自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆身構える冬~中~

2009年12月19日 | ⇒トピック往来
 きのう18日も雪。めざすネギ畑は一面、銀世界に覆われていた=写真=。石川県内の大学が連携して結成している「大学コンソーシアムいしかわ」の事業「能登半島全国発信プロジェクト」の取材ため学生を連れて七尾市能登島町の農場を訪れた。

 「ネギは雪が降ると糖度が増して甘くなる。ほら食べてごらん」。農場のスタッフが収穫したばかりのネギを差し出してくれた。ネギは切ると辛くなるが、剥いている分には甘い。白い部分をバナナでも食べるようにガブリと。確かに甘い。しかも、その甘みが不思議と口の中に残っている。そして喉あたりがいつまでも温かく感じる。初めての取材で緊張の面持ちだった福井出身の女子学生は「おろしそばに刻んで入れて食べてみたい」と相好を崩した。雪のネギ畑でひとしきり会話が弾んだ。

 前回のコラムで「家の前の除雪は金沢では男性より女性が多い」という話をした。同じ除雪でも屋根雪の除雪、つまり「雪下ろし」となるとこれは男性の仕事である。直近で我が家の屋根雪下ろしは、忘れもしない2006年1月だった。その1ヵ月前から記録的な積雪となり、金沢市内で80㌢にもなった。1月14日からイタリア・フィレンツェに出張が入っていて、「渡航中にさらにドカ雪でもきたら…」と不安がよぎった。1999年に新築したとき、建築設計士から「構造的に屋根雪の積雪は3㍍まで大丈夫」と説明を受けたが、何しろ金沢の雪は樹木の枝を折るくらい重い。そこで、早めの雪下ろしを決意した。屋根雪下ろしとなると滑落の危険もあるので、相当な覚悟が必要なのだ。

 屋根雪下ろしは雪が解けにくい北側の屋根から下ろす。雪止めはしてあるものの、雪もろとも落ちるというリスクもあり慎重を期す。しかも、日中の仕事を終えてからなので、当然夜の作業となる。屋根の上では突風も時折あって、バランスを崩しそうになる。スコップを手に3時間ほど黙々と雪と格闘する。ひと通り雪を下ろすのに2晩かかった。翌朝、安堵感を得て旅立つことができた。

 ことしの雪の降り方を見ていると、「2006年」と似ている。ホワイトクリスマスは確実。気象庁の発表だと、日本海側では北陸地方を中心に19日にかけて大雪となる見込み。山形県鶴岡市では93㌢の積雪という。このまま降り続くのか。先が思いやられる。

⇒19日(土)朝・金沢の天気  雪
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★身構える冬~上~

2009年12月18日 | ⇒トピック往来
 私が住む北陸・金沢は昨日(17日)からうっすらと雪化粧が始まった。市内で5㌢、山沿いでは10㌢ほどだろうか。雪は人々の生活を一変させるから不思議だ。まず、「(雪が)くるぞ」とばかりに人々は身構える。たとえば、自家用車で通勤している人は、天気予報で雪マークが出始めるとノーマルタイヤをスタッドレスタイヤに履き替える。多くの人は近くの自動車整備工場に予約を入れ、順番を待つ。相場はタイヤ4本で3000円ほど。春には同金額で外す。

 庭木のある家では「雪つり」を施す=写真=。雪つりは北陸特有の水分を含んだ重い雪から樹木を守るため。地球温暖化だから雪つりはいらない、あるいは、気象庁が暖冬を予想したから雪つりを怠ったという家庭はおそらくない。雪は多かれ、少なかれ降るのである。この雪つりの形状が三角錐で、冬の金沢の風物詩にもなる。庭師を雇ってのことなので経費はかかる。補助員を含めて3人がかりなら5万円ほどになる。春には外すので合計10万円ほどになる。

