25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

それでも夜は明ける

2017年12月24日 | 映画
 
セラピスト

 50年後に残る職業として「セラピスト」がランキング4位に挙げられていた。「第4次産業革命(世界経済フォーラム ダボス会議」の発表である、セラピストとは直訳すれば「こころを癒す人」......
 

  去年はこんなことを書いていた。最近新書ばかり読んでいたが、小説も一作読んだ。「教場」という長岡弘樹の警察学校の話である。知らない世界のことだらけで、職務質問の仕方、パトカーに乗るにも4ランクの検定がいるとか、白バイのこと、逮捕術、調書など、へえ、へえというばかりであった。この小説以外は経済書ばかりだった。それに政策が絡むものもある。

 やはり、どう読んでも、どう考えても、日本政府は、あるいは日銀が、といってもいいのだが、危ない、出口もないトンネルをアクセルふかし、そこにはブレーキもないという有り様である。どう自分を守るかは、自分以外にない。

 さて、今年は山茶花の花が多く、去年剪定した甲斐があった。今年は草花も育てが、やはり樹木の花の方が放っておいてよいので、来年は草花はやめようか、と考えているが、きっとホームセンターに行けば、あらま、綺麗な花だ、などと買ってぢまうのかもしれない。

 二ヶ月ほど前に、裏庭の刈った草や剪定した枝木を燃やすのに、裏庭のドラム缶のそばに置いておいた。一ヶ月前に徐々に枯れたものを燃やしていたら、草がすでに腐葉土のようになっている部分があり、どこにはかぶと虫の幼虫がゴロゴロといた。おお、これは、と思い、孫達が来たら見せてあげようと思ったのだった。迂闊であった。一週間後再びのぞきにいくと、どうやら猪かなにかに食い荒らされた後があり、かぶと虫の幼虫は一匹もいなかったのである。柵を作ってネットでもしておけばよかった。湿った場所で幼虫は冬をすごすはずだっただろう。

 夜、「それでも夜は明ける」というアメリカ映画を見た。以前学生時代に「ソルジャーブルー」を見て、アメリカに入ってきた移民は原住民を殺して、なんとひどいことをした上での建国か、と思ったのだった。今回の映画は奴隷の実話である。アメリカも自慢のできるような歴史を持ってねえな、振り返れば短い歴史の中で恥部ばかりじゃねえか、と思ったのだった。アメリカは経済力はつけたが、何が自慢できることなのだろう。

 


採用慣習の不思議

2017年12月24日 | 社会・経済・政治

 いつも思うのはこの国の不思議な人材採用の仕方である。まず、なにがなんでも新卒主義である。とくに教員を含めた公務員は大学を卒業して社会的経験を積まないまま職場に入る。

 人材を即戦力として育てるのが大学ではなく、企業が行う慣習がある。育てている間に「鬱病」が蔓延し、仕事にならない若者も多い。

 日本の企業に勢いがないのは雇用の仕方にもひとつの原因があるだろうと思うゆえんである。

 日本は多くの分野で世界一位か二位を争っていたのに、現在では多くの分野で八位とか九位。東大もトップクラスにほど遠い。

 資源のない日本は頭脳や技で生きていかなければならないというのに、教育かける予算が少ない。少なすぎる。さらに新卒主義、せいぜい臨時教員の再試験採用である。

 相変わらず公共工事が多い。防衛費も多い。教育に重視をおく国ならば、教員の待遇をよくすることが必要であるが、新教員の社会的経験のなさを考えれば、世間が医師並みの給料をだすというのには抵抗があるだろうー

 特区を作れば忖度をする公務員。官邸に支配される独立のはずの日本銀行。この点では安部独裁支配になっている。

 共謀罪まで成立したのだから、反対運動もできない。この国はいつか破綻し、再生するが、破綻の責任を誰がとるのだろう。

 せめて教育だけは未来のこの国のために質を落としてはならない。