25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

猪瀬直樹、磯田道史、西尾幹二

2017年12月08日 | 社会・経済・政治

 

 貴ノ岩の復帰について、土俵以外での怪我被害者なのだから、特例として、番付を降格させないという救済方法がある。ぼくの考えはこうである。上記の特例を認めた上で、白鵬を含めたモンゴル力士が謝罪に出向き、激励をする。貴乃花親方にもする。その映像はモンゴルのテレビでも流してもらう。そういう風に、相撲協会が段取りをつける。

 このぐらいのことを相撲コメンテーターも言っていいと思うが、言う人がいない。聞いたこともない。貴ノ岩が早く稽古に出て、ガチンコで相撲がとれるように早くなってほしいものだなあ。

  さて、猪瀬直樹と磯田道史の対談本「明治維新で変わらなかった日本の核心」を読んで、面白かった。歴史の流れについては高校生程度のことは知っているものの、細部にわたって、長年の研究成果が出ていることを知るのは目からウロコ物もある。この対談本では平安、鎌倉、室町、戦国時代のいろいろなことが語られているが、特に江戸時代のことに多くのページを使っている。

 江戸期の武士はサラリーマンで、石高の多い武士でも、知行がまとまって一か所に与えられるのではなく、遠いところに100石、また別の場所に100石とかという風に分散されていたという。また譜代大名は石高が低く、その代わりに幕府の老中になれ、権威を与え、遠い外様大名には権威を与えず、財力を与えたが、その財力は徳川親藩を上回るものではなかったらしい。

 武士は総じて貧乏であるが、町人からも恭しくもてなされていた。百姓は自由な経済活動ができ、財力をもつものも輩出している。その点では、日本の農民は朝鮮やロシアのような農奴とは違う。識字率も高かった。読み書き算盤もできる農民も多かった。この農民の自由度と経済力があって、日本は資本制や競争経済への移行がスムースにできた、という。

 思えばマルクスが洞察した資本主義社会はイギリスが想定していた。それが農奴制のきついロシアで社会主義革命が起こってしまった。社会主義になる前の資本主義時代を経ることなく、ロシアはスターリンの独裁政治を作り出してしまい、彼の死後も、共産党独裁が続き、ついには社会主義国家建設が頓挫した。下支えするのが農奴から解放された人たちであったが、それは無理というものだ。

 対談本によると、徳川家康は戦争が二度と起こらないよう、綿密な構想を立てて、地方分権制を定着させた。天皇は戦国時代には官位を売って暮らしていたが、家康は1万石を与えた。そして二度、1万石を増加し、3万石とした。

 そんな家康にも250年後の日本はわからなかったのだろう。それはアメリカ、ヨーロッパ列強の技術力である。蒸気船でまさか外国から大砲を積んだ船がやってくるとは思わなかったのだろう。船造りを規制し、重要な川の橋を作らせず、戦争を無しとした江戸幕府はアメリカの大戦や医学などにびっくりしたのかも知れない。ヨーロッパでは着々と産業革命が起こっていた。

 この対談本から知らなかったいろいろなことがわかる。一反で獲れる米の量の変遷もわかる。武士の知行についても詳しくわかる。権力、財力を捨てた皇室についてもわかる。江戸期を賛美することもないが、この時代に我々の無意識も出来上がってきたのではないかと思わせる。またそれゆえの危なかしさもわかる。

 妖怪のごとくテレビ画面に出てきたプライムニュースでの西尾幹二の言説を聴いていて、オレは違うなあ、まるで反対の考え方以上に違うなあ、と思ったのだが、同じ日本列島で生まれ、育ったのに、どのようにしてこうも考え方が違うのだろう。この強い保守意識は何なんだろう。戦争のせいなのか。ぼくは戦争経験世代ではないためか。西尾幹二もはや82歳である。無念の内に幕を閉じてもおかしくない齢である。この真正保守を自認する彼は安倍政権への失望感を愚痴り、自衛隊の予算を今の3倍にして生物である日本人を守らなければならないと嘆きのごとく恨み節を言っていた。

 などと思って、また猪瀬と磯田の対談本を寝床で読んだのだった。そして「未来年表」をまた取り出して眺めることをした。