頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

ドラマ『ラブシャッフル』

2009-01-17 | film, drama and TV

内容については触れない。

麻生政権の定額給付金を称して「世紀の愚策」と言う。言い得て妙である。

この「ラブシャッフル」は「世紀の愚作」である。

以上。ではよい週末を。









※ 以下辛口な余談

と言ったら①関係者②視聴者の中で「これ面白い」と思った人は気を悪くするのであろうか。なぜ愚作で駄作なのかぐだぐだと説明しても仕方あるまいが、ストーリーは勿論のこと「アイアイ」「おさるさーんだよ」というしつこいリフレイン等台詞回しがカチンと来る。朝日新聞の評ではバブルっぽいと書かれていたが、私が思うに、「バブル的な悪趣味テイストと現代的な無気力風演技が渾然一体となって、もっと面白くしようがあるものをこれ以上ないほど質を低下させている」役者に責任があるとは全く思えない(DAIGOなんて意外と上手くやっている)ので、プロデューサーと脚本家の責任であろう。よくスポンサー様がお金を出してくれるものだ。

ところが、見たばかりの友人Mは、「そんなにひどくないんじゃない」と言っていたので、私だけがこう思っているのだろうか?それならそれでかえってまた面白い。


※ 以下さらに余談

一つだけ気になったのは谷原章介演じる精神科医。

①あれでは精神科医か心理カウンセラーか分からない。広く大衆が見るテレビ番組には啓蒙するという役目が一応あるはずである。 ②精神科医が患者と恋愛関係になりうるとはフロイトの昔からあるが、まるでそれがよくあることのように描いていくとおおいに誤解を生むので気をつけて欲しい。と思って見ていたら ③患者の吉高由里子が自殺未遂してしまった。それまでの展開からすると「精神科にかかるような子は自殺をするのが当たり前」的な描き方をしかねない。小説のように自分から読みにいくような作品ならまだしも、ドラマのように受動的な見方をする者が多い作品でこのような表現には難がある。PTAだかが、子供に見せたくない番組でロンドンブーツの番組をあげる暇があったら、こういうドラマをあげるべきである。

しかしなぜ私はこんなに熱くこのドラマの悪口を言っているのだろうか?悪口など読んだ人がご気分を害するだけではないか。可能性が高いのは、明日早起きしなくてはならず、それに対して強い怒りの念があるからだろうと分析する。


※以下重ね重ね深々と余談

いつも何でも褒める人、いつも何でも貶す人、いつも何でも褒めるブログ、いつも何でも貶すブログ、私はどれも信用しない。褒めるべきときは褒め、賞賛すべき物、者は褒め、叱るべきときは叱り、劣っていると思うときにはそう言う、そんな人、そんなブログは信用できる。(比較的身近に他人を貶すことしか出来ず、褒めることが出来ない、社会的地位の高い者がいるが、彼は信用できないかと言うと、全く信用できない。他の面でもとてつもない嘘つきである)と、私自身が思っているので、前回ドラマ「トライアングル」を褒めたわけだから、面白くないドラマがあればそれはきちんと貶さないとバランスが取れない。別に無理してバランスを取ろうとしているわけではないが、つまらんと思いながらそれをいちいち声に出して言わない方が得策であると思う自分がいる。と同時にそういう自分はあまり好きでないなーと思う自分もいる。

たかがブログ、されどブログ。
たかが信賞必罰のバランスすら、きちんとしようと思うとなかなかに深い。



コメント (2)

『オリンピックの身代金』奥田英朗

2009-01-16 | books

「オリンピックの身代金」奥田英朗 角川書店 2008年(初出野生時代2006年7月号~2008年10月号に加筆修正)

時は昭和39年夏。日本はもうすぐ開催される東京オリンピックに大きく揺れていた。東京は建設ラッシュ。代々木の競技場、駒沢公園、新幹線、モノレール・・・そのオリンピックを妨害すべく警察へ脅迫状が届く。追いかける警察と犯人側が交互に描かれ、クライマックスへと怒涛の展開を見せる。

「オリンピックの身代金」というタイトルが大きい。その期待を裏切らず、いわゆる大型パニック&犯罪ピカレスク小説&警察小説&古い時代を回顧する小説と様々な要素が含まれている。ミステリーとして、すぐに読者には分かってしまう犯人側に自分を投影して楽しむというのが一番娯楽として楽しめる読み方だろう。それだと読者の年代と関係ない。しかし最大の読みどころは当時の東京の出来方、人々の気持ちをまるでそこにいるかのごとくに感じることができることだと思う。

