ソロツーリストの旅ログ

あるいはライダーへのアンチテーゼ

振り返ってみるとずうっとオートバイがいちばん好きだった

我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか とゴーギャンは問う

2025年02月25日 | R100Trad (1990) クロ介


マイナス5.6℃まで冷え込んだ

強烈な寒波が長く居座るのだと気象予報士はしつこく忠告する

家の前に停めてある我が愛車には霜がびっしり

風はなさそうだが確かに寒い

さて、どうしたものか



今週はきっちり充電器に繋いでおいたクロ介(BMWエアーヘッドボクサー)

「機関維持」のために今日は走っておきたい

ためしに表へ出てみるとなんだかそうでもなかった

時折ゆるい風が吹くとそれは怖ろしく冷たいけど

日差し自体にはすでに力強さを感じる

見上げた空の色も

そこに浮かんだ雲の形も

確かに季節の移ろいを感じさせる

気付けば遠くから雲雀の声も聞こえた



クロ介をガレージから出して始動させる

今日はもちろん一発だ

暖機の間にジャケットを羽織りブーツを履く

チョークを戻してヘルメットをかぶり、素早くシートへ跨る

袖口の収まりに気を付けながらグローブをはめれば

さあようやく出発だ

ゆっくりローで引っ張ってから、そっとけれど確実にセカンドへ蹴り上げる

もうエンジンは少しもギクシャクしなかった

クロ介も春を予感しているのかもしれない



通勤ラッシュの時間帯を過ぎた国道は少し空いていた

サードギアのまま巡行させる

クロ介のトランスミッションは5速だ

けれど高速以外では5速へ入れることはほとんどない

普段3000~4000rpmを使って走るが

それでも4速では100㎞/hを越えてしまうので

サード(3速)を使うことが多い

それで40~80km/hの速度レンジをカバーしている

ダッシュする時はセカンドで5000rpmくらいまで引っ張るかな

ワインディングは2速3速

山の中の狭路は2速

1500rpmくらいまで落ちてもスナッチが出ることはない

その辺はさすがのツーリングマシン

だからSR400に乗り換えるとなんだかちょっと忙しく感じてしまうこともあるが

でもあいつはそこがいいとこだから

ギアを上げたり下げたりね、あれはあれで楽しい

それとは対照的にクロ介は本当にゆったりとどこまでも駆け抜けていく



このブログの主題は社会の中の個、なのかな、と最近感じるようになった

変化を求められる「社会」とそれに馴染めない「個」の話



この国の「社会」は資本主義と云われる経済イデオロギーで動き

個人の人権を自由で平等なものとして扱おうとしているようにみえる

人間にとって社会は必要だ

必要だから生まれ、その中で繁栄してきた

そこで生きていく以上、社会に飲み込まれるのは必然だ

社会においては常に変化に対応することが必要で

社会は個人にも変化するように求めてくる

喜ばしく望んだ変化もあるだろうが

腹立たしくしぶしぶ従うような変化もある

否応もなしにという訳だ

なぜ変化が必要かと云えば生き残るためで

「改善」という変化を繰り返し利益を追求する

利益こそが生存の糧なのだ

それを邪魔するものとは敵対し捻りつぶしにかかる

レッドオーシャンとかブルーオーシャンとか薄気味の悪い言葉だ

変化できないモノを糾弾し変化を強要する

静観は許されず絶えず行動することを求める

もちろん「社会」の中ではね、と注釈はつける



トランプ劇場2.0にいま世界は戸惑っている

生涯の資本家であるトランプ大統領は強烈に変化を求める

いや、強制してくる

けれど分かっているはずだ

この資本主義経済の中で生き残るのは変化に対応できるヤツだけなのだ

でもボクはちょっと違う見方をしている

ー21世紀に入ってやはりグローバル化と多様性に対する寛容さが

急激に加速し今や行き過ぎてしまったのではないかと、

ーそのせいで人々の中にあった国家主義的な欲求がまた騒ぎはじめ

少しネジを巻き戻す方向に動き始めているのではないかと、

ーあまりにも「いい子」であり過ぎたりそれを求められ過ぎたりで

息抜きする間もなかったのではないかと、

紙のストローを強要したり電気自動車を強要したり

あれはダメこれはダメのがんじがらめだ

SDGsも正直少し寒気がする

目標は必要だが強要となると他の都合があるのかと勘ぐってしまう

未来の地球のために環境を重視した行動をとることは必要だし

世界中の人が助け合って皆で幸せになりたいとも思う

男とか女とか肌の色によって態度を変えるなんておかしいと確かに思う

けれど、思うと実際やるのとでは相当違うものだ

行動と感情に齟齬があれば人は簡単に壊れる

いま一度立ち止まって世界を再構築する時期なのかもしれない

と無力なおっさんは地球の片隅で傍観している



でも

これだって幻想にすぎない

そもそも我々は「人間」である

この宇宙の法則の中で奇跡的に存在している

物理学者たちはこの宇宙があまりにも上手く出来過ぎていると感じ

違う物理法則で成立するパラレルワールドがいくつもあると考える

加速器の中で故意に衝突させた粒子がこの宇宙を崩壊させるかもしれない

人間の生命など宇宙にとっては微小な存在だ

けれどこの身体を構成する元素はみな何時かの何処かの宇宙に存在した破片でできている

たとえば血液中の赤血球に含まれるヘモグロビンは全身に酸素を運ぶが

ヘモ(ヘム)=鉄は太陽よりもはるかに大きな恒星(超新星爆発を起こすレベル)

の内部でしか生まれないものなのだ

つまりこの体の中の鉄は自分で作った訳でも親から貰った訳でもなく

地球が出来るときに集まってきた何時かの何処かの星で作られた鉄なのだ

「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」とゴーギャンは問うたが

それはもう宇宙から来て、宇宙そのもので、宇宙に帰る存在だ、と云えるだろう

ボクたちは宇宙の欠片であり宇宙そのものだ

どんなに変わろうとしてもそんなの所詮頭の中の意識が作り出したノイズ程度のものじゃない?

