犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

七夕の祈り

2024-07-13 23:56:41 | 日記

薄茶の稽古は、久しぶりに「葉蓋」の点前でした。
水指の蓋の代わりに葉を用いる、ちょうど七夕のころの点前です。裏千家十一代玄々斎の考案なので、幕末の時代に生まれた点前ということになります。七夕の趣向の茶会で、玄々斎好みの花入の受け筒に、梶の葉を蓋にして水指に使用したのが始まりと言われています。

水指から葉蓋をはずして、縦に二つに折り、横にして三つに折りたたみ、さらに上下にたたんで指で穴を開けたところに、葉の茎を通して「トトロのドングリ土産」のようになったものを建水に落とします。今でこそ、涼を呼ぶ季節恒例の点前ですが、最初に茶会で披露されたときには、大きな驚きで迎えられたのではないでしょうか。

蓋に見立てた梶の葉を水に落とすという所作は、しかしながら、奇をてらって取り入れられたのではなく、古代中国の七夕の行事「乞巧奠(きこうでん)」に由来しています。
梶の葉に願い事をしたため、それを水を張ったタライに浮かべることで、願いを天に届けるというのが、乞巧奠での慣わしでした。これが奈良時代頃にわが国に伝わり、宮中などでも伝えられていたのだそうです。

下図は、巌如春の「儀式風俗図絵 七夕・乞巧奠」(金沢大学附属図書館所蔵)に描かれた「乞巧奠」の様子です。願いごとの行事というよりも、捧げものの行事という印象を受けます。

七夕を「たなばた」と読むのは、反物を織って棚に供え、豊作を祈った「棚機(たなばた)」という織り機に由来すると聞いたことがあります。織り上げられた布は棚に飾られたまま、これを仕立てたものに誰も袖を通すことはありません。
一回切り使われて建水のなかで揺れている葉蓋は、神事にのみ使われた布のようにも見えます。涼を呼ぶ葉蓋の点前は、古代のわが国の祈りに通じるものなのかもしれないと思いました。


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