近頃の若者は恐ろしいほどついこの間のことを知らないらしい。しかし自分も自分が生まれる前のことはきっと知らないのだから人のこと言えないだろうと思っていた。しかし、

昭和39年、1964年私もまだ生まれていなかった年の話なのに、なぜだか懐かしいような風景、聞いたことのある固有名詞の数々。なんと生まれる前のことなのにちゃんと分かるのだ。最初はその奥田英朗がわざとなのか連発する当時固有名詞の乱発にやや辟易したが、それも最初だけで進めてゆけばそんなこともない。

この「オリンピックの身代金」の唯一最大の瑕疵は、主人公がなぜそこまでして東京オリンピックを妨害しようと思うのか、その動機づけが弱いこと。それだけはどうしても気になりながら読み進めるが結局解消はされない(と最初から分かっていれば、これから読む人の期待を下げることができるのでよろしいと思う)それと、タイトル。「オリンピック」の「身代金」はいくらなんでもストレート過ぎなのでもうちょっと曖昧・抽象的なタイトルの方が良いのではなかろうか。とは言うものの、なかなか読ませてくれる作品であることには変わりない。

226ページ秋田からやって来て生まれて初めて東京タワーの展望台に登り、

「どうですか。来てよかったですか」
「よがっだもなにも、これさ見だらもう死んでもよぐなりました」
「そんな・・・・・・」
国男が苦笑しても取り合わず、ただ立ち尽くしている。
「富士山が見えますね」
「どこ、どこ」女が即座に反応する。
「あっちです。ほら、三角の稜線が見えるでしょう」
「ああ、あれか。ははー。東京タワーさ上がっただげですんごいごどなのに、そのうえ富士山まで見られるとは・・・・・・。これはますます死んでもいいべ」



我々は色々なものを与えられすぎて生きている。これを得ることができたから死んでもいいなんて思える物に今後出会えるであろうか。我々は様々な物を実際にあるいは間接的にメディアを通して見ている。見尽くしている。これを見たらもう死んでもいいと思えるような物を今後見られる日は来るのだろうか。この「オリンピックの身代金」とは無関係なことを思った。

また228ページに発展する東京を田舎と較べて「東京は祝福されてますね」と言う登場人物がいる。その後の東京を見て、よーく見て今でも東京は祝福されているだろうかと思った。

読みながら、当時の東京と北京オリンピックの前の北京の異常なほどの発展ぶりとの間にどんな違いがあるのか何度となく比較してしまった。こんな風にメインのネタは勿論のことそれ以外の様々なことを考えさせてくれる作品と向き合うことこそがまさに何物にも変えがたい時間である。どんなにいい女といるときよりも、充実した時間・・・・・・かどうかはいい女と一緒にいたことがないから分からない。なぜかと言えば、私自身がいい女だからだ。オホホホホホホホ





オリンピックの身代金
奥田 英朗
角川グループパブリッシング

このアイテムの詳細を見る

コメント (2)

ドラマ『神の雫』と『トライアングル』

2009-01-15 | film, drama and TV

神の雫」はマンガが原作のワインドラマ。

著名なワイン評論家、古谷一行が死ぬ。息子の亀梨はビール会社勤務で父を憎んでいた(たぶん母の死の関連で)。父の遺産相続(ワインだけで20億円)で父が養子にしたワイン評論家の田辺誠一とワイン勝負をすることになる。

と、美味しんぼ的な「グルメ」と「勝負」をミックスしたようなドラマ。父を憎みつつも父から英才教育を受けて育ったワインに関しては天才的な嗅覚と舌を持つのでついついワイン勝負には勝ってしまう。ものすごくつまらなくもなく、ものすごく面白くもない。しかし、録画は一応しておいて、時間があったら見ようかなという感じ。

このドラマ内で2,3回話しをしたことがあるだけなので知り合いと言えるかどうかよく分からない人が出演しているのを見かけた。だから、このドラマを積極的に見ようとも、積極的に見ないようにしようともどちらの方向にも特に傾かない。亀梨に妙に絡む仲里依紗ってなんでだか気になるんだよなーとか第一回のゲストの本仮屋ユイカは昔から嫌いじゃないんだよなーとは思うけど。


トライアングル」は、ミステリードラマ。もう2回の放送があった。

江口洋介は10歳のとき、同級生の女の子が殺害される。その後、彼は医師になるが、なぜか医師をやめて国際警察インターポールへ転職。(インターポールと言えば銭形警部)そこから研修で警視庁の太田西署の刑事課にいる。同じ同級生の谷原章介が、女児殺害事件についての回顧録を書くがそれを預けたマギーが盗難に会い盗まれてしまう(第二回の放送で金に困ったマギーの狂言強盗だと判明。しかし原稿は預かっていないとマギーは言うので谷原が本当に書いたのか疑わしくなってきた)

