灘崎文化センターでのコンサートの後
久しぶりに倉敷のバー漂流を
深夜までゆっくり楽しんだ
バーの締めは??
日曜日でも遅くまで美味いパスタを食べさせてくれる
お気に入りのフレンチ
味 なかがわへ
締めのラーメンは古いよ
仕上げはクリームパスタだーーー!!
でも
ロートルには少しカロリー高めでだよね
灘崎文化センターでのコンサートの後
久しぶりに倉敷のバー漂流を
深夜までゆっくり楽しんだ
バーの締めは??
日曜日でも遅くまで美味いパスタを食べさせてくれる
お気に入りのフレンチ
味 なかがわへ
締めのラーメンは古いよ
仕上げはクリームパスタだーーー!!
でも
ロートルには少しカロリー高めでだよね
なんの予告もなく
今まで使っていたグーブログが
フェースブックと連動しなくなった
ウインドウズパソコンで今試しているが
アイパッドだけダメなのかな
不意打ちとは如何なものでしょう
NTTも余裕が無くなってしまったのかな
Dポイント騒ぎの影響かな?
これからはPCでブログを書くしかないな
今読んでいるあきない世傳金と銀の九は
コロナ禍の現在をなぞらえて描かれているのか
予見していたのか?と思う話が載っていて驚く
特に「菜根譚」の章
まさに今を思い出す漢文である
菜根譚
中国明代の洪応明(字は自誠)の随筆集
抜粋
衰颯的景象 就在盛満中
発生的機緘 即在零落内
「衰える兆しは最も盛んなときに生まれ、
新たな盛運の芽生えは何もかも失った時、既に在る」
「だからこそ、君子たる者は、安らかな時には油断せずに
一心を堅く守って次に来る災難に備え、また、
異変に際した時にはあらゆる忍耐をして、物事が
成るよう図るべきである」
以上のような人生訓を紹介している
あまりにも現在のこの状況を見越した一文を読んだので
驚嘆してしまった
この菜根譚という書物は家元である中国では早くに廃れたが
日本では江戸時代から和訳が出版され
多くの偉人に影響を与えてきたというから皮肉でもある
あきない世傳金と銀 九 淵泉篇が届いた
涼しくなったのでゆっくり味合わせてもらおうと思う
が
この文庫の腰巻に10月16日全国一斉公開
みをつくし料理帖の予告が載っている
もうすぐかと思ってよく見ると
大ファンの松本穂香が澪の役をするとある
こんな嬉しい事はない
ますます公開の日が楽しみになった
その日は同窓会ゴルフコンペの日と重なってしまって
封切り日に観に行けないのが残念だが
これが久々のゴルフと映画になる
早く三密を気にしないでよい
日々に戻って欲しいものだ
今年はコロナの影響で
どこも彼処も中止中止で
コンサートに行けていない
で
ほぼ素人のグループが
身の丈に合わないホールでコンサートを
開催する運びとなった
灘崎文化大ホールは1000人収容出来るとか
いくら密集を避けるといっても
半分も召集できる当てもないし
会場の貸切金額は曲げられない
と
いつも行っている音楽サロンに
泣き付いてきた
勿論チケットは購入させてもらったが
貧相なコンサートは可愛そうだ
20年9月27日(日)14時開演だ
お暇なら来てよね♪
ラ・フレーズライブ 灘崎文化大ホール
大人千円だそうです
司馬遼太郎の紀行文集に「街道をゆく」という作品があった
が
これはさしずめ「旧道を往く」だろう
自転車を走らせるには
車の往来が少ない道に限るのだが
特に田舎道 本線から外れた旧道がベストだ
全国各地には街並み保存地区やら
伝統的建造物群保存地区なるものが増えた
何処にでも旧道沿いには
半世紀は前の風景が残っている
早朝にほとんど人気のない道を走っていると
もっともっとゆっくり走らねば勿体ないと
思わせる景色が拡がり
懐かしさで一杯になる
上高田の廃校前を過ぎた辺りで
桃太郎のお嫁さんの看板が目に止まった
ほう!これはお詣りせねばと
岡山第二社鼓神社の鳥居をくぐった
神仏混交の名残が
なかなか広い境内には立派な鐘も
県内屈指という宝塔も鎮座している
吉備国の母神さまが
何故桃太郎のお嫁さんなのかの由来を
示すものは見落としたが
かなり由緒がある神社なのだろう
あれ程暑い暑いと言っていたのに
週明けは
何と涼しいを通り越して寒い
思わず長袖シャツをもう一枚羽織って
走り出した
空を見上げると
上弦の月が鮮やか
吉田拓郎の旅の宿を思い出す
吉備路自転車道に出ると
秋の風情濃厚だ
稲穂も垂れ始めている
良い季節になった
皆さん旅の宿が恋しいでしょうね
例によって今朝も早朝から水島の福田公園まで
自転車で走った
大廻りしたのでなかなかの距離
片道約2時間
シブ子のゴルフ中継までにはテレビの前にと
帰りを急いだ
自宅到着寸前で
横道から出てきた
若い女の子の車に衝突されて
転倒した
車から出てきた女の子は若くてなかなかの美形
あちら
接触事故を起こした割に落ち着いている
オイラが車ならパニックを起こしていただろう
すいません以後気をつけます
と言っていたが
あの調子なら次は大事故を起こすかもしれない
気をつけて下さいよ!!
