自在コラム

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★蘇った玉虫厨子の物語

2008年04月27日 | ⇒トピック往来
 日本史、そしてお札で知られる聖徳太ゆかりの法隆寺(奈良・斑鳩)=写真=は、現存する世界最古の木造建築で知られる。五重塔など建物の国宝・重文だけでも55棟、仏像をはじめとする美術工芸品は国宝20点、重文120点。平成5年(1993)には、日本で最初の世界文化遺産に登録された。

 その法隆寺で、日本工芸のルーツといわれるのが「国宝 玉虫厨子(たまむしのずし)」。日本史では飛鳥美術の代表作とされる。が、現在のわれわれが目にするは黒光り、古色蒼然とした造作物という印象しかない。すでに描かれていたであろう仏教画や装飾などは、イメージをほうふつさせるほどに残されてはいない。歴史の時空の中で剥離し劣化した。

 その玉虫厨子を現代に蘇らせようと奮闘したプロジェクトチームがあった。国家プロジェクトではない、民間の有志によるプロジェクトである。その制作過程を追ったドキュメンタリー映画「蘇る玉虫厨子~時空を超えた『技』の継承~」(64分・平成プロジェクト制作)がきょう27日、金沢市で上映されというので足を運んだ。

 玉虫厨子の復元プロジェクトを発案したのは岐阜県高山市にある造園会社「飛騨庭石」社長、中田金太(故人)だ。私財を投じたこのプロジェクトに輪島塗職人、宮大工、金具職人ら、輪島、高山、京都などの名工たちが結集した。印象的なシーンを紹介する。仏教画を復元する輪島塗の蒔絵師、立野敏昭はすでに消えた図柄を写真をもとに忠実に再現していく。消えてはいるが写真をじっと見つめていると不思議と図柄が浮かんでくる。「時間が図柄を浮かび上がらせる」と。

 タマムシの羽は硬い。鳥に食べられたタマムシは羽だけが残り、地上に落ちる。輪島塗の作品をつくるとなると絶対量が日本では到底確保できない。そこで中田氏は、昆虫学者を雇って東南アジアのジャングルで現地の人に落ちている羽を拾い集めさせる。それを輪島に持ち込んで、カッターで2㍉四方に切る。さらに黄系、緑系、茶系などに分けて、一枚一枚を図柄に合わせて張りこんで行く。

 この復活プロジェクトは2004年に始まり、玉虫厨子のレプリカと平成版玉虫厨子の2つが同時進行で制作された。しかし、当の中田は07年6月、完成を待たずして76歳で他界する。妻の秀子が故人の意志を継ぎ、ことし3月1日にレプリカを法隆寺に奉納した。映画を手がけたのは乾弘明監督。亡き中田は、小学校の時から奉公に出され、一代で財を成し、国宝を蘇らせることに情熱を傾けた。私はかつて中田からテレビ番組の制作依頼を受け、プロデューサーとして番組にかかわった。当時、中田はニトログリセンリンのペンダントを首から提げ、身振り手振りで夢を語ったものだった。映画の中で、俳優の三國連太郎の語りに、こころなしか中田の口調を感じ取ったのは私だけか。中田が三國に乗り移ったのか、ある種の執念めいた気迫をこの映画に感じた。

 上映の後、挨拶した映画プロデがューサー、益田祐美子は「7月の洞爺湖サミットでこの映画が上映されることがおととい(4月25日)決まりました」とうれしそうに話した。

⇒27日(日)夜・金沢の天気   はれ

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