京都旅行で本当においしい抹茶を味わったことを前回書きました。
あれから、あのお茶のような、おいしいお茶を点てたいと思いながら、稽古をしています。
茨木のり子の詩「小さな渦巻」のなかの一節に、こうあります。
ひとりの人間の真摯な仕事は
おもいもかけない遠いところで
小さな小さな渦巻をつくる
それは風に運ばれる種子よりも自由に
すきな進路をとり
すきなところに花を咲かせる
京都で出会った一碗のお茶が、小さな渦巻となって、私の中で花を咲かせてくれました。
ひるがえって、自分はこんな真摯な仕事をしてきただろうかと考えます。お茶の世界に限らず、日々の仕事の中で「すきな進路をとり、すきなところに花を咲かせる」ような、そんな人に影響を及ぼす渦巻を起こせているだろうかと、しばし考えてしまいます。
いまの仕事を始めたころ、この仕事が不向きなのではと思い詰めていた時期がありました。私にはこの人を目標にして仕事をしようと考えていた人がいて、その人から「あなたなら大丈夫、肩の力を抜いて、もっとあなたらしく仕事に向かってみては」と言ってもらいました。何気ない会話の中での一言でしたが、どれほど心強く励まされたか、しれません。
茨木のり子の詩は次のように続きます。
私がものを考える
私がなにかを選びとる
私の魂が上等のチーズのように
練られてゆこうとするのも
みんな どこからともなく飛んできたり
ふしぎな磁力でひきよせられたりした
この小さく鋭い龍巻のせいだ
これまで、どれほど多くの「小さく鋭い龍巻」によって私の魂は練られてきたのか、思い返せば気が遠くなるようです。自分が何を施したかではなく、自分が影響を受けてきた「龍巻」について、顧みることから始めなければならないと、改めて思います。