらなければならないこともある、そんな思いでこれまで取り組まれてきたのだと思います。 そうした意味で住民投票には光と影があります。民意の発露としての住民投票と衆愚政治としての住民投票です。どちらも紙一重だと思います。しかしどちらにするのか選択するのもまた住民自身です。住民投票の質と責任が問われるのです。 佐久市の住民投票その後を信濃毎日新聞で連載していました。その中で建設反対派の皆さんがこれからの佐久市の文化創造について語っていたことが印象的でした。住民投票には責任が伴います。自分の思いだけで投票していいのか、目先だけでなく百年先を見なくていいのか、ハコモノにも必要なものもあるのではないか等々、住民自身がじっくり考え議論しあって結論を出すそんなプロセスが欠かせません。 住民投票を通じて住民自身が名実ともに地域の主権者になることが求められているのだと思います。佐久市の住民投票でもそんな萌芽が見られました。かつて選挙権を一般住民まで広げる際にも同じような議論があったと聞いています。重要な選挙権を無知蒙昧な住民にまで拡大して正しい選択ができるのかというものでした。しかしいま選挙は住民の中に根付いています。 住民投票を通じて住民自身が地方行政の主権者として成長することが求められていると思いますし、そしてそれは十分可能だと思っています。それはいま私達が進めようとしている「協働のまちづくり」担う住民を育てることにもつながると思います。 そうした意味において佐久市の場合、賛成派反対派はそれぞれ市民に対して必要な情報提供に努めました。佐久市も市民説明会や討論会の場において市民の疑問にていねいに答え、告示以降は投票成立のために全力で広報活動に取り組まれていました。住民自身が考える材料と時間が十分保証されていました。 何事にも新しく始めるときには不安やとまどいがつきものです。最初思ってもいなかった問題が持ち上がってくるかもしれません。問題があるからといって歩みを止めることはできません。歩みだす勇気と問題があった場合には引き返す勇気が必要だと思います。