好奇心旺盛なおばさんのワクワク日記

勉学優先のセン業主婦!
遠くに見える富士山を眺めつつ、ワクワクしながら学習などにいそしむ日々を書き綴っています

『古事記』は面白い!!

2023-04-25 09:59:39 | 古事記
 5月からの『出雲風土記』・「日本神話」の講座スタートに向けて、情報を収集し予備学習をしています。

 『古事記』研究の重要拠点ともいえる國學院大學のサイトに、神道文化学部教授・武田秀章氏による「『古事記』が語る神々の姿に学ぶ」シリーズが掲載されていました。

 以前に受講していた「古事記講座」「風土記講座」は、同大の文学部教授(当時)に教わっていました。先生は、たしか、史料学(文献学だったかな?)の観点から研究をしていると仰っておられました。

 別大学のオンライン講座で風土記を習ったのですが、民俗学を専門に研究されている先生でした。
 民俗学にも興味があって受講したのですが、専門分野によってこんなにも捉え方が違うものかと感じたものでした。
 受講して見て、自分的にはちょっと肌に合わないかな?とも

 今回、國大のサイトのタイトルを見て、これは面白そう!と興味を惹かれ昨日から読み始めました。
①「ヒーロー爆誕」「人生大逆転」 『古事記』は面白い
②失敗も成功も― イザナキ、イザナミの国生み、神生み
④天の石屋戸神話が示す「出口が見えない暗黒」からの脱出法
⑤暴れん坊からスーパーヒーロー爆誕へ スサノヲの成長譚
⑥スサノヲからオオクニヌシへ 試練と継承の「国作り」
⑦神々の相互連携で進む大事業「国譲り」とは?
⑧地上の世界に稲の実りをもたらした「天孫降臨」
⑨「日向三代」がつなぐ天上・地上の絆
⑩神武天皇のチャレンジ精神、「人の代」を切り開く
⑪『古事記』は日本を学ぶ楽しい入り口!


 このタイトル・この内容だったら今時の若者も心惹かれるかもしれないと目からウロコでした。少なくとも確実におばあさんの心はむんずと掴まれました

 最近、漢文の参考書を見ながら思うのですが、『論語』・『史記』・『孟子』とかよりもっと面白い内容のものもあるはずなのにって思うんですよ。
 これ面白そうだからからちょっと読んでみようかな、もっと勉強してみようかなって思えるような用例も挙げられるはずなのにって思うんですよね。素人考えですが。

 教科書に沿ったものになるから仕方がないのでしょうけど、初心者にとってはとっつきにくいものが多くて、残念で仕方がありません。

 その点、以前受講していた漢文講座の内容は多岐にわたっていて毎回楽しかったですねぇ~。
 興味を持っていて知りたいと思っていた内容だから受講を決めたんですけどね

 今のところ、意図的に空き時間を取っているので作業するものは何もなく、今日も1日好きなことをして過ごせそうです!
 散歩がてら図書館へは行かなくっちゃ!

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日本語と言語構造が近似しているナシ語

2021-03-19 16:43:57 | 古事記
 文章が縦書きのPDFを試し読みしてみようと、國學院古事記学センターで提供されている『古事記學』を、縦設定にしたサブ画面で開いてみました。

 115%でちょうど1頁分が表示され、縦1行がスクロールすることなく読めました
 
 読み始めた、 <講演録「『古事記』の学際的・国際的研究」講演会・古事記・日本書紀にみる文章と文体、及び天照大御神と鏡/毛利正守>に興味深い記述がありました。

 中国の少数民族であるナシ族の言語は、日本語の語順のように「主語+目的語+述語」であり、助詞・助動詞がついている、と 

 日本語はチベット語系らしいということくらいしか知らず、ナシ語の語順がこれほど似通っているとは、衝撃でした。
 京大の西田龍雄氏の論文「ナシ語」(『言語学大辞典 第2巻』)があるとのことなので、是非とも読んでみたいと思いました。
 が、市立図書館にあるものの禁帯・・・ 
 最寄りの図書館には無いので、当分読めそうにないです・・・ 

 今はこの毛利氏の論文を最後までよく読みましょう!
 このような貴重な論文を提供してくださって有り難いです。
 講座のパンフレットも早く届きますように! 

