7月23日(火)日置で野菜園管理の後、南さつま市加世田に向かいました。
11時8分 竹田神社境内 以下の画像は7月23日に撮影
日置での藪払いに手間取り予定より30分以上も遅れて現地着。すでに士(さむらい)踊りの人たちが鳥居下で待機中でした。
7月23日も危険な暑さが続き、各地の最高気温は鹿児島35.0度、東市来34.0度、加世田35.9度。
予定を少し早め11時15分に踊りが始まる
竹田神社について、鹿児島県神社庁のページから引用して紹介します。
御祭神
日新偉霊彦命(ヒワカクシタマヒコノミコト)島津忠良公(日新公:じっしんこう)の神霊
神事・芸能
七月二十三日(夏祭)~加世田士踊(県無形文化財) 日新公(島津忠良、島津義弘の祖父)が、御出陣御勢揃の節、仰付けられたものである。
戦国争乱の世のこと、合図の手拍子をもって忍びのもの(敵の間者)を発見するための踊りといわれている。
大守貴久公(島津忠良の息子)が、ほぼ領内の兵乱を平定して、加世田へ初めて入部された時、加世田諸士は万瀬川までお出迎え申し上げた。
一同お供申し上げ御屋形へお着きの時、日新公の思召しにより凱旋のお祝として士踊を催されたことが史書に残っている。
貴久公御逝去後は、忌日六月二十三日(今は七月二十三日)に祭祀として士踊をすることに定められた。(引用終わり)
観客も暑さで大変
真夏の祭りで観客も大変ですが、大半は踊り参加者の家族のようで、暑さに負けず熱心なカメラマンと取材関係者の姿もありました。
動画も少しだけ記録したいので三脚を担いで、社殿側の小高い場所で撮影開始。
日置で唐芋の植替えなどで大汗を流し、シャツもズボンも濡れたまま・・・元気なうちにもう一度この祭りを見たい一心でやって来ました。
ゆっくりした動き 二才(にせ)踊り
鉦太鼓、幟端を背負った太鼓踊りなどに比べると動きが極めて遅く、一般的な踊りとはかなり違っていて撮影は困難。
低い位置から写すと良い感じもしますが、強烈な真夏の日差しの下では顔の表情が出にくいようでした。
子供たちの稚児踊り 三脚利用でスローシャッター
こちらは子供たちの稚児踊り、小学から中学生中心のようで息の合った動きでした。
1/20秒での撮影ですが子供たちは大人よりも少し動きが早く、面白い感じに写っています。
さらに遅いシャッター速度では、レンズ操作が悪く画像がズームでぶれたものもありました。
踊りの最後はそろって拝礼
社殿に向かって横に整列して拝礼する場面です。
神前を人が横切らないように社殿、拝殿前にはロープが張られていました。
一般的に奉納踊りの最中に社殿前を人が横切ることは不敬でありますが、明確に対策されている例は他では見たことがありません。
夜に飾られる提灯
夏祭りの中心は士踊りですが、その前には神事の後に浦安の舞が奉納されます。
弓道、剣道大会や子供たちの相撲大会もあり、神社前の水路では水車カラクリが展示されています。
島津日新公いろは歌 ・・・代表的な歌 いにしへの道を聞きても唱へても わが行ひにせずばかひなし
昔の立派な教えを聞いたり口で唱えたりしても、実行しなければ何の役にも立たない・・・身に染みる言葉です
今年の水カラクリ
今年の展示は・・・肝付・伊地知 反逆 鹿児島を襲う
白尾国柱編纂「倭文麻環」から (しらおくにはしらへんさん しずのおだまき)
強い日差しが隠れる頃には趣が良さそう
水車の動きでカラクリがゆっくり回るもので、舟に乗った武者たちが鹿児島に攻め込む場面のようです。
12時11分 お昼時 お客さんは殆どいない
この暑さでは人出も少なく、商売になるのは夕方からでしょうか。
出店を見ると幼い頃がよみがえり実に懐かしいものです。もらったお小遣いを手にあちこち店を回るものでした。
危険な暑さの中でも車のありがたさで祭りにたどり着き、かねてなじみの写真仲間としばし談笑。
汗まみれの見苦しい恰好ながらも、士踊りを撮影することができてありがたいことでした。
11時8分 竹田神社境内 以下の画像は7月23日に撮影
日置での藪払いに手間取り予定より30分以上も遅れて現地着。すでに士(さむらい)踊りの人たちが鳥居下で待機中でした。
7月23日も危険な暑さが続き、各地の最高気温は鹿児島35.0度、東市来34.0度、加世田35.9度。
予定を少し早め11時15分に踊りが始まる
竹田神社について、鹿児島県神社庁のページから引用して紹介します。
御祭神