死んだはずの女の子を名乗る広末涼子。年齢からするとずいぶんと若いので本人ではない。しかしなぜそんなことをするのか?(と大きな謎を残して第一回は終わる → これは面白そうだぞ)第二回で、殺された少女の母親風吹ジュンが代わりの娘として施設にいた広末を引き取り同じ名前(広末はサチ、死んだ子は佐智絵)を名乗らせるようになった。

広末は画家としてデビューするが、そこへ謎の金持ち堺雅人が300万円で彼女の絵を買うと申し出る。どうやら堺は広末の過去について詳しいようだ。しかし彼はいったい何者なのか?広末のことにどうして詳しいのか?(第三回への大きな謎)(しかし堺雅人はどうしていつもあのニヤニヤ顔なんだろう)

江口洋介は大田西署内で、過去の捜査記録を漁るなど怪しい行動をとっている。それを同僚の稲垣吾郎に見つけられる。稲垣の父は警視庁の刑事部長の北大路欣也。北大路は佐智絵殺害事件当時担当だった。江口の怪しい行動は北大路への牽制なのか?北大路は事件の隠蔽を行ったのか?(以後への謎)(稲垣吾郎の芸能人オーラの無さにちょっと驚く。ごく普通の人に見える。江口、谷原とイケメンはいるし次回は大杉漣さんが登場するのでなおさら影が薄くなってしまう。それでいいのか吾郎ちゃん?)

江口の妹は相武紗季。兄と同居している。非常に気になるのはこの江口と、広末の家がどちらもとても金持ちに見えること。ここにいったいどんな意味があるのか?

と、関西テレビ開局50周年記念らしいなかなかの出来。ミステリー作家新津きよみ(ミステリー作家折原一の妻。彼の方は倒錯シリーズや密室物などガチガチの謎解き作品を書く)の原作は読んでいないが、しっかりとした原作を元にするといいドラマが出来る(こともある)といういい例。上に書いた通り、謎があちこちにちりばめられている。小説と違ってドラマは謎一本勝負よりこのようなパラレル謎形式を取った方が飽きずに楽しめると思う。M・ナイト・シャマランの「ハプニング」(レビューしたと思ったのにしてなかった。うーむ)のように大ネタ一本勝負の場合、見た人が大きく心を揺さぶられるか、もしくは「金返せ」と言われるかのどっちかしかないというリスクがある。そしてさすがはシャマラン、「金返せ」と私に言わしめた。

立て続けに4本の日本のテレビドラマレビューをアップした。この「トライアングル」だけが毎週録画して見逃さないようにしようと思うドラマである。

コメント

ドラマ『ありふれた奇跡』と『ヴォイス~命なき者の声~』

2009-01-14 | film, drama and TV

ありふれた奇跡」は山田太一脚本らしいと言えばらしい。

電車のホームで自殺しようとしている(ように見えた)陣内孝則を突き飛ばして助けようとした、仲間由紀恵と加瀬亮。死のうとなんてしてないと駅長室で言い張る陣内。その後、仲間と加瀬はメールアドレスを交換し、ほそぼそとメールをし続ける。それと同時に、仲間と加瀬それぞれのやや平凡な日々が描かれる。

台詞のテンポがまるで小津安次郎映画のよう。「そうだねー」「そうかなー」「そうですよー」「そうですねー」と言ってはいないけど、そんな風なテンポで流れる。また、登場人物が何か行動を起こすのが実に遅い。そしてストーリー展開もとても遅い。それら全てを味と呼んでプラスに考えることもできるし、面白くないと切り捨てることもできる。私は2度と見ないと思う。

ヴォイス~命なき者の声~」は、「きらきらひかる」とどこが違うのかをつい探してしまう。

大学の法医学教室。法医学を希望しなかったのにスカウトされてやって来た大学4年瑛太。希望してやって来た石原さとみ、生田斗真。運ばれた遺体から解けない謎を若者たちが解こうとする。謎解きのリーダーは瑛太。

初回は致命的な問題があった。それは謎が途中で解けてしまったこと(死因は自殺しようとした人間を助けようと手を差し伸べてしまったこと。見ながらそう言ったら一緒に見てた人は「そんなわけねーだろ」と言ってたけど、正解だった)謎解きがメインになっている作品(小説・ドラマ・映画)で、謎が解けてしまい、でもそれが外れることを期待していてしかもそれが正解だった場合これほど面白くないこともない。

