25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

天皇退位で思うこと

2017年12月04日 | 社会・経済・政治

 天皇の退位日と新天皇の即位の日が発表されて、それが4月30、5月1日dsということでガックリした。ぼくらには12月31日、1月1日の方が分かりやすいからだ。

 天皇について現在では考えられないことをふと思った。バリ島ではバリアンという呪術師の力を強く信じられている。警察にいくよりバリアンに行かれることを罪を犯した者は恐れる。女性は髪の毛を盗まれることに用心をする。髪の毛を持って邪悪なバリアンに行かれると、その男に身体を奪われると信じている。雲は動かせると誰しも思っている。輪廻転生も当然であると思っている。宗教的儀式には素直に従い、お供え物は毎朝欠かさない。

 日本の天皇も昔は呪術師のようであり、村から村へとその権威は高まり、いくつもあった国を従えて行ったのだろう。科学が未発達の頃だ。天変地異があり、人には不幸が襲いかかる。怨霊も、祟りも信じられていた時代が長く続いた。天武天皇の時代に朝鮮半島との縁も切り、海に囲まれた日本は独自路線で歩むことになった。武力と宗教的権威が一体化した政権はやがて、武力を捨て、五穀豊穣を祈る宗教的権威だけを持ち、雲上の人となった。

 現在のような象徴的存在というよりも、呪術的な力を畏怖させる存在にいつの間にかなったのではないか。官位を与えるという律令制度も天皇の地位を維持させた要因ではあるだろう。戦国大名などは官位を買って、宮家は生計をたてていた、というから、貨幣よりも、名誉や地位という上下関係の欲望が意識化されていた。

 脈々と天皇家は続く。今上天皇は模索しながら現在の象徴としての天皇を世間に見せながら、ぼくらが知らないところでやはり宮中祭祀を行う。

 イギリス王室のようにはなかなかにならないだろう。膨大な時間、あらゆる時代を生き通してきた世界唯一の存在である。どうなっていくのだろう。