米ボクサーのアリが逝去しました。私がボクシングをよく知らなかった少年時代にも、その名が知られていたってことを考えると、やはり偉大な存在だったんですよね。
日本でその名が多く知られるきっかけとなったのは、やはりアントニオ猪木の世紀の一戦だったのではないでしょうか。1976年6月26日@日本武道館
プロレス対ボクシング。表舞台&裏舞台、賛否両論色々あれども伝説の格闘技戦でした。
また、私がその存在を知ったのは1974年頃。アリが旧名カシアス・クレーで活躍していた時代なのかな。マンガ「愛と誠」での1シーンでした。
主人公・誠の部屋に貼ってあるクレーのポスターにつぶやくひとコマ。
「カシアス・クレー。あんたはリングにかけちゃケンカの天才だった。だがよ、でっかすぎる相手に挑戦しちまった。ベトナム戦争行きを拒否してアメリカって国家に・・・。そのため王座を取り上げられて(中略)それでもあんたはジョージ・フォアマンって若い怪物に挑戦状をたたきつけた。誰が見ても勝ち目のねぇケンカ状を!」
この翌日、誠はある意味、死を覚悟して極悪不良集団とのケンカに向かっていくわけです。
そのクレーが実在していたのか、それとも漫画の中だけの架空の人物だったのか10歳の私にはまだまだ分かりませんでしたが、誠が自室にポスターを貼るほどの影響を与えた人物がいたんだったな・・・思った記憶があります。
アリよ、安らかに。
日本でその名が多く知られるきっかけとなったのは、やはりアントニオ猪木の世紀の一戦だったのではないでしょうか。1976年6月26日@日本武道館
プロレス対ボクシング。表舞台&裏舞台、賛否両論色々あれども伝説の格闘技戦でした。
また、私がその存在を知ったのは1974年頃。アリが旧名カシアス・クレーで活躍していた時代なのかな。マンガ「愛と誠」での1シーンでした。
主人公・誠の部屋に貼ってあるクレーのポスターにつぶやくひとコマ。
「カシアス・クレー。あんたはリングにかけちゃケンカの天才だった。だがよ、でっかすぎる相手に挑戦しちまった。ベトナム戦争行きを拒否してアメリカって国家に・・・。そのため王座を取り上げられて(中略)それでもあんたはジョージ・フォアマンって若い怪物に挑戦状をたたきつけた。誰が見ても勝ち目のねぇケンカ状を!」
この翌日、誠はある意味、死を覚悟して極悪不良集団とのケンカに向かっていくわけです。
そのクレーが実在していたのか、それとも漫画の中だけの架空の人物だったのか10歳の私にはまだまだ分かりませんでしたが、誠が自室にポスターを貼るほどの影響を与えた人物がいたんだったな・・・思った記憶があります。
アリよ、安らかに。