 家庭ではスコップを用意する。自宅前の除雪用だ。面白い現象がある。除雪をするのは金沢では女性が多い。おそらく除雪は伝統的に家事の一つとしてとらえられているからだろう。一度に大量の雪を運んで捨てる「ママさんダンプ」という除雪用具があるくらいだ。樹木に雪つりが必要なくらい金沢の雪は重く除雪は結構な重労働だ。ちなみに、整骨院が繁盛しだすのもこのころ。除雪は腰に負担をかけるからだ。おそらくこの事実を降雪地帯ではない人たちが知ったら、ブーイングが起きるに違いない。「金沢の男性は重労働を女性に押し付けている」と。もちろん、家庭によっては我が家のように男性が除雪の家事分担をする家もあるにはあるが、見渡しても少ない。

⇒18日(金)朝・金沢の天気   雪
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☆「多対1」のメディア

2009年12月15日 | ⇒ランダム書評
 戦後日本の民主主義を機能として支えてきたのは紛れもなくマスメディア(新聞やテレビなど)である。権力のチェック、世論調査による民意の反映など国民の知る権利に応えてきた。ところが、マスメディアを取り巻く環境は大きく変わりつつある。インターネットの普及で、誰でも情報を発信できる時代となり、社会の情報化が沸騰している。「情報の過剰」の時代なのである。

 その氾濫する情報の中にあって、逆にマスメディアの果たす役割が重要になっている。というのは、新聞やテレビのニュースや情報はある程度、品質が保証されるからである。情報源からたどり、客観的な判断を加え、あるいは情報の価値を見いだして文字表現や映像表現をする。そのようなプロセスを踏んでいるので信頼性が担保されている。では、マスメディアはどのように品質保証をしているのだろうか。端的に言えば、ニュースや情報の価値を見抜き、文字や映像で伝える専門家(記者、ディレクター)を養成しているからである。記者やディレクターの養成には実に手間隙がかかり、もちろんコストもかかる。逆ピラミッドの記事構成、形容詞を使わない文体、記事を書くスピード、記事用語の習得に時間と労力がかかる。新人記者がこなれた記事を書くまでには4、5年はかかるだろう。

 なにも記事を書くことや情報を発信するためには、記者やディレクターという専門家であらねばならいと言っている訳ではない。情報を発信することこそ表現の自由であり、万人の権利でもある。

 問題は、情報の過剰の時代に果たしてマスメディアは生き残ることができるのかという点である。『2030年 メディアのかたち』(坪田知己、講談社)は「マスメディアがデジタル化をすることで生き延びようとしていますが、デジタル化によっとビジネスモデルが構築できた、という実例はまだない…」と断言する。そして、既存のマスメディアとデジタルメディアは逆転する、と。

 著者は、その理由としてメディアは万人に向けた「1対多」から「多対多」へ、そして「多対1」へと進化と遂げ、その過程で「多対多」のマスメディアはその使命を終えると説く。従来、メディアのパワーは購読部数や視聴率で示され、不特定多数に情報を送るのがメディアと考えられてきた。これからは特定の個人に、そのニーズに応じた情報を「適時・適量で送れるかどうかがポイント」と指摘する。近未来に「マイメディア時代がやってくる」とも。そうした究極のメディアが生み出されるのが2030年ごろ、と。おそらくその時代になると、不特定多数を意識して記事を書く記者はいなくなり、ターゲットを絞り込んだ記事をデジタルメディアを通じて「個」に送る、そんな時代の「予言の書」のような本である。

⇒15日(火)朝・金沢の天気  くもり

 

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★おっぱいはお尻の擬態

2009年12月14日 | ⇒ドキュメント回廊
 動物行動学者の日高敏隆さんが逝去された(11月14日)。享年79歳。2度お会いするチャンスを得た。一度目は、06年8月30日、当時、総合地球環境学研究所(京都)の所長時代、その年の10月9日に開催した「能登半島 里山里海能登自然学校」のキックオフシンポジウムの基調講演のお願いをするための訪問だった。総合地球環境学研究所は京の森に囲まれた環境にあり、名称の印象から受ける威容さを削いだ洒脱な建物だった。日高氏の人柄もそのような感じの第一印象だった。

 お話をさせていただくと、専門の動物行動学の話になった。女性の下着メーカーのワコールが中心となって乳房(にゅうぼう)文化研究会を発足させ、なぜ女性のおっぱいは大きく丸いのかという形状を研究しているという。そのメンバーである日高氏は面白い話をしてくれた。いわく「おっぱいはお尻の擬態である」と。詳細は後段で記すが、目からウロコが落ちて、本人には失礼だったが笑ってしまった。本人も笑う姿を見て「どうだ参ったか」と言わんばかりにニヤリと。

