「劇団浪漫狂創設20周年記念公演」に行って来ました。新宿の紀伊国屋ホールですよ、紀伊国屋
中村隆天氏が仲間を集めて劇団を結成したのが1992年。旗揚げ公演は翌1993年2月。当時の劇団名は「浪漫狂時代」でした。
隆天氏との共通の役者仲間に声をかけられ、私も参加。以後、丸6年/全12回公演の全てに出演し、「充電」と称して劇団がその公演活動を一旦停止した1998年の頃には、私は副座長になっていました
写真は旗揚げ公演。たった畳3畳の広さのステージで、暴れまくりました
みんな、「俺たちの舞台だ!」とアツく燃えていました。
観客数も1公演ごとにどんどん増えて行き、初めは1500円だったチケット代金も、「安すぎる!こんなに面白いのに!」といった多くのお客さんからの後押しで最終的には3000円になり、会場も観客200人規模の劇場を借りられるほどにまで成長しました
勢いがありましたね
下の写真は主演と併せて演出をこなしていた隆天氏。
左から伊藤慎介、隆天氏、おさる(アニマル梯団/現モンキッキー)、こはたあつこ、コアラ(アニマル梯団)。
その後劇団は公演活動を再開。劇団名も「浪漫狂ちゃんねる」「浪漫狂NEO」「THE浪漫狂」「浪漫狂」と変え、メンバーもがらりと変わってしまい、隆天氏以外は全く知らない顔ぶれとなってしまいましたが、氏の激しくも優しい熱意は今もって続いています
20周年公演後の隆天氏と。後ろにはかつての劇団員であるモンキッキーとコアラからの花が
「加山さん、一緒にやりましょうよぉ」と何度も声をかけてくれている隆天氏。私のワガママで断って来ましたが、今回の公演を見て少~し考えが変わってきたのも事実。
いずれにしろ、いつかは「座長」隆天氏と再び同じステージに立ちたいと思っています。
「劇団浪漫狂」20周年。おめでとう
そして・・・
隆天さん、これからも突っ走ってください
その「浪漫狂時代」の頃、稽古のために電車の乗り換えでよく立ち寄った京王線・明大前駅構内にあるスタンドそば店。
たまたま所用で近くにいったので、「まだあるのかなぁ~?」と行ったところ・・・ありました!店内は多少リニューアルされていましたが、思い出の店はそのままでした
昔と変わらず「もりそば(ちゃんと海苔がかかっています・・・だからざるそばです)」にかき揚げを載せてもらういつものメニュー。懐かしいなぁ
中村隆天氏が仲間を集めて劇団を結成したのが1992年。旗揚げ公演は翌1993年2月。当時の劇団名は「浪漫狂時代」でした。
隆天氏との共通の役者仲間に声をかけられ、私も参加。以後、丸6年/全12回公演の全てに出演し、「充電」と称して劇団がその公演活動を一旦停止した1998年の頃には、私は副座長になっていました
写真は旗揚げ公演。たった畳3畳の広さのステージで、暴れまくりました
みんな、「俺たちの舞台だ!」とアツく燃えていました。
観客数も1公演ごとにどんどん増えて行き、初めは1500円だったチケット代金も、「安すぎる!こんなに面白いのに!」といった多くのお客さんからの後押しで最終的には3000円になり、会場も観客200人規模の劇場を借りられるほどにまで成長しました
勢いがありましたね
下の写真は主演と併せて演出をこなしていた隆天氏。
左から伊藤慎介、隆天氏、おさる(アニマル梯団/現モンキッキー)、こはたあつこ、コアラ(アニマル梯団)。
その後劇団は公演活動を再開。劇団名も「浪漫狂ちゃんねる」「浪漫狂NEO」「THE浪漫狂」「浪漫狂」と変え、メンバーもがらりと変わってしまい、隆天氏以外は全く知らない顔ぶれとなってしまいましたが、氏の激しくも優しい熱意は今もって続いています
20周年公演後の隆天氏と。後ろにはかつての劇団員であるモンキッキーとコアラからの花が
「加山さん、一緒にやりましょうよぉ」と何度も声をかけてくれている隆天氏。私のワガママで断って来ましたが、今回の公演を見て少~し考えが変わってきたのも事実。
いずれにしろ、いつかは「座長」隆天氏と再び同じステージに立ちたいと思っています。
「劇団浪漫狂」20周年。おめでとう
そして・・・
隆天さん、これからも突っ走ってください
その「浪漫狂時代」の頃、稽古のために電車の乗り換えでよく立ち寄った京王線・明大前駅構内にあるスタンドそば店。
たまたま所用で近くにいったので、「まだあるのかなぁ~?」と行ったところ・・・ありました!店内は多少リニューアルされていましたが、思い出の店はそのままでした
昔と変わらず「もりそば(ちゃんと海苔がかかっています・・・だからざるそばです)」にかき揚げを載せてもらういつものメニュー。懐かしいなぁ