 
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江戸期の著作に「~を背く」?

2018-03-21 16:17:20 | 古事記
 以前に、動詞のとる格について、 『古事記』「背く」「報ゆ」「経(ふ)」に書いたことがあり、頭の片隅に残っていました。

 昨日、調べ物があって「肝心考文てくだの始」(岩波・大系本)を見ていたのですが、その中に「主の言葉を背くか。」という記述があり、ビックリ!!

 長門之介が腰元に扮した女性を口説こうとしている場面のようですが・・・ 



 これは、並木五瓶の作品で寛政元年(1789)に書かれたらしく、その時代に「~に背く」ではなくまだ「~を背く」という言い方が残っていたのか? それとも「に」の誤植? 底本がくずし字で書かれていたのなら、見間違いの可能性も無くはないとは思うのですが? 

 本居宣長の『古事記伝』は、1764年(明和元年)に起稿し1798年(寛政10年)に脱稿。全く同時代を生きていた二人であることに非常に興味を覚えます。

 この大系本の底本は、東京大学国語研究室蔵の大惣本とのことで、申請すれば閲覧が可能なようですが・・・ 
 本当はどうなのか知りたいけれど、この底本を調べにわざわざ行くのも・・・  

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『記紀』と『祝詞』

2014-06-07 00:47:43 | 古事記
『古事記』歌謡番号63にある「夜賀波延那須(やがはえなす)」について調べた時、「やがはえ」は「八桑枝(やくはえ)」の転で、『祝詞』の「中臣寿詞」の最後の部分に、「八桑枝の如く立ち栄え仕え奉るべき寿詞を」とあることを教えて戴いたことがありました。

この『祝詞』の製作時代や作者については特定が困難なようなのですが、『祝詞』(青木紀元編)のはしがきに以下のようにあります。
(以下青字の部分は抜粋)

一体に宗教行事においては、古代が尊重される。従って祝詞の中には、日本の古語が保存されている(新しい語法の交じっていることも見逃せないが)。このようにして祝詞は、日本古代の言語・文章・文学を研究する上にも、貴重な資料を提供しているのである。


また、『祝詞』(日本古典文学大系 武田祐吉)の解説に、祈念の祭の祝詞に大和の国の地名があげられていることから飛鳥京、または藤原京の時代に制定されたのであろうという推測がなされる、と書かれています。

祝詞によっては『古事記』以前に成立していた可能性があり、『古事記』に同じ語句が登場しても何の不思議もないわけですね。

「夜賀波延」は歌謡なので音仮名で表記されていますが、『古事記』には歌謡・固有名詞以外にも音仮名で書かれているところがあって、『祝詞』『日本書紀』に同じ語句が見られます。

『古事記』(小学館:新編古典文学全集 上巻 p117)
伊都能知和岐知和岐弖(いつのちわきわきて)

用字は違いますが、同様の語句が『祝詞』「六月晦大祓」にもあります。
伊豆乃千別尓千別弖(いつのちわきにわきて)

そして、音仮名表記ではありませんが『日本書紀』(岩波書店:日本古典文学大系 巻第二 p141)にも同じ語句があります。
稜威之道別道別而

前出の『書紀』に「ちわき」の意味として「道をかきわけてすすむこと」と書かれているのですが、漢文ならば動詞・目的語の順で「別道」となるのでは?と思って辞書を引いてビックリ!
「ちわく」という動詞があったのですね。『時代別国語大辞典 上代編』にも上記の『記紀』の語句が用例としてあがっていました。

以下の画像は、『古語大辞典』(小学館)のものです。
           

                          


『古事記』の音仮名表記の部分だけを調べてみるのも面白そうです。テキストデータを「以音」で検索してみると290もヒットしました。
ちょっと多すぎ・・・ 

ある方の論文によると、口誦の部分が仮名表記されている箇所が多いようです。
ボチボチ調べて行きましょう~~ 

『古事記』の成立年代をもっと早いという説を唱えている方がいらっしゃいますが、そうなると『祝詞』との関係はどうなのでしょうね?それも気になりますが・・・



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『古事記年報』五十六(創立六十周年記念)