 2度目にお会いしたのは、10月9日の珠洲市でのシンポジウムだった。日高氏の基調講演=写真=のタイトルは「自然界のバランスとは何か」。私はシンポジウムの司会者だった。講演の後、会場から質問が相次ぎ盛り上がった雰囲気となった。時間はオーバーしていたが、司会者の特権であえて「おっぱいはお尻の擬態」論に水を向けた質問をした。基調講演の締めくくりに会場から笑いを取ってやろう下心があった。日高氏も心得ていた様子で即座に乗ってきた。以下は、講演の録音テープから質問に答えていただいた部分の抜粋である。

                   ◇

 変な話なのですが,進化とは何をもって進化というかということになるのですが,先ほど象という動物が鼻を大きくしたというお話をしましたけれども,なぜそのようになってしまったのかよく分かりません。
 鼻が大きくなったのも進化一つなのでしょうが,人間の場合は,京都にワコールというブラジャーの会社があります。あそこが中心となって,乳房(にゅうぼう)文化研究会というものをやっています。要するに,人間のおっぱいは子供に乳をやるための器官です。ところが,普通の動物の乳房は,大体哺乳類以外は細長く,乳首が長くて子供が乳を非常に吸いやすいようにできていますが,人間の女のおっぱいはそうではなく,丸くて非常に形が美しい。丸くて乳首が短くて,赤ん坊が吸うには非常に不便であるということです。
 私はやったことがないのであまり分かりませんけれども,初めて子供さんを持ったお母さんが病院で,自分の生まれて初めて持った赤ん坊に自分のおっぱいをあげようとしますと,大変だそうですね。なかなかうまく吸いつけないですし,吸いついてもあまり押しつけたりしますと,今度は乳首の丸いところに赤ちゃんの鼻がびたっとくっついてしまって息ができなくなって泣くことがよくあるそうです。随分皆さん困って,看護婦さんがこうするのですよと教えないといけないそうです。
 ところが,ほかの動物はそんなことにはなっておりません。人間だけがそうなっているのです。非常に丸くて,とにかく子供におっぱいをあげるためには非常に不便な哺乳器官であるということで,変なことなのです。それが一つです。
 もう一つ変なことは,これは哺乳器官で,赤ん坊におっぱいをあげるために進化してきた器官なのに,どういうわけか男がそれを好きで,見たい,触りたい。だからセクハラという話が頻繁に起こっているのはそういうことなのです。しかも,それは赤ん坊が生まれるずっと前のお話です。本当は赤ん坊に乳をやるための器官であったはずなのが,男に性的な信号を与えるような器官になっているのです。
 それはどういうことなのだということを昔からいろいろな人は研究していたわけです。デズモンド・モリスというイギリスの動物行動学者ですが,この人のことは「あんな話はインチキだ」という話もありますからあまりまともに信じなくてもいいのですけれども,その人はこのようなことを考えたのです。つまり,人間は要するに類人猿ですから,メスは,自分はいいメスだろうということを相手のオスに知らせたいのです。類人猿やサルの仲間は,皆その「メスであるぞ」という信号はおしりなのですね。おしりが赤いなど,いろいろなものがあり,四つんばいで歩いていますから,おしりを見せて歩いていると,オスも四つんばいになって後ろから来て,前にいるおしりを見て,「おっ,いいおしりしているな,いいメスだな」と思い,そのメスを口説きに行くわけです。
 ところが人間は,何を考えたかこれもよく分かりませんが,まっすぐ立ってしまったのです。そして,人と会うときは目を見て向き合うようになってしまったのですね。ですから,女がいて,男がいて,話をしているときに,この女が男のことを気に入っていれば,自分がいい女でしょうと口説かれたいですし,自分も口説きたいわけなのですが,もともとはオサルの仲間ですから,要するに女である信号はおしりなのです。おしりはこちらを向いているのです。当の男は前を向いています。こちら向きに「いい女でしょう」と言いたいのですが,それはおしりが言っているわけなのです。それでデズモンド・モリスは多分,何とか前向きに言いたかったので,エイヤとばかりにおっぱいをおしりの擬態にしたのです。おっぱいを大きくしておしりにしてしまったのです。それを向けるのが前にいるわけですから,それをこうやって見せれば,「いい女でしょう」と言えるわけです。それで結局,おっぱいはそのようなものになってしまったのだろうというお話なのです(笑い・拍手)。