それでも他に見所があればよいのだが、全くない。各大学生の抱える問題やら、瑛太が持つヒューマニズム的解決やらがドラマ内でよく見かけるステレオタイプな要素と変わらない。つまりどこかで見た感が強い。配役はよいのだから、脚本がよくないのだろうか。

久しぶりに矢田亜希子を見た。全体的にはスレンダーなのにややほっぺがパンパンなのが気になった。役どころはクールさが持ち味なのでここはシャープな顔立ちでいたい。



コメント

ドラマ『ダメージ』(DAMAGES)

2009-01-13 | film, drama and TV



アメリカのリーガルサスペンスドラマ「ダメージ」(原題はDAMAGES)

ロー・スクールを出たばかりの駆け出し弁護士エレンが入るのは大きな訴訟を抱えるヒューズ弁護士事務所。事務所の代表である、グレン・クローズは、自社株の売却により社員を路頭に迷わせたとしてフロビシャーに対して巨額の民事訴訟に日々明け暮れる。エレンも担当として事件に加わるが、原告弁護士VS被告弁護士の智謀、周囲を囲む様々な人間たちの欲望、陰謀。

冒頭のシーンでは、エレンは同居していた彼氏殺害の容疑で逮捕される。話はその半年前、彼女が事務所に勤務し始めるところから始まる。時間軸を現在と、半年前に置き、半年前の出来事が段々と現在に近づくにつれてあれやこれやのどんでん返しが始まる。

てな感じ。

いやいや、まいったね。これは面白い。何がいいって、DVD6本で終わるから全12話でいい。24話も見なくていいのでそこがいい。見てる人にやや異質な、いや不慣れな二項対立を感じさせる(二項並立?)

: 彼女が逮捕されたという現在(ということは彼女は彼を殺したのか?)(いや殺してないのか)(いやなんでこんな目にあったんだ?)
: フロビシャー訴訟という巨額訴訟の動き(国との裁判ではフロビシャーは無罪になったけど、こいつは有罪だろう)(こいつむかつくよなー)(しかし裁判に勝つためならなんでもやる奴らだなー)(ええっ?)(そんな展開?)

A←-----------------------B (半年前)
A←-------------------B' (一ヶ月前)
A←-------------B" (2週間前)

見ていた最初はこのAのシークエンスが邪魔で仕方なかった。分かったよ。エレンは捕まったんでしょ?それはもういいよ。と思っていたら、突然シークエンスAが動き始める。逮捕された後が描かれるのだ。第五話ぐらいだったろうか。それからはもう止まらない止められない。まさにえびせんドラマ。

DVDのパッケージには「騙されるな」とか「全米が騙された」とあるが、見た私自身は騙された!という感覚は特にない。騙されていないわけではないが、むしろ展開の中で、そうきたか!と思うことが多い。視聴者が騙されるのではなく、登場人物の誰が何のためにそんなことをしたのか、誰が誰を騙したのか、そちらに注目して見るとよいと思った。






久しぶりに、今日の教訓




ダメージとかけて、
なぜかお客に笑われたくない
芸人ととく。
そのこころは、
うけたくないんです。


コメント

張り紙

2009-01-12 | laugh or let me die






どこをどうツッコンだらいいか、多すぎて分からなくなる私の様子は、

おもちゃ欲しいおもちゃ欲しいといい続けて、やっとおもちゃ屋に連れて行ってもらった子供が大量のおもちゃを前に、どちらに足を向けて良いか歓喜のあまりフリーズしている様と似ている。




コメント (2)

新年会のアホたち

2009-01-11 | days

先日新年会があった。しょっちゅう顔を見てる人あれば、新顔あり、1年ぶりに会う人もいた。色々な話をした覚えはあるのだが、内容をほぼすっかり忘れてしまった。大して飲んでなかったと思うのだが。

なぜか田舎VS都会の話で盛り上がった。田舎者(青森・長野・宮崎出身)が数名混じっていたので。田舎は運転が荒いとか、田舎の高校生のデートはジャスコに行くことだとか。ジャスコで4時間はつぶせるという話をきいて「ジャスコってすごいんだな」とよく考えてみたらジャスコに行ったことがない私は思った。

話は様々な展開を見せたのだが、記憶にある数少ない話はラブホ。宮崎のラブホはフリータイムでも2千円だか3千円だか。宿泊でもプラス1000円だか。地方の物価はそこまで安いのか!と普段そういう話をしそうにない都会っ子S氏とP氏のアドレナリンが沸騰していたのが印象的であった。私はそういう所には行かないのでよく分からない。いや正確に言うとラブホに住んでいるのだ。だから毎月のお家賃を月単位で支払っておりますので1時間いくらとかそういう瑣末な価格は知らないのです。