だからこの一瞬の「生」にあまり多く意味を持たせない方が良いとボクは思う



話がでかくなり過ぎたようだ

このブログの主題が「社会」の中の「個」、みたいな気がするというという話に戻る

いろんな考え方や感じ方があるから面白いとはボクも思う

どちらかと云えばボクの考え方はその中では気妙な方だろう

それは自分でも感じる

でもそれはこの国のこの時代に生きているから、とも云える

もっと違う国、違う時代なら妙ではないかもしれない

それは「個」が生きることがそれほど「社会」と結びついている証拠でもある

仕事をするとは「社会」参加することだし

生きていくためには社会参加が必要だ

そして「社会」に出ると否応なしにここでは「変化」していくことを求められる

新しい情報を常にキャッチし自分なりにそれを消化し続けていく

「いつまで同じことをしているのだ」と叱責され

もっと能力を高めるようけしかけられる

そしてもっともっとと利益を求められる

自分で云うのもなんだが

学生時代には社会に対してそんな強圧的な雰囲気を

薄っすらと感じていてとても気が進まなかったが

仕方なしであったものの結局社会に押し出されてみたら

案外自分はこの社会に適応し能力を高め続けていけたのだ

もちろん失敗したり、出し抜かれたり、足を引っ張られたりもあったが

その度に「コノヤロー」みたいな肉食系の部分すら出していた気がする

でもいま思えばそれは自分の「素」ではなかった

人間なんてそんなにすぐには変われないと思うし

変化し続けることは本当に精神を疲弊させる

ましてやそれが自分が望まない変化なら気がおかしくなるかもしれない

とにかくみんながバラバラの「集団」が嫌いだった

個性を尊重したみたいな集団はもっと最悪だ

本当はひとりでぼんやり空想に浸っている方が好きだったのだ

それがボクの「素」の姿だ

誰もいない山奥の湿原に写真を撮りに行ったり

何の変哲もない砂防ダムにオートバイで行ったり

そうして地べたに座り込んでのんびりと風景を眺めながらおにぎりを食べるのだ

来年の販促計画とか出店計画とか土の中に埋めてしまって

善とか悪とか無関係な存在になりたかった

そしてその生き方のほうが自分にはとても大切だった

生きていくために「社会」は必然だったけど

正直そこでの毎日がとても苦痛だった

それは自分がその中でとても悪い人間に見えたからだ

そしてそんな人間がボク自身大嫌いだったのだ



「趣味」の時間はそんな「社会」の中で唯一

変化しなくていい空間だった

いろいろ理解するまでは多くの異なったモノに触れることも楽しかったが

逆に変化していってしまう「世間」に疑問や不満を感じるようにもなった

レコード盤がコンパクトディスクへと変わって行く時

誰もレコード盤を守ろうとしなかった

レコードプレーヤーの繊細さは人が工夫する余地が多くあったのに

電気回路ですべてを完結させてしまうCDプレーヤーには何の体温もなかった

いともたやすく正確でノイズや歪みのない音をただただ出力してくる

もちろん初めて出会ったCDの音は未知のもので未来を感じさせてくれた

けれどそれが一般的になると

自分の中のオーディオへの興味はすっかりなくなってしまっていた

そんなモヤモヤは

とっておいた当時のままのレコードプレーヤーでレコードを再生してみると

けっして間違いではなかったと思える

アナログオーディオも残すべきだったのだ



だからオートバイなんてそもそもが時代錯誤な乗り物が好きなのかもしれない

