自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★文明論としての里山1

2009年12月28日 | ⇒トレンド探査

 もう35年前にもなる。学生だったころ、ドイツの社会経済学者マックス・ウェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905年)をゼミで論じ合った。資本主義はどのようにしてヨーロッパで生まれたのかというテーマを精神的土壌からひも解いていくものだった。

           「強欲」と呼ばれる資本主義

  プロテスタントの教義は、身分は低くとも自分の仕事に誇りを持って専念しなさいと人々を諭した。これがカルヴァンが説いた予定調和説の「あらかじめ神が決めたこと」だ。プロテスタントの教会には階級序列がなく、人々にも上昇志向や贅沢志向というものがなかった。こうした生真面目な精神性が、高い生産性と「働いて貯める」倫理を生みだし、それが資本主義の蓄積へと間接的に連なって行く。一方、カトリック社会では階級序列があり、より高い階級へ上昇できる可能性がある。すると、今の仕事はより高い地位に就くための通過地点にすぎないと考える人々は実入りのよい仕事に目を向け、現状の仕事に専念しなくなる。その結果として生産性は低くなる、とウェーバーは分析したと覚えている。

  こうした「清貧な労働」はその後に変容していく。カルヴァンと同じく予定調和説に立ち「神の見えざる手」として市場原理主義を考えたアダム・スミスは、『国富論』の中で、労働こそ富の源泉とし、それまで富といえば宝石や農産物という考え方を覆した。労働価値というものがあり、貧しい社会が隆盛で幸福であろうはずはないとして高賃金論を展開していく。1776年に『国富論』が出版された当時、賃金が上昇すると労働者が怠慢になるという風潮があったからだ。この時代あたりから、予定調和説と利益追求が一体となって、現在イメージされる資本主義の原型が出来上がったようだ。

  時代は飛んで、「東西冷戦」という歴史があり、旧ソビエト連邦が1991年に崩壊し、誰もが資本主義が共産主義に勝ったと思った。ところが、2008年にサブプライムローンの破綻によって、アメリカの金融マンや経営者がカジノの胴元のように称され、「カジノ資本主義」や「強欲資本主義」などと資本主義の評価は急落した。テレビで映るアメリカのデモ行進で、「GREED(強欲)」と書かれたプラカードを掲げているのは、「あらかじめ神が決めたこと」予定調和説を無視して、おのれのに利益追求に暴走し経済を混乱に陥れたと糾弾する姿である。

  資本主義と表裏一体で進んだ産業革命では、生産性や物流を促すために、地下に封じ込めてあった化石燃料を掘り上げて大気中に二酸化炭素として撒き散らした。それが地球温暖化や気候変動という現象として見え始め、地球的な環境問題としてクローズアップされている。人為的な地球温暖化という点ではさまざまな論争があり、その原因は単純ではないが、石油資源は枯渇へと進んでいることだけは間違いない。

  冒頭で述べた資本主義を生んだヨーロッパで現在起きていること。アメリカ文化を象徴するファストフードのマクドナルドの1号店が1980年代にイタリア・ローマに出来たことが刺激となって、イタリア北部ビエモント州ブラという人口3万人ほどの町で「スローフード運動」の声が上がった。1989年にはパリで国際スローフード協会設立大会が開かれ、スローフード宣言を出して国際運動となった。活動には3つの指針がある。「守る:消えてゆく恐れのある伝統的な食材や料理、質のよい食品、ワイン(酒)を守る」「教える:子供たちを含め、消費者に味の教育を進める」「支える:質のよい素材を提供する小生産者を守る」 である。

  このスローフード運動は食行動の見直しから生きることの見直しへと波紋を広げて、ヨーロッパに広がった。スローフード運動はいまやスローライフやスローワークへとカタチを変えて、資本主義による文明社会の見直し運動へと展開している。

 ⇒28日(月)夜・金沢の天気  はれ

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