hisakunnのブログ

日米の民主主義崩壊

虐めに見る正直、真面目は大切でも、馬鹿正直や糞真面目は罪?

2013-07-12 13:21:11 | 日記
 こんな事を考えるのは、変人、奇人の私くらいかも? 

 日本語では勿論、正直、真面目が最初に在って、いつの日にか、度を過ぎた正直や真面目に対して表現されたのだと思います。

 この馬鹿正直とか糞真面目について、ちょっと思いを巡らせて見ると、その奥には、正直や真面目が独り善がりになると、その半面に横着者や悪巧みが増えるのではないかと言う事です。

 人の好いのを良い事に、そこに付け込んでズルい考えを正当化させ、便乗して楽をしたり、横着をする人間が増えれば、社会悪が蔓延ります。 日本では現実に、もの凄く横行しているように感じています。

 ここ数日も騒がれている虐めによる子供達の自殺の問題も、この流れの中にあります。教育の現場などは、この象徴であるように思います。 人の心や想いに対して余りに無神経で無頓着な為に、自分の言動で傷つく人が居るという心配りなど全く有りません。

 この虐めの問題は、世界中に発祥しています。 未開発や途上国では情報が少なく、あっても表面に出ていないのかも知れません。

 日本で何故、こういった問題が目立つのでしょうか? 心の貧しさも然る事ながら、複雑怪奇な日本語の表現の仕方にも問題があります。 正直が貴重だから、馬鹿正直も悪くは無いような印象を持ちます。 その結果、巧みに怠けたりズルを助長する事になっても、それはそれで馬鹿正直とは関係ないと考えるのです。

 玄関を開け放して、玄関先に宝石を置いているような状態です。 玄関先に来た人の出来心を起こさせるような行動です。 そこで邪心を抱く人が悪いのは言うまでも有りませんが、そういう状況を作った人にも責任はあります。

 結局、何事も程ほどにという事でしょう! 邪心を起こさせるような環境は作らないこよです。 人間それ程、賢くないし、強くもありません。 正直も真面目も程々に!!