25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

明日の約束

2017年12月20日 | 映画

 ようやく、テレビドラマ「明日への約束」が終わった。この問題、つまり子供お自殺あ何が原因なのかは、20年前の神戸のサカキバラ事件で、識者の間では結構論議された。この場合は14歳の少年による残忍な他殺である。

 息苦しい親から解放を求める少年の右脳に自分だけの逃げ場所を見つ、そこでの想像が、現実侵犯にまで及んでしまった。カエルを解剖するときも、猫を殺すときも、快楽のホルモンドーパミンが放出されるという意見もあった。

 親が本気で謝り、少年とともに寝起きを共にして治療をおこなうほうがよい、という意見や、本を出した母親はまるでわかってなく、自己弁護が多いという批判もあった。

 この事件によって本来少年への刑を年齢を上げるべきだという意見もあったが被害者感情を考慮してか、ぎゃくに処罰の年齢が下がることになった。

 あれから20年。この間いくつもの少年事件があったが情報番組や新聞は事件の表層を伝えるだけで、ノンフィクション作家などに深いところのことは委ねられることになった。新聞などは真実のところまでわざといかないのである。

  昨日のドラマでは主人公である大人の女性で、しかもスクールカウンセラーとう主人公が最後に対して、家をでます、と告げる場面があった。そして、「私に謝って」というセリフがあった。原作者もしくは脚本家はきっと神戸の事件での論評を読んでいたに違いないと思った。

 完璧で正しい親というのはあり得ないと思う。母親の育て方に原因を求めれば、さらにその母の育て方と遡ることになる。昨日のドラマは「毒母とSNSで書かれる母親」の苦悩も描かれ、ある面でそれが罰となり、自分を振り返ることの契機にもなった。担任の教師は退職した。学校ウンセラーの女性も退職し、自分と母親お関係にも距離をおくことを宣言でした。

 現在のところの精いっぱいの掘り下げ方だろう。若干イライラしたが、結局最後まで見た。この種の事件はまだまだ増えることだろう。これからの事件にはさらに「格差」の問題が加わってくることになる。