気楽にイスラムに触れるにはトルコが良い。イスラム教の国だが、観光客だけでなく国民もお酒が飲めるし、女性はヴェールをしていない。もっとも、さすがに豚は食べない。イスラムの本家、アラブの国々からは嫌われているようだが、我々日本人にとってトルコはやはりイスラムの国である。
トルコでイスラムを感じたのは、やはりお祈りの時間である。モスクから大音響で祈りの言葉が響き、人々が跪いて祈っていた。さっきまで「あなた日本人。じゅうたん、安い。じゅうたん、買う」とか言っていたお兄さんまで、突然お祈りを始めたのには驚いてしまった。
もう一つはハレムである。トプカプ宮殿はオスマントルコの栄華が偲ばれる美しい宮殿である。そこにハレムがあった。宮殿全体から見ると狭い場所だが、そこに暮らす女性にとってはハレムが全世界である。他の男性から見られないためか、逃げ出さないためか、わからないが、窓もほとんどなかった気がする。空の代わりなのか天井が青く塗られていた。悲しい話だ。もっとも時代や宗教の違いもあり、それを見ていた彼女たちの本当の気持ちはわからないが。
トルコは、イスラム教とキリスト教が出会う(いや戦ったというべきか)国である。塩野七生に『コンスタンティノープル陥落』という本があるが、それを読んでイスタンブールに行くと、感慨もひとしおであろう(僕は残念ながら順序が逆だった)。アヤ・ソフィアはビザンチン建築の最高傑作ともいえる教会だった。それがコンスタンティノープル陥落後、つまり東ローマ帝国がオスマントルコに滅ぼされた後、モスクに変えられたのである。イスラム教の中にキリスト教の面影が垣間見られる、おもしろいモスクだ。
二つ目の出会い。アジアとヨーロッパの出会いである。イスタンブールのボスポラス海峡を挟み、東側がアジア、西側がヨーロッパである。観光名所やビジネス・ショッピングの中心はヨーロッパ側にある。だが、僕はアジア人として是非アジア側を見なくてはと思い、船に乗ってアジア側に渡った。
何もなかった。
アジア側は住宅地で船はそれなりに混んでいたが、船着場に着いたとたん、その人達はどこかに消えて行った。家に帰ったのであろう。僕は、遠い異国の船着場で、たった一人取り残された。
トルコに行ったのはもう10年前。怖いもの見たさではないが、イスタンブールのアジア側がどうなっているか、開けたかどうか、また見に行ってみたい気がする。
トルコでイスラムを感じたのは、やはりお祈りの時間である。モスクから大音響で祈りの言葉が響き、人々が跪いて祈っていた。さっきまで「あなた日本人。じゅうたん、安い。じゅうたん、買う」とか言っていたお兄さんまで、突然お祈りを始めたのには驚いてしまった。
もう一つはハレムである。トプカプ宮殿はオスマントルコの栄華が偲ばれる美しい宮殿である。そこにハレムがあった。宮殿全体から見ると狭い場所だが、そこに暮らす女性にとってはハレムが全世界である。他の男性から見られないためか、逃げ出さないためか、わからないが、窓もほとんどなかった気がする。空の代わりなのか天井が青く塗られていた。悲しい話だ。もっとも時代や宗教の違いもあり、それを見ていた彼女たちの本当の気持ちはわからないが。
トルコは、イスラム教とキリスト教が出会う(いや戦ったというべきか)国である。塩野七生に『コンスタンティノープル陥落』という本があるが、それを読んでイスタンブールに行くと、感慨もひとしおであろう(僕は残念ながら順序が逆だった)。アヤ・ソフィアはビザンチン建築の最高傑作ともいえる教会だった。それがコンスタンティノープル陥落後、つまり東ローマ帝国がオスマントルコに滅ぼされた後、モスクに変えられたのである。イスラム教の中にキリスト教の面影が垣間見られる、おもしろいモスクだ。
二つ目の出会い。アジアとヨーロッパの出会いである。イスタンブールのボスポラス海峡を挟み、東側がアジア、西側がヨーロッパである。観光名所やビジネス・ショッピングの中心はヨーロッパ側にある。だが、僕はアジア人として是非アジア側を見なくてはと思い、船に乗ってアジア側に渡った。
何もなかった。
アジア側は住宅地で船はそれなりに混んでいたが、船着場に着いたとたん、その人達はどこかに消えて行った。家に帰ったのであろう。僕は、遠い異国の船着場で、たった一人取り残された。
トルコに行ったのはもう10年前。怖いもの見たさではないが、イスタンブールのアジア側がどうなっているか、開けたかどうか、また見に行ってみたい気がする。