能登半島の先端、珠洲市にある金沢大学能登学舎で人材養成プロジェクト「能登里山里海マイスター育成プログラム」の6期生修了生式が今月16日あった=写真・上=。同プロジェクトは2007年に始まった、社会人を対象とした人材養成プロジェクトである。これまで通算10期183人がマイスターの称号を得ている。
平成18年(2006)に金沢大学が同市に「能登半島 里山里海自然学校」のプロジェクトを持ち込んだことがきっかけだった。珠洲市は半島の先端であり、ここで人材育成を行うことは意義があった。それまで、珠洲市にはおよそ30年にわたって原発というテーマがあった。
珠洲市では、昭和50年(1975)に北陸電力・中部電力・関西電力のから力会社3社による珠洲原発の計画発表があった。同58年(1983)年12月に同市議会で当時の谷又三郎市長が原発推進を表明した。平成元年(1989)5月に関電が高屋地区での立地可能性調査に着手、建設反対住民が役所で座り込みを始め、40日間続いた。
平成5年(1993)4月に賛成派と反対派が立候補した珠洲市長選挙で「ナゾの16票」発覚し、無効訴訟へと裁判闘争が始まった。同8年(1996)5月に同市長選挙の無効訴訟で、最高裁が上告を棄却して、原発推進派の林幹人市長の当選無効が確定した。同8年(1996)7月にやり直し選挙で、原発推進派の貝蔵治氏が当選した。同15年(2003)12月、電力3社が珠洲市長に原発計画の凍結を申し入れた。同18年(2006)6月、貝蔵市長が健康上の理由で辞職。選挙では、市民派の泉谷満寿裕氏が自民推薦の前助役を破り初当選を果たした。
平成18年(2006)に金沢大学が同市に「能登半島 里山里海自然学校」を小学校の廃校舎を借りて始めた=写真・下=。能登の里山里海での生物多様性を研究者と市民がいっしょになって調査する、オープンリサーチの拠点とした。このとき、泉谷市長自らが候補地をいくつか案内するなど熱心な誘致活動があった。同19年(2007)10月に金沢大学が「能登里山マイスター養成プログラム」を始める。同21年(2009)9月、ユネスコ無形文化遺産に「奥能登のあえのこと」が登録された。これがきっかけで、同23年(2011)6月に国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産(GIAHS)に日本で初めて「能登の里山里海」と「トキと共生する佐渡の里山」が認定された。同30年(2018)6月、珠洲市が内閣府の「SDGs未来都市」に採択された。能登半島に国際評価と国連の目標が定まった。
予断を挟まず淡々と述べた。原発というテーマがなくなり、そこに里山里海と生物多様性、里山マイスターという人材育成プロジェクットを持ち込んだ能登学舎での13年だった。学舎での取り組みは、全国の大学や産業支援機関でつくる「全国イノベーション推進機構ネットワーク」による表彰事業「イノベーションネットアワード2018」で最高賞の文部科学大臣賞を受賞した。そして、珠洲市は「SDGs未来都市」の2030年の目標達成をめがけて突き進んでいる。その運営母体となる「能登SDGsラボ」の事務局は能登学舎にある。
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