そうそう。P氏が「そんなに安いんなら、地方のラブホのアメニティってどうなんすか?」ときいてたことを思い出した。すると宮崎のラブホには道具が備え付けてあるそうである。SM系の道具、X字の棒だかか壁にくっついていてそこに手錠が付着しているので、そこで・・・だそうである。うーむ。すごいぞ宮崎。すると純朴な青森県民であるK氏が「青森のラブホはとてもキレイなんだよ。だってあまりお客が来ないから」と言っていた。

他には「どっからが浮気なのか」という使い古されたトークがあったり、後何があったけか。そうそう。仲がよいお友達たちと飲んだ後は揃ってヘル○に行くというのがお約束で、その後で喫茶店などで反省会をするのが当然のいつものことだという話があった。数名が「そりゃ当たり前だろう」と言ってたのでそうなのだろう。しかし風俗に行った後に何を反省するのであろうか。私はそういう所には行かないのでよく分からない。いや正確に言うと私はそこに住んでいるので ・・・・・・



コメント (3)

『20世紀の幽霊たち』ジョー・ヒル

2009-01-10 | books

「20世紀の幽霊たち」ジョー・ヒル 小学館 2008年
20th CENTURY GHOSTS, Joe Hill 2005 2007

いわゆる本読みなら知らぬ者はいないだろうし、本読みでなければきっと永遠に手に取ることのない作品なので内容に具体的には触れない。

スティーヴン・キングの息子であるジョー・ヒルのホラー短編集。世間での評判は極めて高い。評判があまりにも高い場合、①期待が大きすぎるので、読んだらどんなものでも駄作に感じてしまう ②評判が高いことを忘れているので関係ない ③世間が面白いというのだから、よく分からないがとりあえず傑作なような気がすると自分に思い込ませる。

今回の私の読後態度は③としたいところだが正解は①

私はミステリー読みだがホラー読みではない。過去に出版された数多のホラー作品をふまえてこの作品を評価することはできない(できたとすれば評価は変わるだろう)だからといってホラー嫌いではなく、小野不由美の「屍鬼」など楽しませてもらった。まあようは、ホラー食わず嫌いではないけど、だからと言ってホラー通ではないということ。

この「20世紀の幽霊たち」内のほぼ全ての作品に言えることは、導入部分からボディーを経てラストに向かうまで全部がとても良いのだ。グロい事、主人公がとてつもなくひねくれている事、主人公が抱える悩みが尋常でない事。しかしラストがなんとも腑に落ちない。

途中までのプロセスに触れ感じながら期待するのは、そうだな、ラストにドアがあってそれを開けることがその作品を読み終えることだとする。すると期待するのは、ドアだと思っていたのは実は壁だったので顔を強打するとか、ドアノブに手を触れるとたぶん感電するんだろうなと予期しながら触れようとしたら、自分の手の指がなかったとか、そんなラスト(意味通じてる?)しかしジョー・ヒルはラストにあるはずのドアを撤去し、そこに到達した者たちが前にたたらを踏むような終わらせ方をする(意味通じてる?)

常に分かりやすいオチを期待し、常にグイッとひねられることを期待するのは愚である。しかし毎回毎回同じようなオチだとちと飽きる。そして「よく分からなかったけど、世間的には評判が良いようだしこういう分かりにくいモノは、むしろ良かった良かったと言っておく方が知的レベルが高いことをアピールできるぞと思って賞賛する」ことはさらに愚である。

さらに、「黒電話」という作品で削除された部分が巻末に特別に載せられたのを読んでそっちは面白かったという事実を隠すのも愚であるし、532ページまで14本の短編を読んだので「もういいや」とつぶやいて以降の作品「自発的入院」と「救われしもの」を読んでいないことを隠蔽することもまた愚である。



20世紀の幽霊たち (小学館文庫)
ジョー ヒル
小学館

このアイテムの詳細を見る
コメント

本にはさまってた謎のレシート

2009-01-09 | days

親しい友人に貸していた本が帰って来た。






「時の娘」という本で、ジョセフィン・テイという人が1951年に出した。いわゆるアームチェアディテクティブという奴で、スコットランドヤードの警部が入院中に歴史の謎を解くという趣向(後に、高木彬光が「成吉思汗の秘密」でジンギスカン=源義経だったと天才、神津恭介に語らせた)シェイクスピアにも描かれているリチャード3世は残虐な人物としてよく知られているが、果たして本当にそうだったのか、文献から病室で吟味する傑作。ほんと面白いよ。

で、返却されたその本から、しおりとして使っていたのだろうか、一枚のレシートがハラッと落ちた。ん?と思い見てみると、






東急ハンズね。なるほど。商品を見ると「ヘアケアヨウヒン」ん?金額が4,515円 ん?ん?んんん?

