当時の職場の先輩が、姪にねだられて無理やり買わされたネズミ。
気が強くて手に負えず、そいつはボクのところへやってくることになった。
たまたまそのころハムスターのコミックを読んでいて、
本当にたまたまハムスターに興味があったボクは、
仕事場に連れてこられたネズミを「かわいいー」と云ったばっかりに
ゲージから回し車から一切合財を譲り受けることになったのだ。
体調が5センチばかりのドワーフハムスターはシャンガリアンと云う種類で
真っ白な毛がとてもきれいだった。
怖がりで警戒心が強いために、ちょっとしたことで「ギーー」と威嚇の声を上げた。
何度も指を噛まれながら、ボクの匂いを覚えさせ、
それでもそのうち掌に黙って乗るようになった。
ボクが渡したヒマワリの種を両手で受け取って、器用に皮を剥いて見せる。
小さなネズミは「キョン」と名付けられた。
〇
キョンはとにかく元気が良い。
ゲージの網を登るのが好きで、いちばん上まであがってはあっけなく墜落する。
何度も何度も飽きることなくそれを毎日繰り返した。
回し車も大好き。
ただし、部屋の電気が消えて真っ暗にならないと回さない。
もともと夜行性のハムスターは闇夜を何キロも走る。
カラカラ、カラカラ、キョンは回し車の荒野を夜通し走り回る。
ゲージの中にふんわりと敷き詰めた牧草も
一晩できれいに踏みならされて、真っ平らになる。
あの小さな身体には、もの凄いパワーが宿っているらしい。
〇
最近では野良ネコも珍しいけど、
そのネコはいつの頃からか、ボクの庭へ来るようになった。
とにかく巨体!
喧嘩が絶えないのだろう、満身創痍でズタズタのボロボロだ。
ひとを見ても全く動じない。
太太しく、ゆっくりと歩いていく。
その態度と薄汚れた外見から微塵の可愛げも無い。
何にでも名前を付けてしまうボクなのに、
なぜか知ってずいぶん経つのに、いつも「あいつ」と呼んでいた。
嫌いだった。
いつもひとのことを見透かしたような目で見返してくる。
脅かしてやっても、鳴き声ひとつあげず、驚きもしない。
〇
冬のある時、
そう云えば「あいつ」最近見ないな、と不意に思った。
寒い日が続いていたし、よくは知らないがきっと相当な齢のような気がした。
ちょっと、哀れな気がした。
が、もちろん冬の寒さぐらいで逝ってしまうようなヤツではなかった。
それから2,3日たった日の朝。
「あいつ」はボクのクルマの下で寝ていた。
ふん、と思って蹴る真似をして追い出そうとしたが、
「あいつ」はいつもどおりちっとも慌てず、
面倒くさそうにのそのそと通りを渡って、隣の庭に消えた。
〇
ハムスターの寿命はだいたい2~3年と云われている。
キョンは2008年生まれなのでもう3歳になっていた。
今年の冬は越せないかと思っていたけど、なんとか春を迎えた。
ただそのころから衰えが激しくなって、
目が開かなくなったり、はしごが昇れなくなったりしていた。
毛並みも悪くなって、手足の毛も抜けてきた。
大好きな回し車も、少し回しては弾き飛ばされるように下へ落ちるのでゲージから外した。
それでもキョンは毎日せかせかと動き回り、網を登っては転落し、
いっぱい食べては、いっぱいフンをし、毎日懸命に生きていた。
老いを目の当たりにしたころは、なんだかかわいそうで
不自由な手足をばたばたさせる姿を痛ましいと思っていた。
けれど、そんなことお構いなしに網を登り続けるキョンを見ていて、
ある日、はっとさせられた。
命ある限り、懸命にそれを生ききるキョンの直向きな姿に教えられたのだ。
目が開かなくなっても、手足が思うように動かなくても、
与えられた命を全うしようとしているキョンを、痛ましいと見るのは失礼ではないかと。
それからは毎日キョンの姿を見るのが楽しみだった。
こんな小さな命から教わった大切なこと。
直向きに命を生きることの大切さ。
〇
お盆の中日の朝。
キョンは命を全うしていた。
まだ少し暖かくて、ハナもピンク色だった。
〇
オートバイに乗りながら、気持ちを整理するのが習慣なので、
いつものように銀ジィ(’81R100RS)に乗って、いつもの道へ走り出す。
涼風の里で木陰にオートバイを停め、ぼんやり風に吹かれていたら、
枯れ葉が落ちてきた。
ふと見上げると、サクラの木。
サクラの落葉がもう始まっていた。
今年は案外秋が早いのかもしれない。
〇
昼前に家に戻った。
銀ジィを車庫に仕舞っているとき、妙な気配を感じた。
「あいつ」だった。
向かいの家のフェンス越しにボクを見ていた。
ちゃんと座って、真っ直ぐに顔を向けて、
まるで「大丈夫か」と云っているかのような感じだった。
いや、ボクの勝手な妄想か?
でも、正直、とても不思議な安らぎを感じた。
うれしかった。
うれしくて、急いで家から喰いかけのパンを持ってきて
「あいつ」に、驚かさないように出来るだけそーっとパンを投げてやった。
でも、いじめて来過ぎたよね・・・
「あいつ」はいつものように、のそりと身をひるがえして、草むらに消えた。
これからはもう少し優しくしてやろう、そう思った。
〇
ネズミとネコの話はこれだけだ。
でも、何だか不思議な気持ちがしたよ、ボクはね。