正直いまのオートバイには時代錯誤感は少しなくなってきたようには感じるが

いつまでオートバイになんて乗ってるの?と以前はよく云われた

むき出しでクサくてうるさくて

そんな存在だったのだ

「だった」と書いたのはいまはそうじゃないからだ

オートバイだって工業製品だから変化してしている

そしてズーっとむかしからオートバイに乗り続けてきたじじいにまでそれを押し付ける

法律なんだそうだ

うるさい音を出したり汚いガスをまき散らしたり

そんなこと21世紀が許さないのだ

存在がわかりにくいからライト点けっぱなしにして

ブレーキかけ過ぎてコケると危ないからロックしないようにして

気化したガソリンとかばら撒かないようにまでして走らせる

それもこれも法律で決められている

でも「趣味」の世界では「個」は変化しなくてもいいのだよ

古いオートバイだってガソリンを入れてやればそのまま走らせることが出来るのだ

いつまでもいつまでも古臭いオートバイに乗っていられる

もう変化なんてゴメンなのさ、「社会」じゃああるまいし

だからずっとボクにとってオ―トバイに乗ることは

イヤな自分から素の自分へ戻る手段のひとつだったのかもしれない

「変化」のない世界に生きたい人だっているのさ

仕事もリタイヤしてネコのように日々生きるこの頃

たまにレコードプレーヤーで音楽を聴いたり

うるさくてきたないオートバイで山の中を走りまわったりしてね

すっかり子供の頃の自分に戻ったような気分だ



「機関維持」と云いながらそんなにも走る理由が必要かとも思う

2025年02月11日 | R100Trad (1990) クロ介


大寒に、あまり寒くなかった、と書いたら

途端にものすごく寒くなった

気候・気象とはそもそもがそういうものだろう

だって大寒なのだから寒くて良いに決まっている

いや、恵方巻かぶりついたな

もう立春過ぎてるか

まあ良い

ボクの住む三河地方は気圧配置の微妙な加減で

風向きがわずかに西に寄ったため薄っすらとした積雪で済んだ

三重の北部なんかが大雪になるとこの三河もただでは済まないが

JPCZ(日本海寒帯気団収束帯)のシッポの振り方次第で結果は多いに異なるのだ



冬になると停めておいたクルマやオートバイはそのすべてが外気温に等しく冷えていく

ガレージの中であってもビックリするほど冷たくなっていてちょっと驚くほどだ

車体だけでなくエンジンもオイルもみんなみんな冷たく凍えてしまう

そんな状態でエンジンを始動させると一気に機関の温度が上昇して

マフラーの中は云うに及ばずエンジン内にも水蒸気が発生して

テールエンドから盛大に水蒸気を吐きだすことになる

機関内の蒸気はオイルに混ざるがしっかり走ればそれほど問題にはならない

タンクに着いた水分はガソリンの中に落ちて底へ沈む

最近のポリ製タンクではあまり問題ないが従来の金属製はそれが内部に厄介な錆びを生む

冬はオートバイにとって劣化を進めるイヤな季節だ



これらはある程度しっかり乗ることでリスクを減らせるものなのだが

ボクらが乗るようなオートバイはほとんどが趣味の乗り物なので

多くの人は「週末アイドル」ならぬ「週末ライダー」だろう

だからみんな週末を心待ちにしているよね

それなのにせっかくの週末に天候が悪かったり

恐ろしいほどの暑さや寒さとなれば仕方なくキャンセルされることもあるだろう

走りに出たとしても冬は路面状況の関係で走る場所が限られ

