今日の絵日記の絵(写真)は、五枚である。 写真・左より、写真:1~写真:5とする。
「ひょうたん島クルーズ」は、徳島市の中心地を流れる「新町川」「助任川」を周回するクルージングである。
JR徳島駅・徳島市役所、徳島城跡などは、この新町川・助任川の囲まれた”ひょうたん”に似た、周囲6Kmの”島”の中にある。
そして、人・車が通行可能な橋でアクセスされている・
その数、何と「18橋」と言う事であった。
送水管等の橋梁をカウントすると、25橋にもなるらしい。
クルーズ船の様子が、写真:1である。
写真:2は、クルーズ船から観る「徳島城跡」の城山である。
写真:3は、同じくクルーズ船から観る「眉山」(この山頂に懇親会・宿泊をする「かんぽの宿・徳島」がある。
写真:4は、2108年11月10日の夕刻を迎える「四国三郎・吉野川」方面を望む。
写真:5は、写真:4と、略・同じ方向の夜景である。
かんぽの宿・徳島では、最上階の5階が宿泊する部屋に指定された。
(眉山山頂からの)西北の方向を、眺望することが出来た。
そうです!吉野川から阿讃の山々が望められるのである。
吉野川を遠望し、思った。
「こんなに水量のある河川は見たことが無い!」が感想である。
川幅一杯に水量で埋められている。
昨日の日記にも記したが、国道11号線(徳島ICから徳島市内にアクセスする)の「新吉野川橋」は、1100mである。
河川敷があるにしても、1000mは、水面の上を走行している。
改めて、遠望することで、水量の多さに驚きをもって認識した。
元々、徳島の町は”吉野川の三角州に位置している。
即ち、海抜高が低い・・・!
汽水域が長い事に、由来しているのだろうと思った。
しかし、正解であるかは、分からない。
18時から、会食での会話を楽しみ、23時頃・就寝する。
今日、兄弟たちと別れ、18時過ぎに無事に帰宅を果たした。
充実した二日間であった事を、日記とします。
「ひょうたん島クルーズ」は、徳島市の中心地を流れる「新町川」「助任川」を周回するクルージングである。
JR徳島駅・徳島市役所、徳島城跡などは、この新町川・助任川の囲まれた”ひょうたん”に似た、周囲6Kmの”島”の中にある。
そして、人・車が通行可能な橋でアクセスされている・
その数、何と「18橋」と言う事であった。
送水管等の橋梁をカウントすると、25橋にもなるらしい。
クルーズ船の様子が、写真:1である。
写真:2は、クルーズ船から観る「徳島城跡」の城山である。
写真:3は、同じくクルーズ船から観る「眉山」(この山頂に懇親会・宿泊をする「かんぽの宿・徳島」がある。
写真:4は、2108年11月10日の夕刻を迎える「四国三郎・吉野川」方面を望む。
写真:5は、写真:4と、略・同じ方向の夜景である。
かんぽの宿・徳島では、最上階の5階が宿泊する部屋に指定された。
(眉山山頂からの)西北の方向を、眺望することが出来た。
そうです!吉野川から阿讃の山々が望められるのである。
吉野川を遠望し、思った。
「こんなに水量のある河川は見たことが無い!」が感想である。
川幅一杯に水量で埋められている。
昨日の日記にも記したが、国道11号線(徳島ICから徳島市内にアクセスする)の「新吉野川橋」は、1100mである。
河川敷があるにしても、1000mは、水面の上を走行している。
改めて、遠望することで、水量の多さに驚きをもって認識した。
元々、徳島の町は”吉野川の三角州に位置している。
即ち、海抜高が低い・・・!
汽水域が長い事に、由来しているのだろうと思った。
しかし、正解であるかは、分からない。
18時から、会食での会話を楽しみ、23時頃・就寝する。
今日、兄弟たちと別れ、18時過ぎに無事に帰宅を果たした。
充実した二日間であった事を、日記とします。