自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★冬訪ねる兼六園

2009年12月25日 | ⇒トピック往来

 雪の兼六園は別世界に思える。雪という白色が庭園を彩るからだ。名木・唐崎の松の雪つり=写真=はパラソルをさしたように見え、霞が池の水面に映える。兼六園の心象風景は季節ごとに異なるのだ。

 こうした兼六園の心象風景の原点には6つのファクターがある。寛政の改革で有名な松平定信は老中職を失脚した後、白河楽翁と名乗って築庭に没頭したといわれる。その薀蓄(うんちく)から、定信が中国・宋の詩人、李格非の書いた『洛陽名園記』(中国の名園を解説した書)の中に、名園の資格として宏大(こうだい)、幽邃(ゆうすい)、人力(じんりょく)、蒼古(そうこ)、水泉(すいせん)、眺望(ちょうぼう)の6つの景観、すなわち六勝を兼ね備えていることと記されていたのにヒントを得て「兼六園」と名付けたと伝えられている。

  6つのファクターに加え、代々の加賀藩主は色や形の違いにこだわった。兼六園の原形ともいえる蓮池庭(れんちてい)を造った五代・綱紀(1643-1724年)には、園内に66枚の田を作り、全国で品質がよいとされる米を試験栽培させたというエピソードがある。代々の藩主の収集好きは兼六園の植物にも及び、たとえば桜だけでも20種410本も集めた。一重桜、八重桜、菊桜と花弁の数によって分けられている桜。中でも「国宝級」は曲水の千歳橋近くにある兼六園菊桜(けんろくえんきくざくら)である。学名にもなっている。「国宝級」というのも、国の天然記念物に指定されていた初代の兼六園菊桜(樹齢250年)は1970年に枯れ、現在あるのは接ぎ木によって生まれた二代目である。兼六園菊桜の見事さは、花弁が300枚にもなる生命力、咲き始めから散るまでに3度色を変える華やかさ、そして花が柄ごと散る潔さである。兼六園の桜の季節を200本のヨメイヨシノが一気に盛り上げ、兼六園菊桜が晩春を締めくくる。桜にも役どころというものがある。

  こうした名園のこだわりは現在も引き継がれている。季節の花の眺めがすばらしいことから名前がついた木橋の花見橋(はなみばし)。川底の玉石をなでるように緩やかに流れる曲水は多くの人々を魅了する。ゆったりと優雅に流れるようにと、毎秒800㍑の水が流れるように水量を一定にしている。計算づくなのである。しかも、サギやカモなどの鳥が来て足で水を濁さないように、上流では目立たないように水面の上に糸を張って予防線をつくっている。鏡のような川面を演出するために2つの工夫がある。

  兼六園を訪れたきのう24日、兼六園の樹木には冬芽が出て、春の出番を待っていた。「冬来たりなば春遠からじ」(イギリスの詩人シェリー『西風に寄せる歌』より)

 ⇒25日(金)朝・金沢の天気  はれ

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