日新偉霊彦命(ヒワカクシタマヒコノミコト)島津忠良公(日新公:じっしんこう)の神霊
神事・芸能
七月二十三日(夏祭)~加世田士踊(県無形文化財) 日新公(島津忠良、島津義弘の祖父)が、御出陣御勢揃の節、仰付けられたものである。
戦国争乱の世のこと、合図の手拍子をもって忍びのもの(敵の間者)を発見するための踊りといわれている。
大守貴久公(島津忠良の息子)が、ほぼ領内の兵乱を平定して、加世田へ初めて入部された時、加世田諸士は万瀬川までお出迎え申し上げた。
一同お供申し上げ御屋形へお着きの時、日新公の思召しにより凱旋のお祝として士踊を催されたことが史書に残っている。
貴久公御逝去後は、忌日六月二十三日(今は七月二十三日)に祭祀として士踊をすることに定められた。(引用終わり)
観客も暑さで大変
真夏の祭りで観客も大変ですが、大半は踊り参加者の家族のようで、暑さに負けず熱心なカメラマンと取材関係者の姿もありました。
動画も少しだけ記録したいので三脚を担いで、社殿側の小高い場所で撮影開始。
日置で唐芋の植替えなどで大汗を流し、シャツもズボンも濡れたまま・・・元気なうちにもう一度この祭りを見たい一心でやって来ました。
ゆっくりした動き 二才(にせ)踊り
鉦太鼓、幟端を背負った太鼓踊りなどに比べると動きが極めて遅く、一般的な踊りとはかなり違っていて撮影は困難。
低い位置から写すと良い感じもしますが、強烈な真夏の日差しの下では顔の表情が出にくいようでした。
子供たちの稚児踊り 三脚利用でスローシャッター
こちらは子供たちの稚児踊り、小学から中学生中心のようで息の合った動きでした。
1/20秒での撮影ですが子供たちは大人よりも少し動きが早く、面白い感じに写っています。
さらに遅いシャッター速度では、レンズ操作が悪く画像がズームでぶれたものもありました。
踊りの最後はそろって拝礼
社殿に向かって横に整列して拝礼する場面です。
神前を人が横切らないように社殿、拝殿前にはロープが張られていました。
一般的に奉納踊りの最中に社殿前を人が横切ることは不敬でありますが、明確に対策されている例は他では見たことがありません。
夜に飾られる提灯
夏祭りの中心は士踊りですが、その前には神事の後に浦安の舞が奉納されます。
弓道、剣道大会や子供たちの相撲大会もあり、神社前の水路では水車カラクリが展示されています。
島津日新公いろは歌 ・・・代表的な歌 いにしへの道を聞きても唱へても わが行ひにせずばかひなし
昔の立派な教えを聞いたり口で唱えたりしても、実行しなければ何の役にも立たない・・・身に染みる言葉です
今年の水カラクリ
今年の展示は・・・肝付・伊地知 反逆 鹿児島を襲う
白尾国柱編纂「倭文麻環」から (しらおくにはしらへんさん しずのおだまき)
強い日差しが隠れる頃には趣が良さそう
水車の動きでカラクリがゆっくり回るもので、舟に乗った武者たちが鹿児島に攻め込む場面のようです。
12時11分 お昼時 お客さんは殆どいない
この暑さでは人出も少なく、商売になるのは夕方からでしょうか。
出店を見ると幼い頃がよみがえり実に懐かしいものです。もらったお小遣いを手にあちこち店を回るものでした。
危険な暑さの中でも車のありがたさで祭りにたどり着き、かねてなじみの写真仲間としばし談笑。
汗まみれの見苦しい恰好ながらも、士踊りを撮影することができてありがたいことでした。
お写真で久方ぶりに出会い、あの頃の単純素朴に見えたカラクリ人形や狭い道に観客が溢れていたことや、大集団の士踊りのゆっくりした動きながら底知れない迫力を感じたことなどを思い出しました。
夜の部は文化展で、祖父がお経の様な歌をうなり、前の年まで士踊りを演じていた叔父が、のど自慢大会で優勝ということもありました。
23日の加世田の気温は、35,0度!当時はどんなに暑くても25,0度を越すことはなかったように思います。
良いときを思い起こさせていただきありがとうございました。
くれぐれもご自愛くださいますよう。
鹿児島では夏祭りと呼ぶよりも、六月灯の方がなじみがありますね。
竹田神社の祭りによく行かれたとのこと、伝統行事はありがたいものです。幼いころの遊び仲間、今はなき人々との思い出などもよみがえる大切な機会です。
全国的に危険な暑さが続く中、出掛けることができて幸いでした。
しばらくはゲリラ雷雨、突風など落ち着かない天候が続きそうです。健やかにお過ごしください。