いまは山中、いまは浜、いまは、鉄橋渡るぞ、
と思う間もなくトンネルの闇を通って、広野原。
という誰でも知ってる唱歌こそ、日本の景観を見事に表現してる気がする。
熊野灘に沿って、志摩半島の付け根から先端へ続く「国道260号線」にはまさにこの日本の原風景がある。
走って気持ちの良いルートと云っても、良く整備され、ある程度のスピードで走り抜けられる道だとは、それは限らない。
いつも渋滞してたり、繋がりの悪い信号ばっかだと勿論イヤになるけど、狭くても、クネクネでも、とても気分の良いルートというのはある。
この国道260号線には、そういう、心満たされ潤う、「駆け抜けるよろこび」があった。
紀伊半島には高野山、吉野山、熊野など霊場が多いが、それはこの地がある種スピリチュアルな雰囲気を発しているのが要因なのか。それとも、地形の険しさがこの土地にその霊的な空気を感じさせるのか。いずれにしろ紀伊半島の山々は幾重にも重なって険しさが際立つ。
内陸の険しさはそのまま沿岸部まで続き、地図で見ると国道260号線は熊野灘に沿う海に近いルートに思えるが、実際に走ってみると、その変化に富んだロケーションに驚き、その後、すぐに自然な笑みがこぼれる感動のルートだ。
道の駅「紀伊長島マンボウ」の前の交差点から国道260号線に入ると、いきなり長いトンネル。
そのあとクネクネと高度を上げるが、磯の香が鼻をくすぐり、その木々の向こうにすぐ海があると教えてくれる。
でも海は見えない。
いくつかトンネルを抜けていくと、不意に美しい入り江に出る。
これの繰り返し。険しい山を登り、トンネルを抜け、やがてまたクネクネと降りて、美しい入り江に出る。
でもこれがぜんぜん飽きない。
入り江は大抵港になっていて、集落がある。背後に迫る山と入り江の間に肩を寄せ合って家々が建つ。
南島のある集落では、道があまりに狭くクルマ同士の離合が困難なため、部落全体が信号で規制されていた。待ち時間は200秒。信号の横には残り時間がカウントダウンされる標示板がある。
エンジンを止めて、ゆっくり待つ。
これといったものは何もない。何もないけど、ボクたちが忘れてしまったものがここにはある。
山、河、海、空。いくつものトンネルと、いくつもの鉄橋。
国道260号線はこの先、英虞湾の入り口で海に分断され大王崎に続くが、渡船はあってもオートバイは乗れない。
浜島方面へは行かず、南勢町(いまは南伊勢町)から県道16号線で磯辺へ出るのもあり。
やっぱり夏が良いけど、秋の海も静かで良いのかも・・・