たとえ話の天才というものがいて、その人の話を聞いて笑い転げながら、後から思い出しては、じわじわとその妙味が心に染みてくることがあります。
玄侑宗久さんの著書『禅語遊心』(ちくま文庫)にこんなくだりがありました。
たとえばセメントを作るため、砂利をスコップで一輪車に入れ、運んでいたとしよう。そしてそこに、代行してくれる人が現れた場合、誰でも喜んでその人に代わってもらうのではないだろうか。会社というのは、基本的にそうした側面をもっている。入れ替えのきくことが、層の厚さであったりもする。つまりどの社員も「かけがえのない」人ではないということだ。
しかし砂場で一心に砂いじりをしている子供はどうだろう。大変だろうから、代わりましょうかって、そんな莫迦な話は請け負わないはずだ。楽しくてしているのだから、代わりのきくことではないのである。(前掲書 262頁)
自分の行動すべてが砂場で遊ぶようでありたい、そう思うのが禅の遊戯三昧なのだと、玄侑和尚は語ります。
すべての仕事やものごとの営みには約束ごとの側面があるのだと、冷めた視点はどこかに必要なのだと思います。そうでなければ、ひとは永遠に自分探しをして、ほんとうの人生が見つからないと言って悩み続けることでしょう。
しかし、そう割り切って人生に向き合ってみると、砂場で遊ぶ子供のように楽しくてしょうがないと思えるようにもなってきます。これは、本当に経験でわかる感覚です。難しいけれども、常に心がけていたい到達点でもあります。
ところが、ここで終わらないのが玄侑さんのたとえ話の真骨頂です。
真剣に遊ぶというのは、とても危険なことだ。なぜなら、遊びの場では、やがて予期せぬことこそが望まれるようになるからだ。
予定どおり進むのは遊びではない。しかし無制約の遊びは危険すぎる。いつ終わるかも、何が起こるかも予想がつかないなんて、怖すぎるじゃないか。だから茶室には制約も多いわけだ。
たくさんの制約を無意識にこなせるほどになって、人は初めて遊べる。(前掲書 263頁)
制約や約束ごとから離れ、一心に遊ぶ境地に達しながら、なおかつその遊びが制約によって成り立っているという、恐ろしく複雑なことが描かれています。制約をみずから選びとることで、そこにはじめて魂の自由が生まれるのかもしれません。
玄侑さんの話を読んでいて、夏目漱石と茶の湯との関係について思い出したことがあります。
正岡子規の母親が茶の湯に通じており、その手厚いもてなしに感動したのでしょう、漱石は茶道の稽古に顔を出した形跡があります。ただし、お点前の足運びをうるさく指導されたことに辟易したようで、『草枕』では次のように語っています。
あんな煩瑣な規則のうちに雅味があるなら、麻布の連隊のなかでは雅味で鼻がつかえるだろう。回れ右、前への連中はことごとく大茶人でなくてはならぬ。
これはもう、制約そのものが受け入れられない「遊べない」人の述懐ですが、同時に小説という約束ごとのなかで、お茶という約束ごとに踏み込んで行けない可笑しさを遊んでいる様にも見えます。漱石は足運びが上手くできない自分を、社中と一緒に大笑いしていたのかもしれません。
漱石は次のような俳句も残しています。
炉開きや仏間に隣る四畳半
「炉開き」は、11月亥の日に風炉から炉のお点前に切り替わる行事で、お茶の世界のお正月とも言われます。師匠に向かって社中の者たちが「炉開き、おめでとうございます」と言ってお祝いし、師匠はぜんざいを振る舞います。
漱石はこの華やいだ雰囲気と、隣合った仏間の静けさとを同時に詠んで、そこに心を遊ばせました。俳句という定型詩の制約があってはじめて到達しえた遊びの境地とも言えます。
最後にもうひとつ玄侑和尚の名言を引用させていただきます。
一期一会とは、忘れ得ぬ出逢いである。なぜ忘れないのかというと、それがこの上なく楽しい出逢いにできたからだろう。楽しくなかったことは、無意識に忘れようとするものだ。
忘れ得ぬ思い出は、世間的因果的自己を忘れることで初めて可能になる。忘れることで忘れられなくなる。なんと素敵なことだろう。(前掲書 264頁)
制約を忘れることで遊びが生まれ、忘れ得ぬ出逢いになる。そしてそれは制約を受け入れてこその境地であると心得ている。一期一会とはそうして生まれるのだと、玄侑さんは教えてくれます。