こんな年寄りでも殺したらオオゴトになりますよ!!
オイラ
いくら最近若い美人とセッ?テンがないからと言って
事故で知り合うのはイヤイヤよ♪
まあ派手に転んだ割に怪我がなくて良かった
運動神経戻ってきたかな???
何気にネットを見ていたら「あやまち」という言葉が載っている
富山弁で怪我をする事足などを挫くことを「あやまち」
というと書いてあった それを見て思い出したことがある
今は亡き母にオイラが子供の頃よく言われていた言葉
無免許で父親のオートバイに乗って遊んでいる時とか
サンダルで柿の木に登っている私を見て
そんな格好で木なんぞに登っとると
「あやまちゅう」するで
我が家はれっきとした岡山の田舎 富山に親戚も
知り合いもいない なので今の今まで
あやまちは岡山弁?標準語?かと思っていた
富山に同じ意味の言葉が方言として残っていたとはね
古語なのか武士言葉なのかはわからないが
言葉は面白い
近所にある馴染みの酒屋に寄った
家飲み用の日本酒と芋焼酎が目当てだったのだが
今日成羽の知り合いが届けてくれた
猪を解体中だという
骨付きだけど持ってゆくか?
という嬉しい言葉
ありがたく頂いた
足一本分の骨付き肉
直ぐには食べられない
悪戦苦闘して包丁を振るった
どうにか焼肉と猪鍋用に切り分けた
ジプロックに4つに分けて冷凍庫へ
一丁あがり!!
昨夜夜更かしをしたせいで目を覚ましたのは
5時半を過ぎていた
さて今朝は近場でと
東に走った
朝日がまぶしい
急いで出てきたのでサングラスを忘れた
陵南地区から花尻へ
黒住教の神道山への道を登った
直ぐに吉備中山
御陵への急坂を自転車を押して歩く
良い運動になる
広場は桜の名所らしいが
確かにここからは吉備の穴海がよく望めただろう
この一帯は古墳だらけだ
車山古墳から吉備津彦命の御陵そして茶臼山古墳
の山道を巡る
まだ薄暗い道の先には
物の怪でも出そうな雰囲気が漂う
古代史ファンには是非一帯を散策してほしいものだ
吉備津神社へ下る坂道は
ブレーキが焼けそうで怖い
ディスクブレーキが欲し
8月は連日破壊的猛暑だった
ベランダの
鉢植えは耐えきれず枯れてしまったかに見えた
ことにある人から貰った紫陽花は酷い
これは助けねばと思いたって
毎日朝夕欠かさず水遣りした
ら
アララ
猛暑の中新しい葉が伸びて来た
嬉しいものですねー
もしかしたら秋に紫陽花の花がみらるかな?
これからも
献身的に見守ります
最近よくお会いして話す
同年代の人 宗氏は
SPレコードコンサートの幹事をしているせいもあってか
クラシックやオーディオに造詣が深い
電力会社一筋で定年を迎えたとはとても思えない
知識もさることながら
とても几帳面な上に人格者で
何時も感心してしまう
その宗氏と同年代のせいもあってかいがいと趣味が合う
そんなわけで
録り貯めた音楽DVDやCDをプレゼントしてくれた
宗氏から頂いたCDケースを見ると
几帳面さが表れていて面白い
教師か教授の仕事が似つかわしくおもえる
オイラとはまったく正反対だ
有り難く聞かせて頂きます
最近買ってきた吉村昭の「東京の下町」というエッセイ集
を読んだ
戦前の東京日暮里に育った作者の慎ましくも温かい暮らしの思い出
そこには母がいて父がいるそして兄弟達と悪友たちとの懐かしい
庶民の暮らしがあった
年代は少しずれるけれど 自分の思い出と共通する
田舎の住宅地を自転車で走ってい時 ふっと 古い民家から漂ってくる
朝餉の匂いを嗅いだ時のような
五感を駆け抜けるなんとも言いようのない懐かしさに溢れている
戦争で何もかも無くし 全てを諦めざるを得なかったさまが
今 コロナ禍で自粛自重している様子に重なって悲しくもある
そうなのだ
今は七十五年前と同じような厳しい現実の中にいるのだ
早朝自転車で一時間はしると
どこまで行けるか?
平坦か坂道があるか車の多少や信号の数
で
結構ばらつきがある
田舎方面に向かうとやっぱり勾配がキツくなる
でも信号は少ない
などと独りごちながらいつも走っている
今日は真北に走って
吉備高原都市を目指したが
黒谷ダムで時間オーバー
旧道から脇道砂利道を辿ると
ダムの堰堤の真下にたどり着いた
立派なモニュメントが迎えてくれた
上の道は昔からよく通るが
こんな場所があったなんて
知らなんだ知らなんだ!!
人知らぬ綺麗な公園だ
良いねー