ソロツーリストの旅ログ

あるいはライダーへのアンチテーゼ

振り返ってみるとオートバイがいちばん好きだった

見よ、この街道への愛着を

2012年07月09日 | BMW以外のオートバイたち

いつの頃からか、クルマが大型化した。

衝突安全性とか云って、ボディがデカくなり、

それを動かすエンジンも大きくなった。

四国に行くと、軽自動車が多いなという印象を持つけど

あの道路の狭さでは、軽自動車がいちばん機動性があるのだろう。

中村(四万十市)から四万十川をたどって

佐田の沈下橋へ行く道を走ったことがある人なら分かると思うけど、

有り得ない道幅の狭さだ。

四国はそんな道ばかりで、町や国道を外れるとヤバいくらい道が狭い。

有名な祖谷渓の県道なんか拷問のようだ。

けれど、20年くらい前の日本はどこもそんな感じで、

国道153号線、三州街道なんて飯田まで走りとおすには

それなりの覚悟と、あきらめ、忍耐力が必要だった。

全線ほぼ1.5車線でトラックやダンプ、観光バスも走る。

そういえば数年前に、いまではすっかり寂れた安房峠を走って、

その道幅の狭さに改めてビックリしたのを覚えている。

あのころは乗用車の大きさも小さくて、

あれくらいの道幅でもなんとかなっていたような気がする。

いまのデカいボディのクルマと、現代人の運転のヘタさでは

とてもあのころの山間国道は走れないだろう。

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おかげで、高速道路がどんどん伸びたにもかかわらず、

山間部の国道は拡幅され、平坦で退屈に伸びるようになった。

下手くそな「らいだー」が道の駅を求めて走りまわるようになり、

うるさいマフラーのオートバイがひっきりなしに来る。

そんな休日が憂鬱だ、という街道沿いの住民が増えたと聞く。

新しくトンネルや高架橋が作られて道路が挿げ替えたりすると、

旧来の国道は県道に格下げされたり、道路そのものが閉鎖されたりする。

もちろん地盤の弱さによる土砂崩れや崩落を避けることが最大の目的だけど、

別にあそこまで快適にする必要もなかったんではないかとも思う。

かつての狭い国道では、先を見て運転しないと、

確実に自分とまわりの流れを滞らせる。

譲るべきか、譲られるべきか、一瞬の状況判断もいる。

ブラインドコーナーで正面衝突するようなボケはいなかった。

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鳳来の手前で分岐して、国道257号線に入る。

ここも見事に挿げ替えられていて、

美しい渓流の豊川を見ながらいわいる「快走路」が伸びる。

その先に突然信号が現れて、右へ県道が分岐していくが、

この先の田峯までは、この海老川に沿った県道32号線がメインとなる。

国道はそのまま豊川に沿って直進するのだが、

メインを奪われたルートは急激に道幅を狭め、

豊川の奔放な流れに沿った、複雑な道筋になる。

閉鎖されたり格下げされたりしなかったけど、整備もされない。

いわば見捨てられたルートだ。

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けれど国道257号線の白眉はまさにこの区間だとボクは思う。

先日来ハマっている県道435・436号線とも絡んだ地域だ。

街道は布里の集落を通るが、

そこにある産直の施設に地元の人たちのこの街道への愛着を感じる。

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「荷互奈」と名付けられたこの施設は、国道の「257」をもじったものだろう。

建物の壁にも257のサインが。

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どんだけ257号線LOVEやねん!

でも、それを見ているだけで、こころがなごむ。

この国道がいかにこの地域にとって重要なものかが理解できる。

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アユ釣りをする人たちはむしろ国道に入ってくる人が多い。

本当にいつからあるのか分からない老舗の旅館。

いまは蕎麦屋として有名になってるね。

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初めて見た時は営業してるとはとても思えなかったけど、

見れば見るほど味のある店構えだ。

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ねむの木が花をいっぱいにつけていた。

もう夏がすぐそこまで来ているな。