25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

あきれる

2017年12月01日 | テレビ

 元検事という肩書で相撲協会に入り、理事会の記者会見の席で、危機管理委員会の中間報告を行った。ぼくはあきれた。報告書の内容に、主観と客観が混っている。「あやまっていればその先にいかなかったと思われますが」というようなことは憶測の主観に過ぎない。両親を早くになくした貴ノ岩を常日頃可愛がっていた、というのも報告でするべきことでもない。モンゴル力士会についても触れるべきではない。警察の調査に任せるべきことである。

 連日のニュースを見ていると、これはリンチのようなものだと思う。数秒か、十数秒、周囲のものは見ていたのである。ぼくに言わせれば、当たり所が悪ければ命の危機さえあったかもしれない。

 まず、日馬富士は悪いことをしたと思ぅていない。旭富士親方もたいした事件でもなかったのに、どうしてこんな大事になったのか理解できていない。これは先の元検事も、理事長も同様である。

 理事長の「断腸の思い」発言にもおどろいたが、ぼくはこの元検事の報告にはもっと驚いたのだった。

 日馬富士でも白鵬でも、32か33歳のにいちゃんである。ぼくの息子より年下である。礼儀がなってない、と殴る、「兄さん」ちか「兄貴」などと呼ぶのは今の日本では、映画のヤクザくらいのもではないか。

 なんであれくらいのことで、と他の力士も思っているようでは、やがて大相撲はモンゴル力士だけになる、いや、モンゴルの若い世代さえ、個人間の対等意識が増しているかもしれない。