この「ふいご祭」の本を手にとってまっさきに思い出したのは
昔小学校の頃習った村の鍛冶屋の歌だ
村の鍛冶屋(かじや)
作詞作曲者不詳/文部省唱歌(四年)
暫時(しばし)もやまずに 槌(つち)うつ響(ひびき)。
飛び散る火の花、はしる湯玉(ゆだま)。
鞴(ふいご)の風さえ 息をも継(つ)がず、
仕事に精出す 村の鍛冶屋(かじや)。
あるじは名高き いっこく老爺(おやじ)、
早起(はやおき)・早寝(はやね)の、病(やまい)知らず。
鉄より堅(かた)しと ほこれる腕(うで)に
勝(まさ)りて堅きは、彼がこころ。
刀(かたな)はうたねど、大鎌(おおがま)・小鎌(こがま)、
馬鍬(まぐわ)に作鍬(さくぐわ)、鋤(すき)よ、鉈(なた)よ。
平和のうち物 休まずうちて、
日毎(ひごと)に戦(たたか)う、懶惰(らんだ)の敵(てき)と。
かせぐにおいつく 貧乏なくて、
名物鍛冶屋は 日日(ひび)に繁昌(はんじょう)。
あたりに類(るい)なき 仕事のほまれ、
槌うつ響に まして高し。
上記は文部省唱歌 村の鍛冶屋の歌詞だが
今は小学校で教えていないそうで昔々の歌となってしまった
何処を探しても野鍛冶など無くなってしまった現代だから
仕方あるまいが 昔の営みを後世に伝えてゆくのも教育の在り方
であろうに と思う
そんな現代にあっても いまだ旧暦の11月8日に鞴祭りが続けられている
ことを 今回読んだ 秋川静 著「ふいご祭」で初めて知った
鍛冶屋に限らず町の鉄工所でも鞴祭り(吹子とも書く)
の風習はあったようで 鞴は火造りには欠かせない道具
たたら製鉄の時代から延々と使われ続けてきた
滑稽面のヒョットコは火男と書くが
吹子と書いてもよさそうだ 男が火吹竹を吹く姿を表している
そうだが ふいごの化身のようだ 斯く斯くさように鞴は生活に欠かせない
アイテムであった時代も今は遠いむかしになった
(火造り=鉄材を炭を熾した中に入れて鞴で空気を吹込み温度を上げて鉄を柔らかくしてハンマーなどで鍛造作業をすること)