ヘアケアヨウヒンを4千円もしかも東急ハンズで買うか?そういうモノは普通マツモトキヨシなどドラッグストアで買うものではなかろうか。もちろん安いからであるが。

そして、4千円以上するヘアケアヨウヒンてなんだ?かつらか?あそうそう。件の本借りた人物は男性である(少なくとも男性っぽく見える)(しかし性別を確認したことはなかった)

ヘアケアヨウヒンで思いつくのは、ムースやデップ。ドライヤー、ブラシ・・・うーむワカラン。ヘアのケアに4千円も使いそうな人はいくらでもいるが、あの人はそうは見えない(30代独身男性)

もしかするとヘアケアヨウヒンというのは東急ハンズが使う、「他人には分からないようにする符丁」だろうか。例えば、いやらしいお店で領収書をもらうと、その店の名前はとてもここでは書けないような名前なのに鈴木興業株式会社という名前で領収書を出してくれるというとっても美しくもありがたいシステムがある。それと同じなのだろうか。いやそうだ。そうに違いない。ふむふむ。それに、よーく見ると東急ハンズ新宿店とある。父ーん。いや、母ーん。いや、ははーん。件の男性、同じ東急ハンズなら渋谷店の目と鼻の先に住んでおられる。だのになぜ、新宿店?それはやはり東急ハンズ新宿店でしか買えない「ヘアケアヨウヒン」には、ヘアをケアするヨウヒンではない深遠なる意味があるからなのだ。

たった一枚のレシートから広がる空想。嗚呼楽しい楽しい。




コメント

眠れない夜だからあっためて

2009-01-07 | laugh or let me die





久しぶりのこのコーナー。眠れない深夜3時頃に何か食うという、他の人にとってはどうでもいい話。

冷蔵庫を見ても野菜室を見ても、地下室の棺を見てもこれといって食い頃のモノがない。冷凍室の奥に手を突っ込んでみると、いつ冷凍したかよく分からないカレーが出てきた。

ので、解凍して食ってみた。

物凄くまずかった。解凍した汁的なモノが下に沈んでいるのが画像から分かる。カレーそのものもスが入ってる(スってどんな漢字?)さらに追い討ちをかけるように、カレーそのものが焦げた味がする。

ので、カレーを横にやってキムチをご飯に乗せて食った。

カレーをどうゴミとして捨てれば良いのか途方にくれた深夜であった。

こんな私はとても可愛そう可愛そうであった。


ルック・ライク・カレーなゴミを食うとこんな気分になるのであろうか。





コメント (5)

もれそうなのを救ってくれた

2009-01-06 | days

横モレとか縦モレとか世間は色々もれて大変らしい。後で読み返してみたんだが(読まなきゃよかった)今回かなり言葉が荒っぽいので要注意である。

俺も先日もれそうだった。どのくらいもれそうかと言うと、【第一段階】ああしたいなー。(でもまあ大丈夫だなと)「大丈夫がまだ無意識の段階」【第二段階】大丈夫大丈夫と「大丈夫が意識に表面化する段階」【第三段階】トイレを探す目が怖くなる段階【第四段階】そっちに行ってはいけないと言い聞かせているのに意識が下半身にびっしりと張り付く段階【第五段階】足がぷるぷると震える段階【第六段階】その辺出来る場所ないなかと場所探しの段階【第七段階】もうここでしてしまえとジッパーを下ろす段階

これがクラウゼヴィッツが戦争論の中で提唱した「兵士が気をつけないといけない七つの段階」のことである。

我輩は、この第六から第七段階のちょうど狭間でぷるぷる震えながら場所を探していた。これから行かないといけない事務所まではあと300メートル。そこまで余裕だろうと思ってたのに。もうだめだ。茂みはないかー!おい茂みー!こんな都会に茂みなんてありゃしねえ。

するとそこで目に飛び込んできたのは

パチスロ&パチンコの看板。

我輩は賭け事は、運が左右する部分が極端に少ないモノ以外は全く嗜まない。宝くじ、競馬、ルーレットは全く聞し召さない。麻雀やポーカーは過去に馬鹿みたいに夢中になった。一度、大貧民に大金賭けてやったことがあるのだが、あれはヒリヒリした。パチンコはやったことがないわけではないが、しかしパチスロとの区別がつかないのだからどの程度の経験だか知れたもんだろう。

