ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

(今年も)押し迫って・・・!

2016年12月29日 | 日記
 年末の行事である”お正月を迎える準備”を整えたいと行動する。
 余裕をもって!28日には「お正月をお迎えする」準備を整えたいと、気持ちは逸る。
 今まで、気にもしていなかった事が、気掛かりにもなっていた。
 私が育った家は”商い業”で、父も母も、晦日も大晦日も懸命であった。
 大晦日、客が途絶えと、父は作業台を清掃し、店舗の略・中央の天井に設えた支柱に”棚”を設置する。
 予め(餅つきで)準備していた、五十円玉の大きさ程に丸めた、紅白のお餅が鈴なりなった”柳”の枝(注1)を、実のなった南天の枝や、松の枝(?)等と共に、左右の支柱に白紙で包み水引で縛る。
 この様にお飾りした、即席の「お正月さん」をお迎えする神棚に”海・山・野”の産物を供える。
 此れとは別に、作業台にも”お鏡餅”を三宝に乗せ、無事な作業に感謝する。
 今・思うに、忌み嫌うという”一夜飾り”なのでしょう・・・
 しかし、仕方ない仕儀であった。
 郵便配達員も、行商人も”仕事納め”は大晦日の夜(注2)である。
 父も、休む訳にはいけなかった。
 父の”舞台はお店”であり、真にお正月を迎えられるのは、仕事が終わって(舞台を降りる)からであった。
 成長を遂げた(大人に成った)後も、幼心が迎春の準備の、手本であった。
 しかし、「一夜飾り」「二重苦」と云った、忌み嫌う”風習(言い伝え?)を知った。
 ”家業”といった制約もない現実である。
 やはり、私も悩み多き”ニンゲン”である。
 忌み嫌われる事は止めよう!と云う”思想”である。
 昨日・28日、御神前・御神殿を拭き清め、御鏡餅をお供えし、迎春の準備を整えた。
 此れって、私にとっての”エポック”だったのでしょうか・・?
  注1:臼・杵や蒸器は、家庭に”普通”にあった。今で云うクリスマスの頃に”餅つき”をする。
     蒸しあがった糯米は、白米にはない味がした。 少し”塩”をつけて・・・
     蒸しあがった糯米を臼に移し、食紅を加える。赤餅である。
     祖母が丸めた出来点ての餡餅が、美味しかった思い出がある。
     そして、搗き立ちの御餅を、両手で・秒速で千切る祖母の技術にも圧倒された。
     正月・節句・花見(桜・蓮華)・盆・秋祭り・餅つきが、我家の行事であったと思う。
  注2:年賀状配達上、パンク等の修理依頼は、三箇日中にもあった。
     臨時開業は茶飯事であった。
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