白居易の「長恨歌」の終わりの方に以下の句があります。
七月七日長生殿 夜半無人私語時
「七日」ですが、現在入力中の教科書にはルビがありません。
「しちじつ」なのか「なのか」なのか?
漢詩・漢文教材研究会編集の『漢詩漢文解釈講座 漢詩3』には「しちじつ」とルビがあります。
『基礎から解釈へ 漢文必携三訂版』(桐原書店)には「熟語の漢語は音で読むのが原則である。」とあります。
『漢辞海』には、「二字の(ときにはそれ以上の)熟語は音読みする。原則として湯桶読みや重箱読みはしない。」とあります。
そうすると、「しちじつ」と読んでよさそうなのですが、引っかかるのが教科書ガイド。
「なのか」としているのです。
それで念のために指導書をみてみました。
今扱っている出版社の指導書には「なのか」とルビがありました。
なんだか釈然としません。
漢文なのに「なのか」と読んでいいのかどうか? 印刷ミスか何かの間違いではないのだろうか?
そう思って他社の教科書・指導書も見てみました。
指導書に「しちじつ」とルビのある出版社は5社。
「なのか」とあるのは2社。
「しちじつ」が多いわけですが、多いからといってこちらにするわけにはいきません。
「なのか」とする出版社が複数あるわけだから間違いではなく、そう読むようにという指導案なのでしょうから無視するわけにはいかないですね。
なんだか納得できないのですが・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_cry.gif)
「華清池」という語句もありますが、やはり指導書によって池の読みが「いけ」「ち」の二通りありました。
『漢詩漢文解釈講座 漢詩3』は「いけ」としています。
統一してもらえると有り難いのですがねぇ~~~![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_6.gif)
七月七日長生殿 夜半無人私語時
「七日」ですが、現在入力中の教科書にはルビがありません。
「しちじつ」なのか「なのか」なのか?
漢詩・漢文教材研究会編集の『漢詩漢文解釈講座 漢詩3』には「しちじつ」とルビがあります。
『基礎から解釈へ 漢文必携三訂版』(桐原書店)には「熟語の漢語は音で読むのが原則である。」とあります。
『漢辞海』には、「二字の(ときにはそれ以上の)熟語は音読みする。原則として湯桶読みや重箱読みはしない。」とあります。
そうすると、「しちじつ」と読んでよさそうなのですが、引っかかるのが教科書ガイド。
「なのか」としているのです。
それで念のために指導書をみてみました。
今扱っている出版社の指導書には「なのか」とルビがありました。
なんだか釈然としません。
漢文なのに「なのか」と読んでいいのかどうか? 印刷ミスか何かの間違いではないのだろうか?
そう思って他社の教科書・指導書も見てみました。
指導書に「しちじつ」とルビのある出版社は5社。
「なのか」とあるのは2社。
「しちじつ」が多いわけですが、多いからといってこちらにするわけにはいきません。
「なのか」とする出版社が複数あるわけだから間違いではなく、そう読むようにという指導案なのでしょうから無視するわけにはいかないですね。
なんだか納得できないのですが・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_cry.gif)
「華清池」という語句もありますが、やはり指導書によって池の読みが「いけ」「ち」の二通りありました。
『漢詩漢文解釈講座 漢詩3』は「いけ」としています。
統一してもらえると有り難いのですがねぇ~~~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_6.gif)