2014-05-21 13:25:27 | 古事記
いろいろと手違いが重なり、手元に届くのが遅れていた『古事記年報』がようやく本日届きました。

早速開いて最初のページにN先生の学会創立60周年を記念したあいさつの言葉がありとても嬉しくなりました。
「人生は人との出会いだという。そう思う。」で始まり、学会に入会するに至った話が綴られ、そして「今、創立六十周年の経過を内省するのみ。」と結ばれています。

表現する言葉が見つかりませんが、なぜか先生の書かれた文章が大好きなのです!
見開き半分に簡潔に書かれた挨拶の文章ですが、この中に先生のお人柄がしのばれるからなのでしょうか?
 
先日、古事記講座の終了後、駅までご一緒したのですが、腰を痛められていたとのことで大変おつらそうでした。
無理をなさらずに休講になさっても良かったのにと思いました。

このように無理をしてまで講義してくださっているのですから、しっかり学ばなければ!と思います。

先生、有難うございます
素晴らしい先生との「出会い」があって、多くのことを教えていただきとっても幸せです!

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『記・紀』の神話

2014-04-01 14:57:01 | 古事記
心機一転新しいグループで、『古事記』『日本書紀』に関連した内容の入力を始めることになりました。
それで昨夜、ふと思い立って就寝前に直木孝次郎著の『神話と歴史』を読み始めました。

2~3年前に買ったのですが、ほとんど読んでいませんでした。2~30頁読み進めて、止めました。
眠くなってきたわけでは無くて、ガッカリしてしまったからです。このまま読んだら『古事記』の勉強が面白くなくなってしまうかもしれない、と思えたからです。

以前にN先生から伺ったことがあったように思うのですが、歴史学者の人たちとは考え方が違います。私たちがやっている学問は、史料に基づいたものです。史料にそう書かれているのですから、と。

この本を読んでそれを改めて思い知らされました。
『古事記』や『日本書紀』に書かれていることが史実ではない部分もあることは承知しています。しかし・・・
ここまでズタズタに切り裂かれて書かれては古代世界へのロマンなんて・・・ 

N先生はもちろんのこと、直木氏も尊敬する学者であることに違いはありません。
これが学問の違いなのですね!

今回手掛けるものは、小説です。作家が古代をどのように描いているのか楽しみです。
歴史学者が読んだら眉をひそめるかも・・・
読まないかな? 


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『上代散文 その表現の試み』は届いたけれど

2013-09-26 23:05:08 | 古事記
注文していた『上代散文 その表現の試み』が届きました。
定価11000円(税抜き)がなんと560円。プラス送料が250円で計810円。

古書とは言え、価格が桁違いでは無いかと思うほど安いので状態を心配していたのですが、新品同様まっさらの綺麗なものでした。 
なんだか申し訳ないようなお値段です。 

早速読みたいところですが、折悪しく急ぎの仕事が入ってしまいました。 
合間を見ながらボチボチ読むことにしましょう。

今日からM先生の漢文の講座も始まりました。予習・復習と又忙しくなります。今日は構文の説明もしてくださいました。これからは時々挟んでくださるとのことで楽しみです!
テキストには『説文解字』からの引用文も何箇所かありました。こちらの説明もして戴けそうで益々ワクワクです 






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『古事記』の構文

2013-09-24 15:52:05 | 古事記
「背日幸行之事」の訓読「日を背に幸行ましし事」を見ていて、「背」と「日」が文頭にあるのに二重目的語として訓まれていることに疑問を感じました。
そして『真福寺本古事記』を見ているうちに、ようやく古事記の文体が正格漢文だけではなく、和化漢文(変体漢文)でつまり日本語の語順で書かれている部分があることを思い出しました。訓読文ばかり見ているとこのような構文を見過ごしてしまうのですね。 

