金沢大学の共通教育科目「ジャーナリズム論」の講義がきょう(3日)から始まった。毎週連続8回で新聞・テレビの報道の現場からゲストスピーカーを招いて、「災害とジャーナリズムを考える」「生活・文化に関する報道について」「事件報道と実名呼称について」「デジタル化における新聞メディアの将来戦略」「体験的ドキュメンタリー論」などをテーマに講義していただく。初回は「民主主義とジャーナリズム」と題して私自身が講義を担当した。履修する学生は120人=写真=。
話のつかみは、ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった本庶佑氏(京都大特別教授)の記者会見(今月1日)からひねり出した。「研究を進める上で心がけていることは」と記者から尋ねられ、本庶氏は淡々と「一番重要なのは、不思議だな、という心を大切にすること。教科書に書いてあることを信じない。常に疑いを持って本当はどうなんだろうという心を大切にする」「つまり、自分の目で物を見る。そして納得する。そこまで諦めない」と答えた。ジャーナリストもまさに同じ発想だ。本庶氏は「教科書=科学の権威」を疑い、自分で納得するまで調べてみよと説いているのだ。これは「科学におけるジャーナリズム性」ではないだろうかと学生に投げかけた。
ここから、記者自らが納得するまで取材する調査報道はジャーナリズムの原点であることを論じる。調査報道の基本は、政府や省庁、役所や企業の公式発表に頼らず、独自の取材活動により、隠された事実や問題を報道することだ。発表に頼らず、独自に掘り起こすニュースがなければ、報道機関としての存在意義がない。調査報道のモデルケースとして講義の中でよく引用するのが、2010年9月21日付の朝日新聞がスクープした、大阪地検特捜部の主任検事による押収資料改ざん事件だ。
事件の発端は、ある意味で当地から始まる。2008年10月6日付で朝日新聞は、石川県白山市に本社を置く印刷会社が「低料第3種郵便物」割引制度(郵便の障害者割引)を不正利用してダイレクトメールを大量に発送していたことを報じた。1通120円のDM送料がたった8円になるという障害者団体向け割引郵便制度を悪用し、実態のない団体名義で企業広告が格安で大量発送された事件が明るみとなった。これによって、家電量販店大手などが不正に免れた郵便料は少なくとも220億円以上の巨額な金になる。国税も動き、さらに大阪地検特捜部は郵便法違反容疑などで強制捜査に着手した。
事件の2幕は舞台が厚生労働省へと移る。割引郵便制度の適用を受けるための、同省から自称障害者団体「凛の会」へ偽の証明書が発行されたことが分かり、特捜部は2009年7月、発行に関与したとして当時の局長や部下、同会の会長らを虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴した。
ところが、元局長については、関与を捜査段階で認めたとされる元部下らの供述調書が「検事の誘導で作成された」として、2010年9月10日、大阪地裁は無罪判決を下した。そして、同月21日付紙面で、大阪地検特捜部が証拠品として押収したフロッピーディスク(FD)が改ざんされた疑いがあると朝日新聞が報じる。その後、事件を担当した主任検事が証拠隠滅容疑で 、上司の特捜部長、特捜副部長(いずれも当時)が犯人隠避容疑で最高検察庁に逮捕される前代未聞の事態となった。
なぜ元局長が無罪となったのか。報道してきた責任として検証しなければならない。浮かんできたのが主任検事による押収したフロッピーの改ざん疑惑だった。取材記者は元局長無罪の判決を受けて、疑惑を検事に向けて取材しなけらばならない。相手は政治家も逮捕できる検察である。その矛先が新聞社の取材そのものに向いてくる場合も想定され、一歩間違えば、「検察vs朝日新聞社」の対決の構図となる。被告側に返却されていたフロッピーを借りに行った記者に、被告側の弁護士は「検察そのものの取材に、あなたは本当に立ち入ることができるのか」とその覚悟の程を問うた、という。
こうした伸るか反るか、取材者側のギリギリの判断がありながらも、権力の監視、チェックこそがジャーナリズム本来の使命と突き進んでいく記者たちの現場を学生たちに理解してほしい、そう思いながらきょうの講義を締めた。
⇒3日(水)午後・金沢の天気 はれ
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