25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

弔いの方法

2017年12月18日 | 日記

 転んで股関節の骨を折り、入院している母の状態があまりよくない。すでに骨は大丈夫であるが、腎臓がよくない。膵臓手術で腎臓がさらに衰弱したのではないか、と思う。体の中の尿が抜けきらないらしい。今日が検査で、明日担当医師と面会することになっている。

 そうすると、あれこれ、母の死について考えることになる。縁起でもない、と言う人がいるかもしれないが、ぼくは真剣に考えている。母にはたいへんいつまでも世話になった。気丈で、怖気ない人であった。

 遺体はぼくの車で病院から運び出す。その前か、間に、母を寝かせる部屋の片づけをしておく。寺には連絡しない。死亡届を出し、火葬の許可証をもらう。父の場合は母がいたから母の希望で寺で通夜、葬式をし、寺の裏の墓に父の骨を入れ、お坊さんにお経を唱えてもらったのだった。

 僕が喪主だから、寺を信用していないぼくは自分で家族を呼んで、弔いをする。棺桶は農協から買う。母の枕元には母の写真と母が作った短歌と描いた絵を飾る。好きだった歌を枕元でかける。父と母のアルバムはすべてSDに保存する。姉や孫たちにはそれを数だけコピーして渡す。クラウドに保存してくれてもいいし、スマートフォンに一部入れてくれてもよい、と告げる。火葬の時刻に火葬場まで母を運ぶ。棺桶は農協から購入する。遺骨は海に散骨する。

 墓に母の名前を刻みたいが、寺の許可が必要だと墓石屋は言うに決まっているので、ぼくが百年は消えないくらいの塗料を探して、それがない場合は、自分で刻んで刻銘する。

 この案でどうだ、と姉に問い、姉が反対したら、姉の気持ちを尊重して寺で行う。

 とこんなことを考えている。死というのはあくまでも自分では体験できないものだ。死は身辺の人にとって「死」である。だから一人でも反対者がいたら慣習に従おうと思っている。

 ぼくが死んだ場合は寺なしでよい、と妻に言ってある。妻の場合も同様である。ただし、息子、娘がそれはだめというなら好きにしてくれてよい。

 弔いのしかたも変化してきている。戒名代? 馬鹿な。お経代?馬鹿な、と思うのはぼくだけではないだろう。しかたがない? そんなことはない。92歳半の母である。

 

 

 

 

 

 

 

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