夏のようにしっかりと距離を走れなかったりするので

いろんな意味で冬はやはりオートバイのコンディションが気になる季節だ

一般にクルマのメンテナンスで「シビアコンディション」と云えば

酷暑、極寒、過走行そして砂漠などの走行を指すが

意外にも日常的な短距離走行もそこに含まれている

これはさっき書いた機関内の「水分」が十分解消されないことと

摺動部分の潤滑性能が適切にならない状況が続いたりするからだ

非公式だとは思うがあるメーカーからは

短距離走行とはおよそ8km以下の走行とアナウンスされていた

だからたとえ毎日であってもその1回の距離が8km以下なら

クルマにとってはシビアなコンディションということになる

傷みが早くなる恐れがあるので早め早めのメンテナンスをした方が良いという訳だ

ましてや趣味のオートバイ

それも複数台所有していたり製造から何年も経つ旧車だったりすれば

乗る機会を意識的に持たないと走らないのに劣化が進むなんてことにもなりかねないのだ



そこで古いクルマやオートバイを所有する人たちの間で俗に云われる

「機関維持」という言葉がある

一般的な言葉ではないし

たぶん正式にはこんな言葉はないと思うけど

機関とは多分エンジンのことで

蒸気機関とか内燃機関とかまあそんなやつだろう

このエンジンの状態を維持するために動かしてやることを意味している

冬になるとまずはバッテリーが弱る

だからガレージの中で旧車たちは「充電器縛り」を受けることになる

これだって「機関維持」の一部だ

けれどやはり走らせることが何より大切

走らせるだけでなくすべての可動部が正しく潤滑され

機関内の水分をすっかり蒸発させるくらいは最低限必要なのだ

だから何の用事がなくても阿呆のようにオートバイを乗り回す

いくら家人から「こんな日にオートバイに乗るの?」と冷たくあしらわれようとも

「機関維持」は「義務」なのだよ

そもそも積雪があれば考えるが

気温が低い、風が強烈に強い、それくらい屁でもない

「海を眺めてコーヒーを飲んでくる」と云い残して玄関を出る



南向きのガレージのシャッターを押し上げると

冷たい空気を切り裂いてサッと一瞬にして中に陽が差し込んだ

カバーを外し無意味と思いながらもすっぽりと掛けている毛布をたたむ

タンクに触れるとやはり氷のように冷たい

寒かったね、クロ介(BMWエアーヘッドボクサーR100)

実はこの日お約束の充電器縛りをしていなかったのがちょっと不安だった

ゆっくりと引っ張り出してスタンドを立てる

左右の燃料コックを開けチョークを一杯に引き

なぜかここでボクの方が深呼吸

「クロ介頼む」

そう祈りながら勇を鼓したような面持ちでセルボタンを押し込む

―――果たしてセルは虚しく空回りしタコメーターの針が躍る!

バッテリーを休ませながら3度試すが状況は悪化する

スターターリレーが悲鳴を上げる前に諦めた

なんで充電器に繋げておかなかったのか、と自分を責める

ガレージの中で一部始終を見ていたSRがニヤリとして囁く

「今日はわたしと行くのね」

クロ介をガレージに戻して充電器に縛る

今日はオマエは寝ておれ

SR400はキック一発始動

「機関維持」は置き去りで真冬に海へただコーヒーを飲みに出かけることになった





最近は若いうちから電熱電熱とオートバイ乗りも裕福になったもんだと思うが

陽が差して気温が0℃以上ならせいぜいカイロで十分だ(貼ってないけど)