よくよく考えてみると、先生にヲ格について質問したことがあったんだぁ~と思いだしました。でも、内容を思い出せません。
その時に文献を調べたことがあったので、ヲ格について書かれた資料が何か手元にあったはずと探してみましたが見当たりません。最近はこんなことばっかりで・・・ 

でも、『万葉』に『上代散文 その表現の試み』(中川ゆかり著 2009.4)の書評があり、この著者の名に記憶がありました。多分「ヲ格」について過去に書かれていたのではないかと思います。何か手掛かりが無いかとその書評を読んでみますと冒頭に以下のように書かれていました。

本書について著者は冒頭に、日本語の神話や伝承を「外国語である漢字・漢文を用いて書きながら、十分に読み手に意図を伝えるために、どのような方法が試みられたの」か、「その試みを具体的に明らかにする」ことを目的とする、と述べている。

『古事記』を学び始めた目的は、正しくここにあったのです! これが知りたかったのです。
第2章・第5節では「ヲ格」について書かれているようです。
ヲ格とニ格を合わせ持つ構文の場合、古事記では、・・・とあります。
また、日本書紀・続日本紀・風土記・正倉院文書等のデータをすべて分析した、・・・とも書かれています。
素晴らしい!の一言に尽きます。

これはもうすぐにでも読みたいです 
今回はどうしても読んでおかなければ!

『万葉』に書評が載ったのが2011年3月のこと。きっと他のことに気を取られていて見過ごしてしまったのですね! 好奇心旺盛なのはいいことですが、気が多すぎるのは困りものですね。 

早速アマゾンにあったので注文しました  
届くのが楽しみです。





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『古事記』「背く」「報ゆ」「経(ふ)」

2013-09-23 23:22:53 | 古事記
1.「漢文の古訓点から観た古事記の訓読 下」小林芳規(『文学』岩波書店 1982.1)



2.「解説 古事記訓読について」小林芳規(『古事記』日本思想大系 1 岩波書店 1982.2)


「背く」の用例から「背日幸行之事」が省かれていますが、本文では「日を背きて幸行しし事」と訓読されています。


『新編日本古典文学全集 古事記』(1998)と『新版 古事記』(2009)は、「背く」「報ゆ」「経」に関して以下のようになっていました。

「背く」
(1)背軽太子而:軽太子背きて (両方同じ)

(2)背日幸行之事:
背きて幸行しつる事 (『新編日本古典文学全集 古事記』)
幸行(いで)ましし事 (『新版 古事記』)

「報ゆ」
(1)雖報其功:其の功報ゆとも (共に同じ)

(2)欲報其霊:
その霊(たま)報いむと欲(おも)ひき (『新編日本古典文学全集 古事記』)
その霊(みたま)報いんと欲(おも)ほす (『新版 古事記』)

「経(ふ)」
経歴淡海及若狭之国:
淡海と若狭の国と経歴(へ)し (『新編日本古典文学全集 古事記』)
淡海と若狭の国経歴(へ)し (『新版 古事記』)

以上2冊しか見ていませんが、「誰々を問ふ」は『古事記』歌謡の音仮名表記を根拠として定説となっているようですが、他の箇所は異論があるようですね。小林氏の説の根拠として挙げられている漢文が漢訳仏典の古訓点であり、更にその古訓点が平安初期に加点されたものであることが争点となっているのでしょうか。

小林氏の「音訓表」などを参考に自分で本文の訓読してみたいと思ったのですが、とてもとても手ごわいようです。
最近受講のとき、訓読文しか見ておらず原文を見ていなかったために、忘れていることや気付けなかったことがたくさんあるようです。以前T先生から「本物を見なくてはね」と『真福寺本 古事記』を購入する時にアドバイスして戴いたことをすっかり忘れていました。

勉強に手抜きは禁物です! 


