8月16日、お盆明けの伝統行事「はんぎり出し」が霧島市国分広瀬の干拓池で開催されました。
7台ほどが出漁
行事の説明について霧島市のホームページから引用します。
江戸末期の新田干拓の時に作られた潮だまりの管理をするためにおかれた水守は、給料のかわりにこの潮だまりの漁業権を与えられました。
彼らが日をきめて許可証を出し、エッナ(ボラの子)を取ったのがその起源です。
「ハンギリ」とは馬の飼料桶のことで、「半切り」という底の浅い桶を使用したことからハンギリ出しといいます。
毎年盆明けの8月16日の精進落としの行事として広瀬地区で行われ、取れたエッナはその場で酢味噌を付けて食べられます。(引用終わり)
丸い桶が「はんぎり」 孟宗竹2本と5枚の板で組まれた筏
9時55分 花火を合図に漁が始まった
カメラマンも多かった
曇り空で日射しはなく蒸し暑い
最近ではボラの子を投げ網で取る人は少なくなりました。海岸近くの川岸や小さな橋の上から投げ網を打ちますが、このように筏の上からの投網は珍しいものです。
今年はボラの子は殆ど取れず、チヌやスズキの幼魚、コノシロなどが入っていました。取れたての魚は早速刺身に捌いて宴席に配られました。11時過ぎには地元中学校の同窓会や投網愛好家の宴会が始まっていました。
近年撮影の人が多くなり、30名ほどのカメラマンが訪れていました。テレビ局の取材も数社ありました。あいにくの曇り空で投網が夏の日射しにきらめく風景は見られませんでした。
10時40分頃には大半の筏が岸に戻り、取れたての魚を捌いていました。調理用に霧島市役所から給水車1台が配車され、地元霧島市の「関平(せきひら)鉱泉」の試飲宣伝コーナーが人気でした。
小村新田干拓記念碑
手馴れた包丁捌き
この日は水深浅め
松の木陰と干拓池
今年は例年になく台風の影響が長引き、台風通過後も湿った気流の影響で真夏らしい青空が全く見られません。お盆が過ぎて子供たちの夏休みも残り少なくなりました。宿題も気になる時期ですが、もう一度真夏らしい天候が戻ってくれたらと願うことでした。
7台ほどが出漁
行事の説明について霧島市のホームページから引用します。
江戸末期の新田干拓の時に作られた潮だまりの管理をするためにおかれた水守は、給料のかわりにこの潮だまりの漁業権を与えられました。
彼らが日をきめて許可証を出し、エッナ(ボラの子)を取ったのがその起源です。
「ハンギリ」とは馬の飼料桶のことで、「半切り」という底の浅い桶を使用したことからハンギリ出しといいます。
毎年盆明けの8月16日の精進落としの行事として広瀬地区で行われ、取れたエッナはその場で酢味噌を付けて食べられます。(引用終わり)
丸い桶が「はんぎり」 孟宗竹2本と5枚の板で組まれた筏
9時55分 花火を合図に漁が始まった
カメラマンも多かった
曇り空で日射しはなく蒸し暑い
最近ではボラの子を投げ網で取る人は少なくなりました。海岸近くの川岸や小さな橋の上から投げ網を打ちますが、このように筏の上からの投網は珍しいものです。
今年はボラの子は殆ど取れず、チヌやスズキの幼魚、コノシロなどが入っていました。取れたての魚は早速刺身に捌いて宴席に配られました。11時過ぎには地元中学校の同窓会や投網愛好家の宴会が始まっていました。
近年撮影の人が多くなり、30名ほどのカメラマンが訪れていました。テレビ局の取材も数社ありました。あいにくの曇り空で投網が夏の日射しにきらめく風景は見られませんでした。
10時40分頃には大半の筏が岸に戻り、取れたての魚を捌いていました。調理用に霧島市役所から給水車1台が配車され、地元霧島市の「関平(せきひら)鉱泉」の試飲宣伝コーナーが人気でした。
小村新田干拓記念碑
手馴れた包丁捌き
この日は水深浅め
松の木陰と干拓池
今年は例年になく台風の影響が長引き、台風通過後も湿った気流の影響で真夏らしい青空が全く見られません。お盆が過ぎて子供たちの夏休みも残り少なくなりました。宿題も気になる時期ですが、もう一度真夏らしい天候が戻ってくれたらと願うことでした。