パチスロ家にはトイレがあるのだろうか?そこは無料で借りられるのだろうか?パチらないと借りられないのだろうか?トイレにもパチがあって、そこでフィーバーしないと水流せないのだろうか。未知なモノに対する疑心暗鬼と不安の嵐。

なけなしの有機を有機野菜を絞って、いや勇気を振り絞って入ってみた。パチ家に。

おお!うるせえなあ。と頭にきそうだったがそれよりトイレトイレ。しかしどこにもトイレのマークがない。素早くターンを決めながら店内をしゃきってみると、あった。トイレが。じゃーー(以下省略)

ふぅ。助かった。あらためて店内をぶらついてみた。驚いたのが平日の真昼間だというのに混んでいる。なぜ?ぶらついてみると機種が違うようだ。なぜそんなにたくさん?玉が出るのは一緒じゃないの?一番驚いたのは、あれはなんていうんだ?イスの後ろにでかい箱を山積にしてその中に大量の玉玉玉を入れている人。役満じゃないし、なんて言うんだ?まあいい。その玉玉玉状態の人がすごくたくさんいるのだ。一つに島に最低二人いた。体感的にはお客の18パーセントは玉玉玉だったと感じた。

そんなんだから、ガキを車に放置したままパチパチに夢中になってガキ死亡というような事件が起こるのか。

分からない。なぜそんなに玉が出るのか。それとも俺という素人がやって来たから「このど初心者に『パチスロってすごく出るのよ』と思わせちゃえ」大作戦が敢行されていたのだろうか。つまり客に見えたのは全て店員だったのかも知れない。俺がトイレに行っている間に全て仕組まれたのかも知れない。

しかし、俺もこの業界に長く生きているのだ。そう簡単に騙されるものか。お店は大誤算だったのだ。はっはっは。

ただ、ただ、玉を数えて景品的なモノと交換してくれるお姉さんが、あまりにもかわいかったので、どうすればあのお姉さんと交換出来るかじっくりたっぷり考えこんだため遅刻しそうになった自分自身が誤算だった。

いったいこいつは何が言いたいのだ?と思ったあなたには、このブログに何か意味があると思ったことが誤算である。




コメント

『深海のYrr』フランク・シェッツィング

2009-01-05 | books


「深海のYrr」(上中下)フランク・シェッツィング 早川書房 2008年
DER SCHWARM, Frank Schatzing 2004

文庫三冊計1500頁に及ぶ大作。海がテーマのパニックものといえば、なんといっても梅原克己の「ソリトンの悪魔」を連想する。ちなみに読んでない人は読めば良いさ。

本作Yrrは、ゴカイ+メタン = カタストロフィ という比較的シンプルな構造になっている。そのシンプルな構造の上に莫大な数の登場人物が乗っかる。しかし一つ一つのシークエンスが非常に短い。その極端に短いシークエンスの積み重ねが段々と物語を作ってゆく。何がいいって、読み飛ばせるのがいい。失われたときを求めてじゃないんだから、百年の孤独じゃないんだから、たかがパニックものに1週間も時間をかけることはない。

だからといってしょうもないわけでもなく結構堪能できる。ときおり、初歩の物理学とか化学の知識を思い出しながら読むのも楽しい。また、こういう近未来が充分に起こりうると想像しながら読むと、ジェームズ・キャメロンのABYSSより面白いかも。

大きく二つに分かれていて、中巻の167頁からはじまる第二部「シャトー・ディザースター」からそれまで科学者たちがバラバラに動いていたのが集約されていくのと、第一部のその後が書かれるのだが、第二部冒頭の入り方が非常に巧いと思った。

文章が映像的というか、映像が目に浮かぶ。映画化されるのも当然といえば当然。映像がすごく目に浮かぶからそれがいい小説なのだろうか。これはよく分からない。テキストが喚起するのは勿論テキストそのものではなく、ディスクールを生み、それが皆で共有できるであろう幻想を生む。生み出す幻想は時代とともに変わるはずだし、読む者によっても無論変わる。しかしハッキリとした幻想を生むテキストがぼんやりした幻想を生むテキストよりも優れていると言える根拠が思いつかない。

などと自分の頭脳の限界を思い知るのはまた楽しいものだ。

多少残念なのは「深海のYrr」をあまり深海ばかり意識しないで前半を読めたのがすごく良かったのに後半深海を強く意識させられるのがしつこい感じがしたのと、いわゆるネタが強引だと思った。しかし一気に読めるエンターテイメント作品ではある。






