エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

平林寺吟行記

2013年12月06日 | ポエム
天候に恵まれた吟行であった。
晴れ女と自称し、他称もされる「二三恵」副主宰の参加があったからではないかと、密かに思っている。



見頃は過ぎていた。
ぼくは、たまさか由利主宰と二人で平林寺内を歩く機会の恵まれた。
「野人さん、あれは何?」
「紅葉です」
と、ぼく。
「褐葉です」と続けた。
「冬紅葉、だよ。褐葉は綺麗な言葉では無いね」と主宰が仰った。

そう、俳句は綺麗な言葉であって欲しい、その主宰の願いが響いた。







「青空へ光返せり柚子小粒」







見頃を過ぎたとは言え、まだまだ紅葉は輝いている。
照紅葉と詠った句友も多かった。



この寺は、松平伊豆守・・・知恵伊豆の墓所がある事でも有名である。
松平一族の墓所でもある。

この細い一本道は、松平の墓所エリアへの参道である。



句会は、中原・本多集会所。
20名あまりの参加者。
各人、3句の投句。

充実した句であった。
写生し、その中に生き様を詠いこんだ句が多かった。
吟行する事の、その意味の深さに気付いた一日となった。



主宰、副主宰、砂流先生、あかり先生、美代子さんにご指導頂いた。
感謝の一言である。
しっかりと現実を見る。
だがしかし、見えない物も見る。
聴こえない音も聴く。

そのバランス感覚も磨かなければならない。
俳句は深いのであり、途方も無く広い。



       荒 野人

今日は吟行

2013年12月05日 | ポエム
今日は、埼玉県新座市の平林寺への吟行である。
京都の色彩に負けない、紅葉の一山である。



この紅葉は、家の近所であるけれど淡い色づきが好もしい。
大好きな一画である。

この紅葉に光が当たると、一際鮮やかになる。



黄色に色づく種である。
この場所は、赤、黄、緑と千変万化の色彩で楽しませてくれる。







「紅葉の見頃過ぎたり褐葉良し」







平林寺の紅葉はそろそろ、見頃を終える。
けれども、明日はまだ奥庭の方が綺麗だと思うのである。



明日、平林寺の紅葉をお見せできると思う。



天気が良ければ、褐葉であっても綺麗なのだから・・・。



      荒 野人

赤い冬

2013年12月04日 | ポエム
今月7日は大寒である。
それにしても、ここのところ晴天が続く。
5日には新座市の平林寺へ、吟行である。

紅葉の名所である。
全山が紅葉に染まる。
京都にも負けない赤である。

紅葉に関する「季語」を調べに図書館に出かけたのであった。
我が家にある歳時記以外にも、紅葉に関する季語は無いのかと思ったのである。



図書館の周囲には、静かな林が広がっている。
赤い晩秋が、いや初冬が豊かに広がっていた。



木守柿である。
見事に一つ残されている。

真青な空に良く映える。
これじ初冬の空である。



赤い山茶花。
鮮やかである。







「赤い冬どこもかしこも赤い色」







上が、ピラカンサスの赤い実。
下は、サンショウの実である。



ところがこの赤い実、正体が不明である。
看板は「サンショウ」となっている。



しかもミカン科とある。
ミカン科もサンショウなら、どこから見ても「山椒」なのである。
ネットで調べてみたけれどやはり、山椒しか出てこない。

看板が間違っているのではないか?
とさえ思ってしまうのだけれど、ずっとこの看板である。
不思議である。



枝も折れよとばかり、豆柿がたわわに実っている。
誰も収穫しないのだろうか?
熟し切っている実生もあって、哀れを誘う。



錦木の赤い葉である。
ハッとするほど赤い葉もあって、目を楽しませてくれる。

赤い初冬は、寒さもまた楽しい。



      荒 野人

遊園地の晩秋

2013年12月03日 | ポエム
遊園地の晩秋に響く、子の声はカラカラと乾いて楽しそうだ。
土曜日、豊島園に出かけた。
園内の木々は、晩秋を演出する風情である。



豊島園は、この夏から良く出かけたものであった。
プールは終わっても、遊具が楽しい。



若者は、キァーキャーと嬌声を上げるけれど、幼い子ほど静かに楽しんでいるといった感じである。
園内は何処を見ても晩秋である。
それが、とてつもなく楽しい。



陽だまりのベンチ。
そこで食べる、温かいラーメン。
冷たいジュース。
どれも美味い!



白い山茶花が満開である。
山茶花が咲けば、子どもは楽しい。
子どもの動きが、より華やかに見えるのだ。



ホマラヤ杉の黄葉は、肌理細やかな気配であって陽に輝きながら落ちてゆく。
その様は、からまつの金色の黄葉と同じで鮮やかである。







「落葉踏む子の足跡の柔らかし」







銀杏の落葉を踏みながら遊ぶ。
園内に落葉を積み上げた囲いがあった。
そこで遊んだら楽しいだろう・・・。


    
      荒 野人

蔦紅葉

2013年12月02日 | ポエム
真っ赤だな
真っ赤だな

と、歌われる紅葉。



昨日の銀杏は・・・。
真っ黄だな、と歌われる事も無い。

少し寂しい。
豊かな日本語である。
真っ赤に対置する、黄葉の表現は無いものだろうか。
精々、小判色とか・・・。



さて、今日は蔦紅葉である。
蔦カズラと言っても良い。
この蔦が枯れると、屋根と言い、壁と言い蔦の紐で縛られているかのように悲惨に見える。
蔦枯れる、あるいは蔦枯る、は初冬の季語となる。

秋から初冬にかけて、目をたのしませてくれる蔦である。







「蔦紅葉這い上がるほど靭さ増し」







昨日の空と雲は、変化に富んでいた。



まるで、雲を毛先の細い刷毛でサッサッと跳ねあげたような雲が浮かんでいた。
遊弋しつつ、千変万化する。



雲は天才であるのだから、けだし当然と言うべきか。



      荒 野人