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『古事記』の「背く・報ゆ・経」について

2013-09-20 21:19:54 | 古事記
11日の講座終了後に、先生に「漢文の古訓点から観た古事記の訓読」(小林芳規 1982.01)をお見せして、以前にお話しのあった「~を問ふ」に関するものかどうか伺ってみました。
先生は著者と同郷の後輩にあたり、書いたものを送っていただいているので読んでいると思いますがこれだったかどうか分りませんし、これが「~を問ふ」について書かれた最初のものかどうかわかりません、とのことでした。

そして先生も「~を背く」「~を報ゆ」「~に経(ふ)」も同様に考えておられますかと伺ったところ、お答えのニュアンスではどうも全ての項目について同意見ということではなさそうでした。
「~を問ふ」に関しては、古い版を書き直してくださいとおっしゃったのですからこれに関しては賛同なさっておられると思います。

「報ゆ」について『新編古典文学全集 古事記』(山口佳紀・神野志隆光)では
「ムクユ(報)という動詞は、「・・・に報ゆ」の場合と「・・・を報ゆ」の場合とがある。前者は報いる相手を示し、後者は「仇を報いむ」などのように報いる事柄を表す。
と説明しています。
「漢文の古典から観た古事記の訓読」とは意見が異なるようです。

「背く・報ゆ・経」については他の新しい学説があるかもしれませんので調べてみようと思います。
最新の情報をなかなか簡単に得られないというのは辛いです! やはり学会などには積極的に参加しておくべきなのかもしれません。ただ聴いているだけでも。

とりあえず手元にある『古事記日本書紀必携』(學燈社 1995年)に「参考文献案内」があったので、そこから手繰ってみようと思います。


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史書違い!

2013-09-05 16:41:49 | 古事記
先日『史書を読む』というタイトルが目にとまり、図書館にリクエストをして借りて来ました。
目次を開いて最初の項目を目にして「えっ!」 

「日本書紀」とあったのです。
てっきり漢籍の史書と思ってリクエストしたので、ビックリ!
せっかく借りてきたので読んでみましょう!
これも『古事記』以外のことの知識も深めなさいというN先生のお導きかもしれません。

昨晩放送されたNHK・Eテレの「100分de名著・古事記」の録画を今朝見たところだったのです。講師は三浦佑之氏で、かねてからの主張通りに序文は後から付け加えられたものと考えていますとおっしゃっておられました。NHKの放送で、定説のみ語るのではなく、自説も語られるようになったんだと感動しました。

冒頭でアナウンサーが手にしていた2冊の『古事記』のうち1冊はN先生の著書であり、途中でも数冊の『古事記』が映っていましたが真ん中に置かれていてとても嬉しく思いました! 
録画した画面をコンデジで撮っておきました。 
来週講座があるので、持参して仲間と盛り上がりたいと思います。 

余分なことをしているより、まず予習ですね! 

 
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『古事記』の「~を問ふ」について(2)

2013-06-17 23:04:17 | 古事記
今日はサークルの勉強会があったのですが、朝のうちに顔を出し用事を済ませてさっさと失礼し、M大学の図書館へ行ってきました。
『文学』(岩波書店)「古事記音訓表」(上・下)と、同じく『文学』所収の「漢文の古訓点から観た古事記の訓読(上)―序文の読み方―・(下)―本文の読み方―」を見るためです。

この「漢文の古典から観た古事記の訓読」(上は1981年8月、下は1982年1月)は、日本思想大系の『古事記』の直前に記されていますので、大系本が言うところの『古事記訓読の研究』に相当するものだろうと思ったのですが、大系本の解説と比べると用例は多いように感じましたが、「詳細は~~~に譲ったので」と言うほどに詳細かどうか? 

ただ、両方の文章を読んでみると同じような部分が多く、この論文を基に手直しをして大系本の解説が書かれたのではと推測されます。中村先生がおっしゃっておられたのはこの『文学』の可能性が高そうです。

「~を問ふ」については、「3. 動詞の取る格助詞について」として記されています。
「古事記音訓表」(上・下)と共にコピーしてきましたので、念入りに読もうと思います。

更に、『古事記訓読の研究』を探そうと『古事記年報』25(昭和57年度)の研究年表を見ていたところ、面白いタイトルの論文がありました。
「古事記は持統五年以前に成ったか」(神田秀夫) 

かなり独特な論が展開されていて面白そう・・・ 




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『古事記』の「~を問ふ」について(1)