スキーウエアのような不細工なライディングウエアも

いくら高性能でもカッコ悪すぎて御免だ

おまけにライダー以外には全く分からないブランドのロゴがでっかくプリント

そいつが数万もするとなればもはや存在価値を疑う

ほんと裕福だよ

まあなんでも経験してみることは必要だから出来るんならやってみればいいけど

そこからいつかは抜け出してきて欲しいと思う

せっかくこんなにも寒い事の辛さを体験できる乗り物なのに

同じ経験ならそういう風な経験の方がきっと長い人生の足しになる

多分オートバイ趣味は苦痛の上にあるものだ

山登りやスポーツ全般と同じ類のもの

苦痛を上回る快感を見つけて欲しい

ぜんぜんできるよ

ボクらの若い頃はカネなんてオートバイを買うのが精一杯で

ウエアやアクセサリーにまで手が出せなかったから

手元は軍手とかせいぜいスキーグローブ

足元はオールシーズンコンバースとかで乗ってた

真冬の夜中でもジーパンで走ったし

スーパーで売ってる安っすい革ジャンの中にセーター着込んだくらいかな

キレるような冷気の中を走り回って指先や太ももが凍りつき

それを帰ってすぐ熱い湯の中につけた時の激しい痛みがわかりますか

そんなことを毎日続けながら指やモモが壊れちゃうんじゃないのかなんて考えてた

もちろん壊れなかったけど

我慢自慢したい訳じゃない

けどこっちの方が人間らしいとボクは思う

何でもカネで解決する生き方はつまらなさすぎる

いまこんなに満たされて生きながら

寒くて震える経験が懐かしいのはなぜなんだろうと

そんな思いにたびたび襲われるのだ



三河湾は強い風に海面がざわざわとしていた

オートバイを停めてはみたもののとても降りてのんびりできる感じではなかった

ヘルメットも取らず放置されている椅子に腰を下ろして海を眺める

下ろしたままのシールドに砂浜から飛ばされてきた砂粒が当たってパチパチと音を立てた

指先は冷え切って買ったばかりのホットの缶コーヒーを握り締めても感覚が戻らない

弱弱しく呼吸しながらそれでもやっぱり薄笑いを浮かべている自分に気付く

いつもそうなのだ

つらいなーと思う向こう側で笑いをこらえた阿呆がこっちを見ている

ふとすぐ目の前の海面に小さなカモが一羽

強い西風に逆らいながら海面を風上に向かって泳いでいるのを見つけた

よく見ると確実にヤツは進んでいた

おそらく水中では必死に足を泳がしているのだろうが如何せん風が強すぎる

なのにそのカモはゆっくりゆっくり確実に進んでいく

どこへ行こうとしているのかとその進行方向の先を見ると

50mほど先に海へ突き出した突堤があって

その陰で波を避けて休む20羽ほどのカモの群れがいた

「あそまで行くの?」

いつもそうだけどボクはそれが動物相手でも植物相手でも声にして聞いたりしてしまう

すると大抵返事が聞こえるのだ

「うっさいはボケ、ほっとけや」と

いやいやそれにしてもそんなカモの日常の光景にも「すごいな」と感じる

それほどヒトは自然からかけ離れてしまったのか

凍えた指先は缶コーヒーでは温まらないけど

手首をまくってそこを掴むとすぐに回復するって、経験あります?

ヒトの身体は一日に1500kcalも消費して熱を生み出している

これは理論上1.5Lの水を100℃に出来る程の熱量ってことだ

だから自分の熱に頼る方が暖かい

ヒトはまだまだ自然に近い生き物だ

カモが冬の海面を風に逆らって進むような力がまだまだボク等にもあると信じている



夕方ガレージにクロ介の様子を見に行くと

すでにトリクル充電に変わっていた

試しにエンジンをかけてみようとキーを捻ると

スパーーーーンと激しいアフターファイヤーをかまされ心臓が止まりかけた

ツインプラグ化のために「エキスパンダー」とか云うなぞの回路が挟まっているけど

そいつがなぜかキーをONした瞬間に一発自爆(点火)かますのだ

シリンダ内やエキパイ内に生ガスが残っていると確実に破裂する

キャブ側に回るバックファイヤーだとキャブが外れることもあるらしい

朝、セルを回しすぎたようだ

煽る心臓を押さえながらセルを回すと

クロ介は何事もなく

しかも一瞬のたじろぎもなく始動した

充電器縛りは必須だ

まあバッテリーも4年も使っているのでそろそろ交換か

機関維持のため翌日クロ介に乗って

海を見ながらコーヒーを飲みに出かけたのは云うまでもない

「エっ、今日もオートバイに乗るの?」

「仕方ないさ、機関維持だよ」