(司会) どうもありがとうございました。日高先生のお話,この間京都でしていただきましたが,このようなお話がどんどん出てきますので離れられなくなるのですね。動物行動学の日高敏隆先生に,もう一度拍手をお願いいたします(拍手)。

                ◇

 シンポジウムの司会をこれまで何度か経験したが、講演者と司会が妙に呼吸が合って、しかも笑いが取れた講演は日高氏が初めてだった。一期一会の名講演だった。

⇒14日(月)朝・金沢の天気   くもり
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☆皇居の風景

2009年12月13日 | ⇒トピック往来
 先日(10日)、東京・大手町の会社を訪問した。通された23階の応接室の窓から眼下に皇居が屏風のように広がっていた=写真=。御所などの建物もさることながら、常緑樹と紅葉の落葉樹が織りなす生態のパノラマには、これが東京かと思った。昭和天皇が提案し、武蔵野林を蘇らせたという話は有名だが、都心にあって、まさに楽園という趣きなのである。皇居の眺望を楽しんでいたちょうどそのころ「事件」が宮内庁では起きていた。

 鳩山総理の指示(12月10日)よって、中国の習近平国家副主席と天皇の会見が特例的に設定されたという問題である。以下、新聞各紙による。天皇の外国賓客との会見については、希望日が迫って願い書が出されると、天皇の日程調整が難しくなることや、2003年に前立腺がんの摘出手術があり、負担軽減と高齢が勘案され、翌2004年から「1ヵ月前ルール」を設定して、外務省などもそれを厳格に守ってきた経緯がある。

 ところが今回、中国副主席との会見の申し出が1か月を切った段階(11月26日)で外務省から宮内庁に打診があり、ルールに照らして応じかねるとの回答を宮内庁が返した。平野官房長官から宮内庁に対し、日中関係の重要性を考慮してほしいと再度会見を依頼(12月7日)。これにも宮内庁は政府内で重視されてきたルールとして断っている。そして、10日の総理の指示となった。背景には、民主党の小沢幹事長の訪中の際の「手土産」という憶測も流れている。

 そこで、きょう(13日)のテレビ朝日「サンデープロジェクト」を注視した。案の定、野党だけでなく与党からも批判の声が上がった。渡辺総務副大臣(民主)は「天皇陛下の政治利用と思われるようなことを要請したのは誠に遺憾だ。やめていいなら、今からでもやめた方がいい」と、会見中止の考えを述べた。社民党の阿部知子政審会長も「特例でも認めてはいけない」と強調してた。つまり、誰の目にも「皇室の政治利用」「ゴリ押し」と映っているのである。ルールを一方的に破り、それに対して党内の誰も異議を唱えなかったとなると、何かキナ臭さが漂う。

 そして、小沢幹事長は12日、訪問先の韓国で1910年の日韓併合から100年になる2010年中の天皇陛下の韓国訪問について「結構なことだ」と記者団の質問に答えたという。来年は日韓併合から100周年で反日ムードが一段と盛り上がるだろう。火中のクリを拾いにいくことになりはしないか。1975年、沖縄国際海洋博覧会で沖縄を訪問した当時の皇太子夫妻が「ひめゆりの塔」に献花のため訪れたところ、過激派から火炎瓶を投げつけられるという事件があった。小沢氏の「結構なことだ」発言を聞いて、逆にそのことを思い出した。

 今回の天皇特例会見で、皇室が政治に巻き込まれる危うさを多くの有権者が感じ取ったのではないか。それより何より、小沢氏から様々にバイアスがかかる鳩山内閣は果たしてこのまま持つのかどうか、ますますキナ臭くなってきた。

⇒13日(日)夜・金沢の天気  はれ
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