すこし古い話になりますが、ようやく再開された有田陶器市に出かけ、十数年ぶりに町外れにある大公孫樹まで足を延ばしました。
子どもたちがまだ小さい頃、陶器屋めぐりばかりでは退屈だろうと、大公孫樹を見に連れて行ったところ、その巨大さと新緑の勢いに圧倒されました。成長した子どもたちと、改めて大樹の前に立つと、若葉が古木から爆発するように吹き出る力強さは昔見た姿そのままです。
私は樹木の前に立って、いつまでも眺めているのが好きです。歌に関しても、木に対面して、あるいは木と一体化して詠まれたものが心に残ります。
ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす
(笹井宏之『えーえんとくちから』)
この歌では、詠み手は樹木になっています。樹木は「あなた」に言葉をかける代わりに、身をゆすり実を落として思いを伝えようとします。15歳で身体表現性障害という難病を発症し、寝たきりのまま歌を詠み続けた歌人にとって、思いを伝えることはかくも切実だったのです。
「ねむらないただ一本の樹」は「あなた」を一途に思う姿を表していますが、親の子に対する思いにも通じるように感じます。
同じ歌集には、続けて次の歌が登場します。
拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません
この手紙は、一首目の樹木が落とした実なのでしょうか。こんどは「あなた」が一本の樹になって実を落としており、それを拾ってみると手紙のようで、嬉しくておそろしくて、もう読めないのだと歌人は詠います。
「樹」と「私」、「私」と「あなた」そして「実」と「手紙」、それぞれが入れ替わるように姿を現します。そして、思いを伝えることの豊かさと、豊かさに対する畏れとが、この二首のなかで交差しています。
いつまでも子離れできぬ親の愚かさをも、この二首は包み込んでくれるように感じます。