鷲田清一さんは、前にも取り上げた著書『じぶん・この不思議な存在』のなかで、鷲田少年の「じぶん」との出会いを次のように語っています。
知らないあいだにもう存在してしまっていて、生まれなかったらよかったのにと思ってももう手遅れのじぶん。そしていつか、死ぬときがきたら消えてなくなってしまうらしいこのじぶん。(中略)そしてついにはだれの記憶からも消えてしまい、存在したかしなかったかすらもはやさだかではなく、いやそもそもそれが問題とすらならなくなってしまうというようなときが。いつの日かさだかではないが、幼いときのある日に、他のだれでもないこのじぶんというものを感じ、意識しはじめた。
じぶんとは何だろう、こう考えだすと、じぶんというものの見かけ上の堅固さを支える確かな根拠などないことを次々と実感することになります。
さて、1995年、鷲田さんが阪神・淡路大震災の翌日、阪神宝塚線の不通が部分的に解除され、やっとの思いで職場にかけつけたとき、「圧倒的な存在感をもってせまってくる」いくつもの「顔」とすれ違うことになります。
リュックを背負い、大きなビニール袋を束ねて、知人や親戚のところに食料や飲み物を運ぶこれらのひとびとの「顔」に「それぞれのひとがそれぞれにかけがえのないに思いをはせる、そういう思いつめた気配」を、鷲田さんは感じたのです。
そして次のように続けます。
はじめて幼稚園に行ったとき、母親から離れてひとり集団の中へ入っていくときの不安は、だれもが経験しているはずだ。ちらちら母親のほうを見るその顔を確認するだけで、はじめて別のなにかができるということが、わたしたちにはある。「ひとには、じぶんがだれかから見られているということを意識することによってはじめて、じぶんの行動をなしうるところがある」とはわたしの信頼する発達心理学者のことばである。
面前でじっと見つめられるのでなくてもいい。だれかがわたしを気づかい、わたしを遠目に見守っている、そういう感触、それが「顔」の経験ではないか。
「他者の他者」というありかたへとじぶんを差し出しているとき、わたしたちは他者のうちになんらかの意味のある場所を持っている。このとき「わたしとはだれか?」という問いはほとんど背景に退く、こう鷲田さんは語ります。
「わたしとはだれか?」「わたしというものを支える根拠はなにか?」出口のない問いかけから、フッと抜け出すことのできるきっかけ、それが、だれかがわたしを気づかい、見守っているという感触、鷲田さんの言う「顔」の経験です。