エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

小淵沢便り・・・八章

2013年11月28日 | ポエム
小淵沢便りの終章である。
最早、冬籠の季節となってしまった。

だがしかし、金色に染まる晩秋の小淵沢は紹介できたはずである。



朝日に輝くからまつの並木である。
小淵沢のお隣の街、富士見町にある「富士見高原病院」の今をお知らせしたいのである。



病院の正面玄関である。
ここに、富士見療養所があった。

1926年(大正15年)に富士見高原療養所として設立され結核の高地療養を主目的とした施設であった。



初代院長は正木不如丘。
療養所は3年で財政難に陥った。
文才もあった正木は、文筆活動で収入を得、療養所の経営を支えたのであった。
戦後は医療の進歩もあり結核療養施設の意義は薄れ、正木も医師を引退したのである。



病院の敷地内には、正木の石碑が建っている。



このサナトリゥムには、著名な文人が療養生活を送った。
画家の竹久夢二、作家の横溝正史、童話作家・詩人の岸田衿子(えりこ)らの文化人が入所。



堀辰雄は、昭和初期に婚約者と共に療養生活を送った体験を基に「風立ちぬ」を著したのであった。



今でも、そうした病院の経歴を偲ぶ病院の敷地内である。
けれど、サナトリゥムは老朽化が激しく、解体されてしまった。







「胸を病む文筆の徒の冬隣」







ぼくが訪なった日、日曜日であった。
人影のない病院内・・・事務室から出てきた女性職員に話を聞く事が出来た。
「サナトリゥムの建物を買い取ってもらえないか、町に打診したけれど駄目だったんですよ!」
「それで、残念だけれど解体してしまったんです」



いま、工事中である。
新しい病棟が出来るのであろうか?

残念である。



その話をしてくれた女性が、街に降りて行った。
丁度昼時。
お昼御飯でも買いに行ったのであろうか。



     荒 野人