9月30日は地元の神社、熊野神社の秋の祭礼でした。この神社は私の住んでいる集落、中屋敷のうち西側の区民の神社です。老朽化したため立て直すことになり、区民からの浄財を集めて完成しました。
熊野神社の北側には大きなけやきの木があります。そのかたわらにある屋根は現在の大けやきの前にあったけやきの株を保存しているものです。こちらの株も大きなもので茂っている時は巨大であったことが想像できます。
この日はお天気も良く「滋野地区ガイドブック」をつくるための写真撮影を行いました。このガイドブックは私達が住んでいる滋野地区を紹介するためのもので、活性化委員会で昨年より取り組んでいるものです。
午後、写真愛好家であるT氏に同行。まずは滋野全景の写真を撮るために千曲川をはさんで対岸にある御牧ヶ原台地に登りました。そこから滋野全景を撮影しました。
写真の左上に白いものが見えます。これは大石の水道タンクです。この左側が大石集落です。その下に画面を横ぎる形で連なっているのが大石集落の中の牧家(ぼくや)と片羽(かたは)です。その左下にある集落が桜井です。
写真の下には千曲川の河岸段丘の崖が見えます。河岸段丘に沿ってしなの鉄道が走っています。写真では見えませんがこの右側には赤岩集落があります。右上に見える集落は中屋敷です。写真の上を横切っている道は上信越自動車道と浅間サンラインです。高速の右上の集落が原口、左上の集落は別府(べっぷ)と祢津地区の新張(みはり)です。
ちょうど稲刈りの真っ最中。黄金色に実った棚田がとてもきれいです。その棚田を取り囲むように北には原口、西には別府、大石、真ん中に北国街道に沿って片羽があり、一番下に桜井があります。そして東には中屋敷、赤岩。棚田の真ん中を流れるのが奈良原の六分水から分かれた桜沢川、西沢川の流れです。
まさに滋野地区全体が六分水の水によって生かされてきたんだということが実感できます。一番いい所に田んぼがあり、集落は田んぼの縁(へり)に連なっています。
滋野ガイドブックの撮影は、前回は桜井集落を撮影したので今回は片羽集落です。まずはまちの重要文化財に指定されている塚穴古墳です。今では古墳の屋根の葺き石が失われ表土も流されています。老人会の方々のご尽力で草刈りが行われきれいに整備されていました。
次は片羽と赤岩新田の間の大石沢川にかかる石造りのめがね橋です。めがねといっても一つだけのひとつだけ。石造りの橋はこの地域ではとても珍しいものです。住民からの寄付によってできたもので完成は明治14年です。この橋の脇に滋野乙1番地があります。
国道18号線、赤岩の信号の高台に小さな石碑があります。ここは旧滋野小学校跡地です。ここに滋野小学校が出来たのは明治8年のことだそうです。大正14年に現在地に移転しました。今は碑があるだけです。
ここは滋野小学校の東にある稲荷神社とそのご神木であるさいかちの木です。さいかちの種は30センチぐらいのさやに入っており、かつて代用洗剤として利用されたそうです。
八幡神社とその湧き水である八幡水です。ちょうどお祭りでのぼりが立てられ社殿には幕が張られていました。八幡神社は片羽と東中屋敷の皆さんの氏神様です。八幡水は水質良好で水量も豊富。この地域の灌漑用水でもあります。
滋野小学校が現在地にあるもの八幡水が飲料水として利用できたためです。私が子供のころも小学校まで水を引いて飲み水に使っていました。夏などとても冷たくておいしかったことを覚えています。
私が大学を卒業しバスで田中の銀行に通勤していた頃のこと、残業で遅くなって夜道を八幡様の前を通ることがありました。そんな時八幡様の木の上からふくろうのホウホウという声を聞くことがありました。今では八幡様の周辺は住宅地になっていますが、今から40年前は住宅もなく夜など真っ暗でした。今ではなつかしい思い出です。
熊野神社の北側には大きなけやきの木があります。そのかたわらにある屋根は現在の大けやきの前にあったけやきの株を保存しているものです。こちらの株も大きなもので茂っている時は巨大であったことが想像できます。
この日はお天気も良く「滋野地区ガイドブック」をつくるための写真撮影を行いました。このガイドブックは私達が住んでいる滋野地区を紹介するためのもので、活性化委員会で昨年より取り組んでいるものです。
午後、写真愛好家であるT氏に同行。まずは滋野全景の写真を撮るために千曲川をはさんで対岸にある御牧ヶ原台地に登りました。そこから滋野全景を撮影しました。
写真の左上に白いものが見えます。これは大石の水道タンクです。この左側が大石集落です。その下に画面を横ぎる形で連なっているのが大石集落の中の牧家(ぼくや)と片羽(かたは)です。その左下にある集落が桜井です。
写真の下には千曲川の河岸段丘の崖が見えます。河岸段丘に沿ってしなの鉄道が走っています。写真では見えませんがこの右側には赤岩集落があります。右上に見える集落は中屋敷です。写真の上を横切っている道は上信越自動車道と浅間サンラインです。高速の右上の集落が原口、左上の集落は別府(べっぷ)と祢津地区の新張(みはり)です。
ちょうど稲刈りの真っ最中。黄金色に実った棚田がとてもきれいです。その棚田を取り囲むように北には原口、西には別府、大石、真ん中に北国街道に沿って片羽があり、一番下に桜井があります。そして東には中屋敷、赤岩。棚田の真ん中を流れるのが奈良原の六分水から分かれた桜沢川、西沢川の流れです。
まさに滋野地区全体が六分水の水によって生かされてきたんだということが実感できます。一番いい所に田んぼがあり、集落は田んぼの縁(へり)に連なっています。
滋野ガイドブックの撮影は、前回は桜井集落を撮影したので今回は片羽集落です。まずはまちの重要文化財に指定されている塚穴古墳です。今では古墳の屋根の葺き石が失われ表土も流されています。老人会の方々のご尽力で草刈りが行われきれいに整備されていました。
次は片羽と赤岩新田の間の大石沢川にかかる石造りのめがね橋です。めがねといっても一つだけのひとつだけ。石造りの橋はこの地域ではとても珍しいものです。住民からの寄付によってできたもので完成は明治14年です。この橋の脇に滋野乙1番地があります。
国道18号線、赤岩の信号の高台に小さな石碑があります。ここは旧滋野小学校跡地です。ここに滋野小学校が出来たのは明治8年のことだそうです。大正14年に現在地に移転しました。今は碑があるだけです。
ここは滋野小学校の東にある稲荷神社とそのご神木であるさいかちの木です。さいかちの種は30センチぐらいのさやに入っており、かつて代用洗剤として利用されたそうです。
八幡神社とその湧き水である八幡水です。ちょうどお祭りでのぼりが立てられ社殿には幕が張られていました。八幡神社は片羽と東中屋敷の皆さんの氏神様です。八幡水は水質良好で水量も豊富。この地域の灌漑用水でもあります。
滋野小学校が現在地にあるもの八幡水が飲料水として利用できたためです。私が子供のころも小学校まで水を引いて飲み水に使っていました。夏などとても冷たくておいしかったことを覚えています。
私が大学を卒業しバスで田中の銀行に通勤していた頃のこと、残業で遅くなって夜道を八幡様の前を通ることがありました。そんな時八幡様の木の上からふくろうのホウホウという声を聞くことがありました。今では八幡様の周辺は住宅地になっていますが、今から40年前は住宅もなく夜など真っ暗でした。今ではなつかしい思い出です。