人間にとって本当に価値あるものって何でしょうか?
日本社会には数々の機構や社会システムがありますが、国民に本当に必要なもの、無ければならないないものが何なのか?
皆さんは考えたことがありますか?在ると信じていたものが本当は無かったなんて嫌ではありませんか?
猜疑心の強い私には、その存在そのものを疑う物事の多いこと!最近、言われる数字の改竄や捏造など、私から見れば古くから歴然と有ったものです。
世界にもありますが、王室や皇室に関連した神話など、何処まで真実に基づいているのか?
世界に溢れる何とか賞!これも、ほんの一部の人達が自分達の付加を上げる為に価値有るものとして造り上げた虚像でしょう!
その関係者にとって、より価値を高めれば益々、世間が相対的な価値を高めてくれますから、そこから影響を受ける人が増える訳です。
私からすれば、ノーベル賞や何とか芸術賞なんかも実際は、この部類です。ここから恩恵を受ける人達にとってのみ存在する価値なのです。
本当は有ると思っているだけで、無かったというのは妄想、幻想に過ぎません。
ところが、有ると信じ込んでいる人にとっては重要と感じてしまっています。
特に、この傾向が強いのが日本です。日本の社会には、法律から医療、教育に至るまで偽りや欺きが隠されています。
悪事を隠して悪巧みする連中には欠くことの出来ない構造なのです。
政治の世界で言うなら国の予算の二重構造などが、その最たるものです。特別会計などは何の為に在るのでしょうか?
誰が、特別会計を必要としているのでしょうか?この傾向は法曹界にも隠されています。
裁判の判決にさえ、影響しています。法曹界全体が潤うように判決しているのが日本の裁判の現実です。
白黒を早く明確にしてしまえば、裁判は早く終わってしまいます。はっきり言えば、グレーを増やせば中身が複雑になり法曹界の関係者の仕事が増えます。
巧みな言い回しで結論を先回しにしたり、国民の目を惑わして益々、長引かせます。
簡単に結論が出てしまっては仕事がなくなるのです。即ち、高裁や最高裁の仕事が無くなってしまっては、法曹界の牙城が崩れてしまいます。
特に戦後の日本では生産額を増やすことが最大に重視されましたから、大きいことが、複雑なことが良いとされて来ました。
既に、日本では、どうすることも出来ない程、複雑に成り過ぎてしまいました。日本の法曹界は過去に積み上げたゴミの山で溢れています。
多くの主婦が、我が家のゴミを整理出来ずに町内会のゴミ掃除に参加して世間体を取り繕っている情報です。
日本が今のままでは、世界で沈んでしまうことを承知する必要があります。日本の今の政治家達では、綺麗に出来ない程、酷い状態です。
日本国民も全く、その自覚も認識も出来ていません。世界の海に集まる汚染は正に日本の現状なのです。
虚像と虚構に満ちた日本を、健全な国に戻すには、国民全体が学習し直す必要があるのです。
人類にとって、日本にとって本当に必要なものが何なのか?
人間が必要とする人間の概念に嘘は無用です。偽りや欺きの社会は必要ありません。
人間にとって何が幸せで、何が必要かを学習し直しましょう!