鷲田清一さんのエッセイに次のようなエピソードが載っていました。少し長くなりますが引用させていただきます。
このひとはかつて営業部で機械の販売を担当していて、売り上げが順調に伸びず、苦労していた。ある夜、こんな時間に自宅までうかがうのは失礼だとは思いながらも、思いあまって一面識もない販売先の社長宅を訪ねた。玄関に出てこられたのはその社長、言葉を荒立たせることもなく応接間に上げて、話しを聞いてくださった。
「副社長以下が合議で決めたことだから覆せないんだよ。意には添えない」。それが最後の言葉だった。お願いしながらも、ここまでしてはいけない…とすでに申し訳なく思っていたので、「あいわかりました。申し訳ございませんでした」と、すぐに引き下がった。玄関口で靴の紐を結び終え、もういちど深く礼をしたときのことだった。
「きみもこんなに遅くまで働いていて、奥さんや子どもさんたちに寂しい思いをさせているだろう。これを持って帰りなさい」と差し出されたのは、家族への土産としての菓子折と、奥様の手作りのおにぎり弁当だった。腹を減らしているだろうから帰りの「むしやしない」に、とのことだった。そう腹の虫養いである。(『普通をだれも教えてくれない』ちくま学芸文庫 2010年)
妻子に楽しい思いもさせられず、「腹の虫」も養うことのできぬまま身を粉にして働く身は、さぞ辛かろうという思いで、応接した社長も話を聞いていたのです。
いまはもう「虫養い」という言葉を使う人もずいぶんと減っているでしょうが、このようなさりげない心遣いをする人は、昔も今も滅多にお目にかかることはありません。
その営業マンが、後に系列子会社の経営者研修の責任者になったときのことです。自分の講義の時間が終わると、まとめの講義は別の人に任せて、一目散に地下鉄に乗って日本橋のデパートに向かいました。
彼は、系列会社の社長になった十数人のために、老舗の「鯛と赤飯」を土産に持たせようと、部下に行かせず自分で手配をしたのだそうです。
「人生のあがりに、たとえ子会社であっても、社長になれた。彼ら、もしくは家族にとっては、人生最大のイベントのはずですからねえ」そう思い、新社長たちが家庭へ持ち帰る「鯛と赤飯」を用意していたというのです。
この社長たちは、晴れがましくも温かい気持ちで、我が家に向かうことができたでしょう。そこにたどり着くまでに、おそらくは犠牲にしたであろう家族との団欒の埋め合わせにはならないにしても。
夜遅く、いきなり訪ねてきた営業マンを家に上げ、応接間で最後まで話を聞いたうえで、情理を尽くして申し出を断った社長。その帰途のことまで思いやる姿は、「思いやりに満ちた人の美談」で一括りできるものではありません。
営業マンは、失意の中で「むしやしない」にと差し出されたおにぎり弁当の温かさが忘れられずに、当時のことを思い返すうち、応対してくれた社長の気持ちに思いを馳せたのだと思います。無礼に腹を立てながらも話を聞くうち、相手の立場に身を置いてしまい、ついには相手の「腹の虫」にまで思いを致してしまう。その社長の心の過程が、この営業マンの心に住み着いて、彼を組織を育てる人にまで育て上げたのだと思います。