2013-06-16 16:38:21 | 古事記
現在「古事記」の講座で使われているテキストは、画像右側の『新訂 古事記』(初版1977年、35版1998年)です。
そして、左側は中村先生によって新たに全面改訂された『新版 古事記』(2009年発行)です。

使用しているテキストでは、「~に問ふ」となっていますが「~を問ふ」と直してください、とご説明があったのが、2010年の7月の講座でのことです。現在では「誰々に問う」ですが、古くは「誰々を問ふ」だったとのこと。
『古事記』での「~を問ふ」に該当する箇所はもっとずっと前の部分(イザナミとイザナキの話)にあり、講座が始まってまもなくの頃にご説明があったものと思われます。
7月の時には、後から入った人のために再度言ってくださったのだろうと思います。

「最近の学説によるとこうなるだろう」とのことで、あとで質問に伺った時の話によると、20年くらい前のことで、論文は無いが今は定説になっているとのこと。
先生おっしゃるところの「最近」は、20年前も入っていたのですね! どうりで最近(5~6年前)の『古事記年報』の「研究年表」を見ても見つからないはず。 

手元の『古事記』(新編日本古典文学全集:神野志隆光・山口佳紀編 1997年発行 小学館)を見たところ、「~を問ふ」となっていました。
その後、上記の本で「~を問ふ」になっていたことをご報告しがてら、なぜそうなったのか経過を知りたくて再度伺ったところ、経典類のヲコト点によってこう訓むのが正しいとされたとのことでした。

それ以上どなたの説なのか等詳細なお話は伺うことができず、その後古訓点関係の書物をいろいろ調べて日本思想大系の『古事記』(小林芳規氏他 1982年 岩波書店発行)に説明があるらしい、というところまでこぎつけていたのですが、そのままになっていました。

最近思うところあって、わからないこと・疑問をもったことをそのままにしておくのは止めよう、と。
それでようやく重い腰を上げ図書館で借りてきた次第。 

本を手にとり早速本文の初出該当箇所のところを開くも、そこに説明は無く・・・ 
気を取り直して目次をじっくり・・・
ありました! 「解説」に「古事記訓読について」(小林芳規)!
別に項目を立てて、詳細な説明がしてありました!! 

この解説を読んで、以下のように理解しました。
漢文訓読法は、特に、平安初期以前と、平安中期を過渡として、平安後期以降との間に大きな変革が生じている。それゆえ、太安万侶の言葉をできうる限り復元しようとするならば、平安初期以前の漢文訓読法に拠って訓まなければならない。
そこで、平安初期の古訓点を確認できる資料によって訓むと、「~を問ふ」となる。

ということで、平安初期の古訓点の確認ができる仏典などの用例が挙げられています。
そのほか、安万侶の用字法などを分析し読み添えをどのようにしたかなど多くのことが40数ページに渡って記されています。

以下は目次には記されていない該当箇所までの下位見出しです。
一 古事記訓読上の諸問題
  古事記における二つの文体
  古事記訓読の二つの基本方法
 
(一) 漢文の古訓点の利用とその限界
   古事記序文の訓み方
   古事記本文における漢文的惜辞の訓み方
(二) 本文における用字法と訓の認定
(三) 熟字の認定とその訓み方
(四) 読添えの方法
 一 古事記の内部より導く方法
 二 漢字の呼応による方法
 三 第三の方法
 (1) 動詞の取る格について  
 (ここにありました。「~を問ふ」だけではなく、古訓点により「~を背く」「~を報ゆ」「~に経(ふ)」になると。)
 (以下、項目が多いので省略) 

 
この解説の最後の部分に、以下のようにありました。
この解説は、都合により当初の文章を大幅に割愛せざるを得なかったために、繁簡宜しきを得ず、意を尽くさないところが多く、具体例を省いたところも少なくない。詳細は、近著『古事記訓読の研究』(岩波書店刊)に譲ったので、それを参照されたい。

この『古事記訓読の研究』(岩波書店刊)を読みたいと思い、OPACで検索してみたのですが見つからないですねぇ~~~。
国会図書館にも登録されていないということは、発行されなかったのか、別タイトルでの発行だったのか?
又そのうち調べて見ましょう!