深海のYrr 上 (1) (ハヤカワ文庫 NV シ 25-1) (ハヤカワ文庫NV)
フランク・シェッツィング
早川書房

このアイテムの詳細を見る

コメント

背後に立つ者にムッとしたり、しなかったり

2009-01-04 | days

先日某書店にて、レジで支払いをしていたら、背後から手がにゅーっと伸びてきて、どでかい本を俺の左斜め42度横にどんと置きやがる奴あり。見ると家庭の医学。見るとじじい。

店員たちがすかさず言う。「順にお呼び致しますので後ろにお並び下さい」するとじじいが、俺の耳元から24センチ離れたところで、

「この本重いから置いただけだよ!」

おまえどんだけでかい声出るんだよ、そんなに元気ならそんな本読む必要ないだろう。いやそれ以前に、「この本ちょっとここに置かせておくれでないかい」と年寄りらしく言えばそれで済む話。よっぽど「こらじじい!俺の目の前に置くんじゃねえぞ。ってか先にそう言えばいいじゃねえか」と言いそうになった。しかし支払いをしているのが団鬼六先生の鬼の花宴なのでそうも大きい態度に出られない。

支払いを済ませて帰ろうとすると振り返ると、13センチ背後に


じじいの顔があった。


あんたどんだけ俺の背後にくっついていたんだ・・・・・・

それから数日後、俺は電車の中で立っていた。団鬼六先生のご本を読みつつ立っていた。窓に向かって。全ての人に背を向けて。すると電車が揺れたときに、足が後ろにたたらを踏んだ。日本語として正しい使い方をしているかは知らない。するとそのたたらさんを踏んだら、背後の人の靴を踏んでしまった。私としたことが。「すみません」と言うと、キングコングの西野に非常によく似た青年が

だぁ~いじょ~ぶぅ~でぇ~す

その言い方が非常に優しかったので、なんだかいい気分になった。たぶん本物のキングコング西野だったのだろう。

年の初め、スタートダッシュを切る季節に、ムカッとしてみたり、ちょっと癒されてみたりした。



コメント (2)

渡る世間は黒コートばかり

2009-01-03 | days

特に今年になってからであろうか。男性が黒いコートを着ているのを見かけることが非常に多い。いや異常に多い。トレンチ・コートであったり、Pコートであったり、ステンカラー・コートであったりするが、共通点は黒い・丈がショートである・生地がナイロンぽい。私の周囲でも黒コートを着てる男性が多い。東京駅丸の内北口に立ってみれば分かる。20代から30代のサラリーマンの92%はこの手のコートを着てる。

同じコートを着るという一種のファシズムなのだろうか?昨年も流行していたが、しかしこの秋から冬にかけて着用率が物凄く上昇している。まあ着る気持ちは分からないでもない。

無難だから。

黒いから下からのぞくパンツやあるいは風景に溶け込んでしまって浮いた感じがない。ちょっとお洒落してみても、上司からとやかく言われるようなファッションでもない。しかし見ていてつまらない。その昔、日本人サラリーマンは全員どぶねずみ色のスーツを着ていたと言われた。その頃の映像を見ると確かにそうである。その後、アイビーだのDCブランドだの、クラシコイタリアなど微妙にスーツの流行は存在した。特に最近のヤング・サラリーマンはお洒落になってきていて、微笑ましく思っていた。だのに。電車の車両内全員が黒コートを着ているのを見ると、頭がクラクラしてくる。

流行と言えば思い出すのは、何年前だか忘れたが、ダッフルコートが大流行したことがあった。それをさかのぼると紺ブレの大流行もあった。しかしこの時(あるいは女性のブーツの流行とか、その他の流行も込みで)と、今回の黒コートファシズムとは違う。ダッフルや紺ブレが、間違いないという共通項を他人と共有しておくという意味では黒コートと変わらない。しかし、無難だからという理由、あるいは浮かないという理由で着ていたのではなく、他人との共有 + 他の部分では他人との差別化をはかるお洒落をする のであったと思うのだ。

うーむ。とても分かりにくいね。(ダッフルは同じだけど、それ以外の部分では差別化してたということ)(しかし黒コート以外のスーツ・シャツ・靴・鞄どれも差別化しようとはしていない、日本男子総無難化)黒コートは無難であるが故に、来年も再来年も着続けられるであろう。しかし、紺ブレもダッフルも数年で廃れた。ファッション・コンシャスな人は概して飽きやすいから。

無難であるというのが何かを選択する理由になっているとつまらない。街の景色も実につまらなくなる。

無難だから、この女と付き合い、無難だから、この女と結婚し、無難だから、ここに住んで、という男は、「俺のどこが好きなの?」と訊いて、「無難だから」と彼女が答えると落ち込む。

そんなもんでしょ?




コメント

謹賀新年

2009-01-01 | days
コメント (2)