都合良く使い分けたり、螺曲げたりして、それを法令遵守と言う。
馬鹿な民衆は、螺曲げられた法律を慣習化されて受け入れる。それが法令遵守だと思ってしまうのです。
日本人にとって教育を受けるのは国民の権利であるのに、日本では義務教育という表現が多く使われている。
国民に教育を受けさせる義務が国にあり、子に教育を受けさせる義務が親に有る。それを義務教育と言い続けて来た。
この表現から子供達は皆、学校に行くのは自分達の義務と思い込んでいるのです。学校の側も子供達が、そう思い込んでくれる方が仕事がし易いから、その流れを続けます。
この例は教育という場ばかりではありません。役所の流れの中にも、悪しき慣習が一杯あります。
私が今、戸籍謄本の交付で、ある市に審査請求していますが窓口では、戸籍謄本の交付申請を個人情報保護法を口実に、極めて狭義に制限しています。
大半の市民は、交付を拒否されて諦めて帰ります。しかし戸籍法には特別な場合に交付しなければならないという条文があります。
その場合の交付する為の理由については様々です。ところが窓口の担当官には、それを判断する能力がありません。
というより、判断さえしたことが無いから出来ないのです。
私が経験した、固定資産税の過誤納付した税金の還付についても同様でした。取り過ぎた税金が有れば、過去に遡って還付しなければならないのですか、日本の大半の市町村は過去については還付しません。
彼らの言い分は、還付したことが無いから出来ないと言います。
この還付は基本的には5年で、場合によっては10年も可能です。
ここに上げたのは一例に過ぎません。法令遵守と言いながら、法を守っていないのは国や役所側です。
個人情報保護法と言いながら、法を盾に法の援用を狭めているのです。何故なら、狭めることが仕事を楽にさせるからです。
幼い子供達が出来ないと言えば、しなくとも逃れられるという心理です。この悪しき慣習が国民に染み着いているのです。
馬鹿安倍が口だけで、国民に詫びを言いますが正に、この悪しき慣習を象徴しています。
言うだけで、詫びる気持ちなんて微塵も無いのです。だから偽造、捏造や改竄が繰り返されています。
裁判についても、素人に検察審査員や裁判員を務めさせて法曹界は何を目論んでいるのでしょうか?
日本の裁判が異様に長引くのは何故だと思いますか?多くの場合、長引くような判決を敢えて下しているからです。役所や官庁の手続きでも同様です。
長引く手続きの中で、飯を喰らう人間が沢山居るからです。その為に国は、予算を二重構造にしてあるのです。
如何に上手く国民を丸め込むが、奴等の手柄に成っています。
こんな状態では健全と政治や行政が成り立つはずありません。本当の意味での法令遵守を考えて下さい!
法を悪用するのを遵守と勘違いしている日本の役人達や政治家達です。