それにしても、この日本思想大系の『古事記』は素晴らしいですね! 知りたいと思っていた情報満載です!
どのように訓読したのか詳しく記されており、そのうえ「解説」に先だって「類義字一覧」「同訓異字一覧」があります。

更に、この『古事記』の訓読文作成に先だつ基礎作業として、本文の延べ字数45127字について、漢字総索引を作成したとあります。
その作業過程の大要は、『文学』(岩波書店 1979年)「古事記音訓表」(上・下)に記述されているようです。こちらは大学の図書館にありましたので、是非拝見したいと思います。

『古事記』の学習が益々楽しくなりそうです!! 

って、この記事を書くのに午前・午後とかなりの時間を費やしてしまいました。



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『古事記』の「やがはえ」(3)

2013-06-15 14:36:00 | 古事記
やはり気に掛かるものは、放ってはおけない。 
ので、市立図書館から『古事記』(岩波書店:日本思想体系1)を借りて来ました。
かねてから気になっている「~を問ふ」について調べようと思ってリクエストしたのですが、まず「やがはえ」の部分を見てみました。



訓読のほうに、「やがはえ」に「八桑枝」の漢字をあててあります。そして、注に「ヤグハエ」の転と書いてあります。(「八桑枝」は最終行、注は右下)
「中臣寿詞」にある「八桑枝」を、「ヤクハエ」ではなく「ヤグハエ」と濁音にとっているのですね。 

再び『古語大辞典』を引いてみました。
「やくはえ」の項に、「やぐはえ」と読む説もある、と書いてあります。







手元の『祝詞』(桜楓社:青木紀元編)には「やくはえ」と清音になっています。




「八桑枝」を濁音で読むなら「ヤグハエ」への転の可能性は考えられますね。
しかし、濁音で読むことが正しいのかどうか?

佐渡国・羽茂郡に八桑郷(やくわごう)と言うところがあるようですが、「和名抄」には「也久波とある。」と清音になっています。

以下の画像は、『諸本集成 倭名類聚抄 外編』(臨川書店)のp.523です。
「木」も「く」と清音です。




「やがはえなす」の語句がある歌謡63の前に蚕の話があり、そこから桑の木と、祝詞の「八桑枝(やくはえ)」と結びついたのだろうと思うのですが?

『古語大辞典』「やくはえ」にある祝詞・春日祭は、『祝詞』(青木編)をみると、本文は辞書にあるように音仮名で表記されており、訓読文のほうは仮名で書かれています。
片方だけ音仮名表記というこの違いも気になりますね。

青木編の『祝詞』のはしがきを読みますと、「『日本古典文学大系』(岩波書店:武田祐吉校注)の脚注に記するところによって、兼永自筆本の本文を注記した」とあります。
ここで武田先生とつながりました。
 
『武田祐吉著作集』を借りて来ましたので良く読んで、そのうえで先生にこれらの資料をお示ししてもう1度教えて戴くことにしましょう!
おおっ~~~ 編集委員の中に先生のお名前が! 


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『古事記』の「やがはえ」(2)

2013-06-14 22:04:50 | 古事記
ふとまだ辞典を引いていなかったことに気付き、『古語大辞典』(小学館)を引いてみました。

         


なんと「やくはえ」と同語であろうとあります。
「同語」と「転」とではかなりかけ離れているのでは? 

念のため「同語」を辞書で引いてみると、「同じ言葉。同義の語。」
「転」は、「音が脱落するか、別の音に変わるかして、語形が変化すること。」

「やがはえ」の説明としては、「桑の木がたくさんの枝を立てているように」とおっしゃっています。
「転」とする説はもしかすると、辞書には採られない少数派の説? 

「〈やくはえ〉からの転と言うのが良く分からないのですが」と伺った時、「〈やくはえ〉がそこ(祝詞)にあるんだから、しょうが無いんです」ともおっしゃっておられましたが・・・

どうすべぇ~~~~  

とりあえず、転とする説に疑問をもった考えは良かった?  
ということで、忘れることにしようかなぁ~~~  


コメント
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