犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

遠山を振り返る

2024-10-11 23:02:30 | 日記

所属支部恒例の秋季茶会に夫婦で出席しました。
秋晴れに恵まれ、暑さが残るものの、心地よい風もときおり茶室の中を通り過ぎます。薄茶席の掛け軸は、坐忘斎家元の筆による「遠山無限碧層々」でした。

当ブログで何度かご紹介したことがありますが、これは私が茶道に入門したころ、教えて頂いた言葉のなかで最も印象に残っているものです。

「遠山」とはこれまで踏み越えてきた山々のことを指し、それを振り返ってみると山々の限りない連なりが幾層にも碧く染まっている、という情景を描いたものなのだそうです。
夜の闇に消えて行ってしまう直前に、赤から碧へゆっくりとかすみながら稜線を浮かばせる、その碧さが深みを増して存在感が際立つ一瞬の光景です。
これから超えて行こうとする山々ではなく、これまでの「来し方」を振り返るというのが、この句を味わい深いものにしています。

私がもっとも感銘を受けたのは、老人福祉施設にお茶を教えに行かれる先生の話でした。人生を振り返って、ただ碧々とした山並みに対するように静かに遠望する姿を、生徒さんたちに想像してもらうのだそうです。そうすると、お年寄りたちはとても良い表情をしてくれるのだと教えてもらいました。

夫婦で並んで改めてこの言葉に接してみると、これまでの色々なことが思い返されます。
妻は学生時代から茶道を学んでいたのですが、その師匠がご病気で、復帰目処の立たない長期の休みになっていました。私が入門した師匠に相談し、妻の師匠からの許しも得て、妻は私の同門となりました。それ以来、稽古日こそ違うものの、ともに稽古を重ねています。
同じ師匠のもとで、夫婦でお茶名を拝受することなど、稽古を始めた当初には想像もしないことでした。別の登山口から入山し、途中で合流して二人で踏破した山々を、一緒に振り返っているような気分です。

われわれ夫婦も歳をとったとはいえ、まだまだ修行の途中だということは十分心得ています。碧くかすんだ山並みをながめて、また新たな山々を越えて行こうと話をしました。


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